友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

健康に気を遣う人と遣わない人

2010年10月27日 22時22分39秒 | Weblog
 井戸掘りの件から告白しなくてはならない。今日もダメだった。固い粘土層がどうしても突破できない。これだけダメな日が続くと自暴自棄のような気持ちに襲われる。もう掘れないのだから、止めよう、そう依頼主に報告した方がいいのではないか、そんな後向きの気分になる。ところが不思議なもので、6人もいると「いや、まだ、こういうやり方を試していない」とか「それよりもこうやってみたらどうか」という積極的な意見が出てくる。もうダメじゃないか、いくらやってもムダじゃないか、そんな気分になっていた人も、「もう一度挑戦してもいいじゃーないのか」と思うようになる。

 そこで再び道具を整えて、井戸掘りに挑戦することになった。グズグズと長い間、なんとなく気持ちが一致していなかったけれど、ここに来てもう一度やってみようという気持ちにみんながなった。ひとつのことをやり遂げようとすると、自分ひとりならば「ああ、もうやめた」となってしまうようなことでも、仲間がいるとそんなに簡単にギブアップできない。そういう点では、みんなでやることは想像以上の大きな力になる。道筋をもう一度改めて考えることも、みんながいるからできることだろう。

 みんなと言ったがすでに70歳を超えた人が多い。そんなオトナが真面目に、ああすればいいのでは、いやこうした方がいい、そんな堂々巡りの論議ではダメだからもう一度はじめから整理して考えてみよう、などそんなことが出来ることが凄いと思う。最年少の私の役割は、表に立たずに5人の意見をひとつの方向へ持っていけるようにすることだと思っている。だからこそ、みなさんのためにお茶を用意したり、コップを並べたりもする。個別に話もするし、全体の中の雰囲気がヘンな方向へ行きそうな時は、逆らって嫌味も言う。これはヘタをすれば分裂になりかねない危険な賭けでもある。

 さて、私たちの仲間は高齢者が多いから自ずと健康に気配りしている。毎日10キロのジョギングと20回の腕立て伏せや腹筋運動を欠かさずにしている人もいるし、健康教室やエアロビクス教室に通っている人もいる。そうかと思えば、健康診断も受けず毎日必ずアルコールで胃を消毒していると豪語する人もいる。しかし、面白いなと思ったのはこの相反する行為の行き着く先は同じということだ。健康に気を付けている人は、病気になって家族に迷惑をかけたくないと言い、毎日お酒を飲む人は一度きりの人生だから楽しく生きた方が家族にとって幸せだと言う。

 自分の人生の責任の取り方を修道僧のようにストイックに考える人と、ある意味では刹那的だけれど誠に正直にロマンチックに考える人の違いのようだ。「優しさは無償の愛だ」と考える人が、カミさんの買い物には付き合わず、自分はコーヒーを飲みながら待つのは、「優しさ」の表れなのか身勝手なのか、これも人の生き方の違いなのだろう。自分で納得できればそれでいいのかも知れないなと70過ぎの男たちを見ていてそう思った。
コメント
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