「世の中、そういうものですよ」とカミさんが言う。プロ野球は、パ・リーグのクライマックスシリーズで、成績では第3位のロッテが第2位の西武を続いて第1位のソフトバンクを破って、日本シリーズへ進出を決めた。セ・リーグも第3位の巨人が第2位の阪神を圧勝した。この勢いで進めば、「今年の日本シリーズは第3位同士の戦いか」といった冗談が飛び交った。しかしここに来て、巨人は第1位の中日に全く歯が立たない。今晩、巨人が勝たなければ望みはなくなる。
「そうか、第3位のロッテと第1位の中日の戦いか。もし、ロッテが優勝するようなことになるとセ・リーグの力は全くたいしたことないと言われてしまうね」と私が言うと、カミさんは「私はそうなって欲しいと思っているんだけど」と言う。それに続けて、冒頭の「世の中、そういうものよ」と発せられた。「そういうもの」が何を意味しているのだろう。一般的には、必ずしも順調にはいかないと解釈できるが、第1位が第3位に食われることを指しているなら、番狂わせこそが世の中なのよということになる。
言葉は面白い。今日の中日新聞に「法然共生フォーラム」の特集記事が2ページにわたって組まれていた。その中に法政大学の田中優子教授が「江戸時代はほぼ100%の循環社会でした。髪の毛、爪、お風呂の残り湯、排泄物、かまどの灰まで別のものに生まれ変わってまた戻ってきます」と書いた。その前文は「江戸時代はほとんどの人が連句をやっていました」で始まっていた。つまり言葉遊びだ。最初に誰かが5・7・5を詠むと、次の人が7・7を付け加える。そうして歌の意味がどんどん変わっていってしまう。そこがとても面白く、笑ってしまうのだ。
昨日の歌舞伎、「身替座禅」は浮気な亭主が下男に身代わりを頼んで好きな女のところへ出かけるのだが、女房に身代わりがバレ、下男の代わりに女房が成りすますという話だ。それとは知らずに亭主が女とのやり取りを手柄話のように話して聞かせるという落語のような作品だが、舞台での動作は面白おかしく、ユーモアが溢れている。欧米人は「日本人は自己主張しない」と言うけれど、こと笑いに関しては実に心得ていると思う。おそらくそれは、言葉のせいではないだろうか。
初めて日本にやってきたヨーロッパ人は、余りにも日本人が明るくニコニコしているのでビックリしたそうだ。しかも皆、礼儀正しく教養もある。そんなことを伝道師が日記に記していたことを思い出した。「連句」はユーモア精神がなければ面白くないし、教養がなければ思いつかないし、知識の共有がなければ笑えない。そんなことが出来る国民はそんなに多くないだろう。話が飛ぶが、古代ギリシアでは円形劇場で芝居をやっていたが、そのテーマは人の世の不条理だったのではないかと思う。イギリスで劇作家シェイクスピアが活躍したのはエリザベス王朝の時代だ。文化が伸びるのはそれを支える経済力があったからだが、それにしても言葉が活き活きした時代である。
「そうか、第3位のロッテと第1位の中日の戦いか。もし、ロッテが優勝するようなことになるとセ・リーグの力は全くたいしたことないと言われてしまうね」と私が言うと、カミさんは「私はそうなって欲しいと思っているんだけど」と言う。それに続けて、冒頭の「世の中、そういうものよ」と発せられた。「そういうもの」が何を意味しているのだろう。一般的には、必ずしも順調にはいかないと解釈できるが、第1位が第3位に食われることを指しているなら、番狂わせこそが世の中なのよということになる。
言葉は面白い。今日の中日新聞に「法然共生フォーラム」の特集記事が2ページにわたって組まれていた。その中に法政大学の田中優子教授が「江戸時代はほぼ100%の循環社会でした。髪の毛、爪、お風呂の残り湯、排泄物、かまどの灰まで別のものに生まれ変わってまた戻ってきます」と書いた。その前文は「江戸時代はほとんどの人が連句をやっていました」で始まっていた。つまり言葉遊びだ。最初に誰かが5・7・5を詠むと、次の人が7・7を付け加える。そうして歌の意味がどんどん変わっていってしまう。そこがとても面白く、笑ってしまうのだ。
昨日の歌舞伎、「身替座禅」は浮気な亭主が下男に身代わりを頼んで好きな女のところへ出かけるのだが、女房に身代わりがバレ、下男の代わりに女房が成りすますという話だ。それとは知らずに亭主が女とのやり取りを手柄話のように話して聞かせるという落語のような作品だが、舞台での動作は面白おかしく、ユーモアが溢れている。欧米人は「日本人は自己主張しない」と言うけれど、こと笑いに関しては実に心得ていると思う。おそらくそれは、言葉のせいではないだろうか。
初めて日本にやってきたヨーロッパ人は、余りにも日本人が明るくニコニコしているのでビックリしたそうだ。しかも皆、礼儀正しく教養もある。そんなことを伝道師が日記に記していたことを思い出した。「連句」はユーモア精神がなければ面白くないし、教養がなければ思いつかないし、知識の共有がなければ笑えない。そんなことが出来る国民はそんなに多くないだろう。話が飛ぶが、古代ギリシアでは円形劇場で芝居をやっていたが、そのテーマは人の世の不条理だったのではないかと思う。イギリスで劇作家シェイクスピアが活躍したのはエリザベス王朝の時代だ。文化が伸びるのはそれを支える経済力があったからだが、それにしても言葉が活き活きした時代である。