友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

秋桜

2010年10月24日 15時56分02秒 | Weblog
 可児市の「花フェスタ」公園のコスモスの写真を送ってもらった。満開のコスモスがとてもきれいだと言っていた。「花フェスタ」はバラで有名だが、秋に出かけることは滅多になかった。何時だったか、北陸へ出かけた時、コスモス畑がツアーのコースに入っていた。遠くから見た時はきれいだと思ったけれど、畑に立ってみるとそれほどの感激はなかった。どんな風に咲いているか、誰と一緒にどんな気持ちで見ているか、そんないろんな要素が絡まって、受け取る感情も違うのだろう。

 中学3年の時、担任は数学の先生だったけれど、なぜかわからないがコスモスの話を聞いた覚えがある。それも先生が見たコスモスはアフガニスタンの大高原に咲く野生のもので、辺り一面にコスモスが群生していたというものだった。しかし、よく考えてみると、昭和30年代に先生がアフガニスタンに行ったわけはなく、すると写真を見て、そんな話をされたのだろうか。ずぅーと謎のままだけれど、私にはコスモスは群生しているものと刻み込まれている。

 青い空と咲き誇るコスモスと遠くに小さく見える山々。先生の話を確かめるためにも何時か、コスモスの原産国に行ってみたいと思っていた。ところが調べてみると、原産国はメキシコである。アフガニスタンの大高原の咲くコスモスは私が勝手に頭に描いたものだったのだろうか。先生から聞いたというのも、そんな風に自分が作ったものだったのか。それにしても中央アジアの大高原がコスモスの花に埋め尽くされている光景はきっと見事なものに違いない。

 コスモスの写真を眺めていると、山口百恵さんの『秋桜』が聞こえてくる。「うす紅の秋桜が 秋の日に 何気ない陽だまりに 揺れている」。嫁いでいく娘と母親の細やかな心遣いが、小春日和のように心地よく、そしてちょっぴり寂しい。明治の初めにコスモスが持ち込まれ、秋桜と書くようになったという。うまい表現だなと思う。花弁の形は桜に似ているし、群生ならばさらに印象的なところもそっくりだ。コスモスの花言葉は「真心」だそうだ。コスモスはギリシア語で秩序という意味があるそうだが、宇宙のことをコスモスともいうが、花の形とどうつながるのだろう。

 コスモスをテーマに短歌を3首。
   中学の恩師が語るコスモスは 大地を覆う野の原にあり
   コスモスの花言葉知る君は言ふ 私の愛と同じものだと
   コスモスの群生の中でたたずむは わが天使なりわがモナリザなり

 さて、今晩は娘のダンナたちと久しぶりの会食である。私も台所に立たねばなるまい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする