友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

人生のほんの少しのズレ

2010年10月07日 20時05分20秒 | Weblog
 ノーベル化学賞がふたりの日本人学者に贈られることになった。今朝の新聞各紙はその偉業に多くを割いて報道していた。昨日は衆院本会議で、菅総理の施政方針に対する野党の代表質問が行なわれたけれど、そのやり取りは吹っ飛んでしまっていた。自民党の谷垣総裁の質問は、確かに鋭さはなかったけれど、真面目な態度でさすがに紳士だなと思った。その谷垣総裁の後、質問に立った稲田朋美さんは弁護士出身というが、ここまで言うかと思いほどの言葉で罵倒していた。テレビで見る限りでは均整の取れた美人で、長い付けまつげが印象的だった。好き嫌いでは申し訳ないけれど、私はとてもこの女性とは暮らせない。

 稲田さんは安倍晋三前総理と同じような考え方のようで、民主党政権は教育や国家の安全をないがしろにしていると盛んに非難していた。「友愛などとネタボケたことを言っているから、外国に馬鹿にされる」というようなことを言っていたけれど、勇ましいことが好きな人たちはきっと大いに共感したことだろう。若い政治家の中に、この人のように考える人が増えてきている。私は寒気がして、「何で仲良くすることを馬鹿なことだと言い切ってしまうのか」と悲しく思った。政治が当面する現実に立ち向かわなければならないことは理解できるけれど、しかし、どのような方向へ人々を導くかとなれば、それはより高い理想へということであろう。

 それにしても、人間はいろんなめぐり合わせの中で生きている。同窓生からノーベル物理学賞の受賞者が出たカミさんは「ノーベル賞は身近なもの」のように思っている。今度の化学賞の受賞となった有機化合物についても、カミさんの友人が大学で連日連夜にわたって実験と研究を行なっていたものだけにすこぶる関心が高い。有機化合物の研究は日本ではかなり古くから取り組まれてきたそうで、「誰が受賞されてもいいほど層が厚い」そうだ。物理や化学の分野で日本人の能力は優れているのだそうだ。

 受賞者となられた北海道大学の鈴木章教授は「答えがいくつもある国語よりもひとつしかない数学の方が好き」ということで、理系に進まれたそうだが、「計算すれば答えが出る」理系に私は全く関心がいかなかった。そもそも計算が出来なかった。高校になって、数学は論理学だと気付いたけれど、すでに遅かった。どんな人生を歩むか、そこでどんな人と出会うか。大和塾の市民講座の講師を務めてくれた金美齢さんは「チャンスは目の前にある。捕まえるためには自分を磨かなくてはダメ」と話してくれたが、チャンスを生かすか否かは自分にかかっている。逆に言えば、目が出なかったのではなくて、生かす目が自分になかったという厳しい結果なのだ。

 日の目を見た人も、見なかった人も、人生のほんの少しのズレに過ぎない。日の目を見た人を羨ましく思ったり、日の目のでない自分の不運を嘆いたりするよりも、すばらしい功績を果した人を素直に賛美し、コツコツと生きている自分も素直に認める方が健康的だ。人生の差なんてほんの少しのズレだ。そのうちにきっといいこともあるはずだ。
コメント (2)
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