今年もやっぱり10月10日を前にキンモクセイが花開いた。近頃は運動会が早まってしまったけれど、私が子どもの頃は10月に運動会があり、キンモクセイの甘い香りと運動会は強く結びついていた。ヒガンバナは開花が遅れたけれど、キンモクセイは例年通りだった。昨日も今日も絶好の運動会日和だ。そんな昨日の午後のこと、最上階の孫で小学4年になる男の子が我が家を訪ねて来た。「スズキさんにと思って」とヘチマの種を差し出す。聞けば学校で育てていたヘチマの種だと言う。先生が「ヘチマの種が欲しい人」と言った時、真っ先に「スズキさんの顔が浮んだので、手を上げた」と話す。
「スズキさんとこなら庭が広いでしょう」と彼は言うけれど、何よりも私の顔を思い浮かべてくれたことに感謝しなければならない。私はこの男の子が好きで、一昨年のバス旅行の時も一緒に名所を歩いた。2年前だから小学2年だが、結構歴史の知識があった。学校では落ち着きがないとか言われて彼のお母さんは悩んでいたけれど、私はその発想のユニークさから彼を「天才」と呼んでいる。小学4年の今年は、学級委員を務めるなどしてずいぶん大人になってきている。その彼が「スズキさんに」とわざわざ届けてくれたのだ。来年はぜひヘチマを育て、見に来てもらわなくてはと思う。
私も小学生の頃は彼のように純な子どもだったと思う。好きでなかった祖父のために、敬老の日に自分の小遣いを出して街で一番と評判の最中を買って来た。けれども酒飲みの祖父はそんなに喜ぶ様子がなかった。翌年は喜んでくれた祖母が亡くなってしまったので、もうプレゼントの意欲を失っていた。私が家族や社会に関心を持つようになったのは、祖母の死に大きな契機があったと思う。葬式は我が家で行なわれ、隣近所の人たちがお手伝いに来ていた。それは悲しいというよりもお祭りのような雰囲気だった。人が死んでいるのに、なぜこんなにも陽気なのかと腹が立った。祖母が亡くなって、どれだけ経ていたのか、祖父に再婚の話があり、私は祖父をドスケベと思い、敵意を持った。
今ならそんなことは理解できるが、その頃の私は、自分はこうした低俗な人間にだけはなるまい、彼らの意識が卑しいのは島国根性だからだ、そうならないためには日本的なものに触れないようにし、西洋思想の根幹を成すキリスト教に救いを求めよう、そう考えた。小学校の図書室にあった『アンクル・トムの小屋』を読み、聖書に憧れた。中学校に上がると、通学途中にキリスト教会があり、私はここにこそ自分の生きる道があると考え教会に通いだした。私がわずかに知っている仏教の世界では諦めが支配しているとその頃の私は思っていたけれど、キリスト教では「汝の敵を愛せよ」とか「右の頬を打たれたら左の頬を出せ」と積極的なので、ますます私は惹きつけられていった。
中学・高校とキリスト教会に通ったことが自分を創る上で大きな影響となっていると思う。人は何を求めて生きているのか、それを考えさせてくれた私の出発点であった。
「スズキさんとこなら庭が広いでしょう」と彼は言うけれど、何よりも私の顔を思い浮かべてくれたことに感謝しなければならない。私はこの男の子が好きで、一昨年のバス旅行の時も一緒に名所を歩いた。2年前だから小学2年だが、結構歴史の知識があった。学校では落ち着きがないとか言われて彼のお母さんは悩んでいたけれど、私はその発想のユニークさから彼を「天才」と呼んでいる。小学4年の今年は、学級委員を務めるなどしてずいぶん大人になってきている。その彼が「スズキさんに」とわざわざ届けてくれたのだ。来年はぜひヘチマを育て、見に来てもらわなくてはと思う。
私も小学生の頃は彼のように純な子どもだったと思う。好きでなかった祖父のために、敬老の日に自分の小遣いを出して街で一番と評判の最中を買って来た。けれども酒飲みの祖父はそんなに喜ぶ様子がなかった。翌年は喜んでくれた祖母が亡くなってしまったので、もうプレゼントの意欲を失っていた。私が家族や社会に関心を持つようになったのは、祖母の死に大きな契機があったと思う。葬式は我が家で行なわれ、隣近所の人たちがお手伝いに来ていた。それは悲しいというよりもお祭りのような雰囲気だった。人が死んでいるのに、なぜこんなにも陽気なのかと腹が立った。祖母が亡くなって、どれだけ経ていたのか、祖父に再婚の話があり、私は祖父をドスケベと思い、敵意を持った。
今ならそんなことは理解できるが、その頃の私は、自分はこうした低俗な人間にだけはなるまい、彼らの意識が卑しいのは島国根性だからだ、そうならないためには日本的なものに触れないようにし、西洋思想の根幹を成すキリスト教に救いを求めよう、そう考えた。小学校の図書室にあった『アンクル・トムの小屋』を読み、聖書に憧れた。中学校に上がると、通学途中にキリスト教会があり、私はここにこそ自分の生きる道があると考え教会に通いだした。私がわずかに知っている仏教の世界では諦めが支配しているとその頃の私は思っていたけれど、キリスト教では「汝の敵を愛せよ」とか「右の頬を打たれたら左の頬を出せ」と積極的なので、ますます私は惹きつけられていった。
中学・高校とキリスト教会に通ったことが自分を創る上で大きな影響となっていると思う。人は何を求めて生きているのか、それを考えさせてくれた私の出発点であった。