今晩から次女夫婦が我が家へやって来る。以前は我が家の一室を使ってもらっていたけれど、長女たちが別に家を構えたので、隣りの部屋が空き家になっている。その部屋を使えば気兼ねなく過ごせるだろう。次女はまだ持ち主である長女に使ってもいいかとメールし、許可をもらったからというので、今日の午前中はフトンを運び、次女が大好きなフトン干しをして、ふたりが気持ちよく寝られるように準備をした。こちらに来ると決まって、長女のOKをもらったと言う時から、カミさんは少しずつ部屋の掃除を始めていた。今日はその総仕上げである。
それで、「今晩は何時に来るの?」とたずねると、「遅くなるから直接隣りの部屋に行くので、鍵だけはわかるようにしておいて」と次女は言う。何でもバンコクにいた時の友だちと会うので、帰りは遅くなるということらしい。友だちが多いのはいいことだけれど、そうか今晩は会えないのかとちょっと寂しい気持ちになる。明日は、長女夫婦も我が家に集まることになっているらしいけれど、長女は午後から出勤だという。仕事柄仕方ないことではあるけれど、やはりみんなが揃わないというのもちょっと寂しい。
それでも久しぶりに、ふたりの娘のダンナが揃うのだから「よし」としよう。次女のダンナはかなり酒が飲めるけれど、仕事の付き合いや友だちとの付き合いで、少し飲み過ぎているらしい。次女も飲める方なのでふたりで結構飲みに行くこともあるようだ。その次女が「少し飲み過ぎみたい」と心配しているから、度を越しているのかもしれない。私もお酒を飲むので、飲まない方がいいとまでは言わないが、やはり自分のためにほどほどにしておいた方がいいだろう。身体を壊してまで飲む必要は全くないと思うからだ。
私も仕事の付き合いで飲む時は、「お酒を殺して飲む」という飲み方であった。「まあ、一杯」と差し出されて、「飲めません」とは言えなかった。「強くはありませんから」と断ってから飲むようにしていた。飲んでいる時は酔いが回ってきても、酔いつぶれるような恥だけはしないようにと言い聞かせて飲んでいた。だから、家に帰るともう限界で、一気に酔いが回ってきてバタンキューだった。誕生日会の友だちが「それでも、よく飲めるようになってきた」と言ってもらえるように、多少は酒に強くなったのかもしれない。
私が地方新聞をつくっていた時、この町の町長から「酒は訓練で飲めるようになる」と教えられた。彼は政治家になりたいと思っていたが、酒が飲めない、飲めるようにならなければ政治家になれない、そこで毎日訓練したそうだ。何事にも徹底して取り組みタイプで、あの頃はお酒を飲めばカラオケで歌う時代だったから、カラオケも訓練し、独自の歌い方を確立していた。その町長からある時、「家に来い」と電話があった。町長の家に行くとカラオケセットが玄関に用意されていた。「これを貸してやるから練習しておけ」と言う。気の合う町長だった。
それで、「今晩は何時に来るの?」とたずねると、「遅くなるから直接隣りの部屋に行くので、鍵だけはわかるようにしておいて」と次女は言う。何でもバンコクにいた時の友だちと会うので、帰りは遅くなるということらしい。友だちが多いのはいいことだけれど、そうか今晩は会えないのかとちょっと寂しい気持ちになる。明日は、長女夫婦も我が家に集まることになっているらしいけれど、長女は午後から出勤だという。仕事柄仕方ないことではあるけれど、やはりみんなが揃わないというのもちょっと寂しい。
それでも久しぶりに、ふたりの娘のダンナが揃うのだから「よし」としよう。次女のダンナはかなり酒が飲めるけれど、仕事の付き合いや友だちとの付き合いで、少し飲み過ぎているらしい。次女も飲める方なのでふたりで結構飲みに行くこともあるようだ。その次女が「少し飲み過ぎみたい」と心配しているから、度を越しているのかもしれない。私もお酒を飲むので、飲まない方がいいとまでは言わないが、やはり自分のためにほどほどにしておいた方がいいだろう。身体を壊してまで飲む必要は全くないと思うからだ。
私も仕事の付き合いで飲む時は、「お酒を殺して飲む」という飲み方であった。「まあ、一杯」と差し出されて、「飲めません」とは言えなかった。「強くはありませんから」と断ってから飲むようにしていた。飲んでいる時は酔いが回ってきても、酔いつぶれるような恥だけはしないようにと言い聞かせて飲んでいた。だから、家に帰るともう限界で、一気に酔いが回ってきてバタンキューだった。誕生日会の友だちが「それでも、よく飲めるようになってきた」と言ってもらえるように、多少は酒に強くなったのかもしれない。
私が地方新聞をつくっていた時、この町の町長から「酒は訓練で飲めるようになる」と教えられた。彼は政治家になりたいと思っていたが、酒が飲めない、飲めるようにならなければ政治家になれない、そこで毎日訓練したそうだ。何事にも徹底して取り組みタイプで、あの頃はお酒を飲めばカラオケで歌う時代だったから、カラオケも訓練し、独自の歌い方を確立していた。その町長からある時、「家に来い」と電話があった。町長の家に行くとカラオケセットが玄関に用意されていた。「これを貸してやるから練習しておけ」と言う。気の合う町長だった。