友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

子は親の姿を見て育つ

2010年10月31日 21時22分21秒 | Weblog
 夕方から雨になったけれど、今日はマンションの運動会で、雨になる前に終了できたそうだ。私は「無党派市民派・自治体議員と市民のネットワーク」の10月例会があったので、運動会には出られなかったが、昔からの顔なじみとともに新しい人たちも多く参加されていたようだ。地域の仲間意識という点で、こうした行事は続けていく必要があるだろう。子どもたちが巣立っていってしまい、孫娘もここにいないから、私はすっかりご無沙汰になってしまった。久しぶりに参加したカミさんは「こじんまりとしていたけれど、仲良くやっている」と運動会の様子を話すが、何と言っても昔からのなじみの人たちが孫を連れて参加していることが印象的であったようだ。

 こんな話も聞いた。小学校の授業参観日のこと、先生が問題を出して「これ、分かる人?」と質問した。すると、子どもたちは大きな声で「はい、はい」と手を上げた。中でも真っ先に手を上げ、声も大きく元気な男の子がいた。先生はその子を指名した。ところが、その男の子はもじもじするばかりで何も答えられなかった。問題はその後のことだ。授業後に、その男の子の母親が先生のところに凄い剣幕でやってきた。「先生はなぜ、うちの子を指名したのか。うちの子も私も大勢の前で恥をかかされた。こんな屈辱はない。どうしてくれるのか」と先生に詰め寄ったそうだ。

 この事件がどうなったのか知らないが、そんなことで学校へ怒鳴り込んでくる親がいることにビックリした。先生は余りに元気よく手を上げたので、指名したのだろうけれど、もし指名しなければ、「うちの子が一番先に手を上げたのになぜ指名しない」と怒るだろう。母親が自分の子どものことしか見ていないのは困ったものだ。先生が「そうか、ちょっと緊張して答えを忘れてしまったね」とヒントでも出せばよかったかもしれないが、本当は答えが分からなくても母親にいいところを見せようとして、手を上げてしまったのかもしれない。母親だったら、「よくがんばったわね」とわが子を褒めてやればいい。その方が子どもはどれほど救われるか分からない。

 教育はサービスなのだから要求して当然と考える親がいるようだ。保護者との面接で先生が「ちょっと落ち着きが足りません」と子どもを評したら、母親は「そんなことは親だから百も承知です。わざわざ先生に指摘されるのは不愉快です」と怒られてしまった先生もいるそうだ。おそらく多くの先生から「落ち着きがない」と注意されてきたのだろう。先生の方もうっかり口にしたのだろうけれど、「落ち着きがない」と言うだけではどうしようもない。落ち着かせるための具体的な課題を与えるべきだろう。

 先ほどの運動会に話を戻すと、私の友だちは運動会で賞品をもらった。同じものが2つあったので、2歳の男の子は1つを祖母に、もう1つを祖母の友だちに渡した。ご近所付き合いからよくおすそ分けをしている様子を見ていたのだろう。そこへ祖母のもうひとりの友だちがやってきて、男の子に「私も欲しい」と祖母のものを取ろうとした。しかし、男の子はダメだと離さない。そこで祖母が封を切って中身のお菓子を出してやると、男の子は嬉しそうに、みんなに平等に分けたそうだ。子どもは親の姿を見て育つ。それが教育の基本である。
コメント
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