オクラはまだまだ背丈が伸び続け、176センチにまでになった。しかし、未だに花は咲かない。花芽も出来ていない。どうしてなのだろう?花が咲いている畑のオクラを見ると、私が鉢植えにしたものとはどうも種類が違う。葉や茎の色が我が家のオクラは紫っぽいのに、花が咲き実を付けているオクラは緑っぽい。一時期は我が家のオクラも葉を大きく広げていたのに、今ではすっかり細く小さく伸びている。不思議だなあーと思いながら、ベランダの観葉植物として眺めている。
不思議だと思うことは、例の大阪地検の特捜部の主任検事の言動だ。郵便不正事件の証拠を改ざんしたとして、起訴され、懲戒免職となった。証拠改ざんを知りながら隠したとして当時の特捜部の部長と副部長が起訴される見込みだが、ふたりは容疑を否認し徹底抗戦の構えである。これに対して改ざんした主任検事は容疑を認めていると報道されている。検察が証拠を検察の筋書きを立証するために改ざんしたなら、誰でも犯人に仕立て上げることが出来る。こんな恐ろしいことが現実に行なわれていたと思うと身震いしてしまう。
封建時代ならそういうこともあったかもしれないが、司法・立法・行政の3権力分立の民主主義の今日にあって、このようなことが行なわれているとはいったい何を意味しているのだろう。それにしても、誰が見てもすぐに分かるような幼稚な「改ざん」を彼はなぜ行なったのだろう。また、上司は「過失だった」と言うのであれば、なぜそのように誰からも疑われることのないように申し開きをしなかったのか、裁判という厳粛なものを余りにも軽く見ていないか、不思議だ。最高検察はこの事件をどのように捉えているのだろう。
海上保安庁が捕らえた中国漁船の船長を検察が釈放したことで、国会では自民党が盛んに「政府は検察に責任を丸投げしている」と非難している。それは政府が検察に口出しすべきだと言っているように聞こえる。自民党は政府の責任で解決すべきだと言いたいのかも知れないが、国内法に基づいて船長を逮捕したというのだから、司法に行政が口出しすべきではないという政府の原則論は間違ってはいない。船長の釈放について、政府の判断を仰いだであろうことは明白だけれど、そこは阿吽の呼吸と見るべきだろう。
私が不思議だなぁーと思うことは、懲戒免職となった主任検事は本当は何をしたかったのだろうということだ。すぐにばれるような幼稚な行為をしたことには何か背景があるような気がしてならない。でなければ主任検事が「時限爆弾を仕掛けた」と言った意味は何なのか、全く違うところに私たちの目は向けられてしまっていないかと心配になる。そもそもこの事件は厚生省の認可を受けた障害者団体が不正な利益を得ていたことに始まる。障害者団体は架空のものだったかもしれないが、厚生省が発行した認可は正当なものだった。
それでは誰が何のためにそのような行為を行なったのか。認可証を発行した厚生省の係長は誰の指示だったのか。もし彼が単独で行なったのなら、彼の上司はなぜそれを阻止できなかったのか、彼はなぜそのような行為を行なったのか、不思議なことがまだまだ多い。
不思議だと思うことは、例の大阪地検の特捜部の主任検事の言動だ。郵便不正事件の証拠を改ざんしたとして、起訴され、懲戒免職となった。証拠改ざんを知りながら隠したとして当時の特捜部の部長と副部長が起訴される見込みだが、ふたりは容疑を否認し徹底抗戦の構えである。これに対して改ざんした主任検事は容疑を認めていると報道されている。検察が証拠を検察の筋書きを立証するために改ざんしたなら、誰でも犯人に仕立て上げることが出来る。こんな恐ろしいことが現実に行なわれていたと思うと身震いしてしまう。
封建時代ならそういうこともあったかもしれないが、司法・立法・行政の3権力分立の民主主義の今日にあって、このようなことが行なわれているとはいったい何を意味しているのだろう。それにしても、誰が見てもすぐに分かるような幼稚な「改ざん」を彼はなぜ行なったのだろう。また、上司は「過失だった」と言うのであれば、なぜそのように誰からも疑われることのないように申し開きをしなかったのか、裁判という厳粛なものを余りにも軽く見ていないか、不思議だ。最高検察はこの事件をどのように捉えているのだろう。
海上保安庁が捕らえた中国漁船の船長を検察が釈放したことで、国会では自民党が盛んに「政府は検察に責任を丸投げしている」と非難している。それは政府が検察に口出しすべきだと言っているように聞こえる。自民党は政府の責任で解決すべきだと言いたいのかも知れないが、国内法に基づいて船長を逮捕したというのだから、司法に行政が口出しすべきではないという政府の原則論は間違ってはいない。船長の釈放について、政府の判断を仰いだであろうことは明白だけれど、そこは阿吽の呼吸と見るべきだろう。
私が不思議だなぁーと思うことは、懲戒免職となった主任検事は本当は何をしたかったのだろうということだ。すぐにばれるような幼稚な行為をしたことには何か背景があるような気がしてならない。でなければ主任検事が「時限爆弾を仕掛けた」と言った意味は何なのか、全く違うところに私たちの目は向けられてしまっていないかと心配になる。そもそもこの事件は厚生省の認可を受けた障害者団体が不正な利益を得ていたことに始まる。障害者団体は架空のものだったかもしれないが、厚生省が発行した認可は正当なものだった。
それでは誰が何のためにそのような行為を行なったのか。認可証を発行した厚生省の係長は誰の指示だったのか。もし彼が単独で行なったのなら、彼の上司はなぜそれを阻止できなかったのか、彼はなぜそのような行為を行なったのか、不思議なことがまだまだ多い。