友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

恋のドラマ

2010年10月29日 22時04分06秒 | Weblog
 先週の土曜日の夜に次女夫婦がやってきて、ダンナの方は先に帰ったのに次女はまだ滞在している。明日は帰るということで、中学時代からの親しい友だちとの食事会に出かけていった。そんな次女のもとに高校の同窓会に案内ハガキが届いていた。女友だちで集まった時に、「同窓会に出かけて行ったら何かいいことがあるのかな?」ということが話題になっていたそうだ。「素敵なおじ様に口説かれるかもしれないわね」とか、「クラス会で再会し、再び恋が燃え上がるって言うわよ」「クラス会ならそういうこともあるかも知れないけど、同窓会じゃー年寄りばっかりじゃないの」と話が盛り上がったそうだ。

 クラス会をきっかけに、昔好きだった人との恋に発展していくという話はよくある。そんなことが新聞に出ていたし、実際にダンナがカミさんに「クラス会へ参加することを許さない」と言うし、逆にクラス会に参加したダンナのケイタイに女友だちからメールが届き、「何も疚しいことはない」とダンナが言うのに、カミさんは焼餅を焼いて夫婦仲が不仲になったと新聞の投書欄にあった。人が恋に落ち入るのに、年齢の差は関係ないようだ。先日もテレビで80歳のダンナを世話する51歳の女の人の話があった。ダンナの認知症が進んで世話することが困難になったばかりか、生活そのものが成り立たないと女の人は嘆いていた。

 一緒にテレビを見ていた潔癖症の次女は、「自業自得よ。そんなのは分かって結婚したんだから、先のことを考えておかなかった自分の責任じゃない」と切り捨てる。「恋だ愛だと浮かれているから、置かれている現実が見えないのよ」と手厳しい。私は、「浮かれていたから恋なのではないの。恋がまるで計算通りであったなら、そんなのは恋とは言えないんじゃないの」と言いたかったけれど、それを口にしたらケンカになってしまうので止めた。でもさ、恋は会ったのにもう会いたくて仕方ない。いつも一緒にいたいし、会うまでの瞬間がドギドギしてしまう、そんな先の見えないものではないの。

 NHKテレビで鈴木京香さんが主演するドラマがある。17歳も年下の男性に恋する不倫劇だが、恋は先の見えない不安定なものだ。結婚している男女が恋をすることは許されない。けれども、心の中で好きにならない保障がどこにあるだろう。人間は長い間、恋をすれば結婚し、結婚したら恋はしないと決めてきたけれど、誰がどうしてそう決めたのだろう。確かに次女が言うように恋などしていたら社会的にも身の破滅だろう。現実の社会は決して、結婚した男女が恋することを許さない。

 それなのになぜ人間は恋のドラマを多く作ってきたのだろう。結婚した人も「ああ、素敵な人だ」と心の中では恋することはあると思う。肉体の交わりはなくても、恋人のように付き合うことができる人もいる。人間は誠に勝手でそして複雑な存在である。恋のドラマが多いのは、自分の心に共通するものがあるからだろう。観ていることでワクワクしている自分を抑えているのではないだろうか。
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