友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

父親と酒が飲める息子

2010年10月09日 17時28分23秒 | Weblog
 久しぶりに行ったら、マスターが「皆さんもよく来てくださいます」と言う。名前をあげた中に「親子でみえました」と言うカップルがあったので、全く疑いもなく「あの親子はまるで恋人同士のように仲がいいから」と話した。この店は以前、私たちの街にあった。私は初めてマスターの料理を食べて、こんなに腕のいい料理人がここにいるのはもったいないと思った。マスターである料理人は有名なホテルで働いていたようだが、私が最も感心したのは「凝り性」なところだ。材料もそうだけれど料理の方法そのものにも強い思い入れがあるのを感じた。

 親しくなっていろいろ話すうちに、私のカンは大体当たっていた。歳も歳なのだから、独立して店を構えるのは当然なのだろうけれど、「上司とはうまくいかなかったね」「離婚したでしょう」の2点は的中していた。こだわり過ぎる性格は妥協できない。周りの人々に悪気があったわけではないが、彼はどうしても自分のやり方にこだわったのだろう。善意がうまく回らなくなり、仕方なくそこを飛び出してしまったと私は推測している。私たちの街では、彼のような凝り性のフランス料理を受け入れる土壌はなかった。彼の料理を食べてみたいと熱望した私もそんなに通うことは出来なかった。

 このままでは惜しいなと思っていたら、「名古屋に引越しことになりました」と言う。その後、彼の料理を愛好する何人かが新しい店に出かけていったと話には聞いていた。いつか私も行ってみよう。お店は流行っているのか、料理は変わっていないか、そして何よりも元気でやっているのか、気になっていた。ひょんなことから、ランチを食べに行こうということになり、完全予約制であるにもかかわらず受け入れてもらった。彼は元気だったし、料理はますます美味しくなっていた。こちらにいる時からお店を手伝っていた若い女性はさらにきれいになっていた。全てうまくいっている様子だった。

 さて、「親子でみえました」と言うので、私は疑いもなく小学校の時から私たちの宴会に参加し、将来は「料理人になりたい」と言っていた、今は経済学を専攻する大学院生となった男の子がお母さんと来たのだと思っていた。先日、里帰りしていた彼に、「お店に行ったら、親子で来てくれたと喜んでいたよ。いつもお母さんと一緒だね」と冷やかすと、「いいえ、父と行きました」と言う。そのお母さんに先ほど出会ったので、その話をすると、「そうなんです。この頃はふたりでよく飲みにいくんですよ」と言う。ずーっとお母さんにくっついていた息子だった。20歳を過ぎてから父親と仲良くしていることが羨ましくて仕方ないと言う口ぶりだった。

 親子が男同士で酒が飲めるのは素敵なことだ。嫁の父親ではなく、実の父親であれば、そんなに気を遣うこともなく、人生を語り合うこともできよう。私は高校の時に父親を亡くしたからそう思うのだけれど、でも私の父は実の父親である祖父とは口も利かない犬猿の仲だった。親子が理解し合うことは友だち以上に難しいと思い込んできたが、どうやら人によりけり、いろんなケースがあるということのようだ。さて、今晩は誕生日会という名の宴会だ。どんな話が飛び出すのだろう。
コメント
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