友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

人間は優しい存在なのに

2010年10月08日 21時41分25秒 | Weblog
 今日は名古屋市緑区へ井戸掘りに行ってきた。結果から言えば、まだ途中である。この辺りは尾張丘陵地の延長線上にあり、粘土質と小石が混ざり合い畑作にも適さない土地が続いている。昔は雑木林が続いていたけれど、人の手によって果樹園に変わったところもあるが、大方は住宅地として開発されている。住宅には適した環境かも知れないが、ここに井戸を掘るのは至難の業であった。それでも鋼管で8メートル掘ることが出来た。さて、それで水が出るかと言えば、必ずしもそうではない。来週もう一度挑戦することにして、今日の作業を終えた。

 今晩はカミさんが友だちと会食で出かけて行ったので、一人で食事の準備をして、一人でワインを飲んでいい気分になっている。そこでパソコンを開くと、私のブログにいくつかのコメントが寄せられている。私は自分のことを知っている人たちに向かってブログを書き続けているが、社会の変革を目指そうとか、国家を作り変えようとか、そういう野心はすでに無くなっている。この世はなかなか変わるものではなく、人々の長い営みを経て、徐々に変わっていくものだというのが私の結論だ。けれども、そのためには普通の人々の、これはおかしいんじゃないか、こうあった方がいいのではないか、そういう思いが常に発信されていることが必要だ。

 私のブログは、私を知っている人たちへの手紙に過ぎないが、それでも私の発言に関心を示してくださる人たちには誠実に答えたいと思っている。私は生きるということは何だろうとずっと考えてきた。そこから男と女はどういうものなのだろうとも考えさせられてきた。私の酔っ払ったような発言に対して、真面目に批判してくださった人は、私以上に生きていく意味や人のつながりやその集団である地域やあるいは国家とか、もっと言えば地球のあり方について、真剣に考えている人たちなのだろう。

 菅・仙谷政権は社会主義だと週刊誌などでも批判されていたけれど、菅さんは主義主張というものがないと私は思っている。菅さんには哲学とか思想というものがない。つまり、政治的な強固な信念がないのだ。科学技術予算を削るような「社会主義政権」と非難されているけれど、菅内閣はこれまでの自民党内閣とどれほどの違いがあるのであろうか。それでも国民の多くは自民党政治ではない、新しい政治を望んでいるのだから、それに答えるのが民主党と民主党政権の役割だと思う。

 中国や韓国と仲良くすることは出来ないと、私の友人も言うけれど、それでは自国の国益を守るための「戦争」へ発展していくことにもなりかねない。仲良くするためには、(普通の生活でもそうだけれど)、まず自分の方から相手を信じなければならないだろう。相手を疑いながら、自分を信じよと言ってもそれはまず無理であろう。人を信じるためには、自分が相手を信じる他ない。もし、それで相手が裏切るなら、まだまだ自分の愛情が足りなかったのだ。南京虐殺があったか否かと言えば、従軍した日本の兵士が殺したと言うのだから、事実はそうだったのだろう。虐殺された数が違うと言う人もいるけれど、そんなことが問題の本質ではないだろう。

 人間は本当は優しい存在なのに、時には残虐にもなりうるということだ。だから戦争はしてはならない。
コメント
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