友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

歌舞伎を観てきました

2010年10月21日 23時34分43秒 | Weblog
 歌舞伎の招待券をいただいたので、久しぶりに御園座へ出かけた。歌舞伎を観る機会はこんな場合しかないのは残念だけれど、よほど歌舞伎が好きでなければ観ることが出来ないほど観覧料は高い。特別席で観ようとすれば2万円もかかるし、そこそこの席でよいと思っても6千円である。今日の席は1階の後の席であったから、競り上がっているもののやや観難い。それに、観覧席の作り方のせいなのか聞きづらかった。観客席を眺めると1階はほとんどがお年寄りだ。名演も年寄りが多くなったけれど、御園座はそれを上回っている。添乗員のような人が引率している団体が多く、今日もどこかの商工会の関係の人たちが大勢いた。

 歌舞伎は若い女性たちに人気があるという話も聞くけれど、それは東京のことで、ここ名古屋ではそんな姿は見ない。そう思っていたけれど、閉幕して地下鉄の乗り場に向かう人たちの中には若い女性が何人かいたし、着物姿の若い女性もいた。確か私が子どもの頃は御園座へ出かけるとなると、女の人たちは盛装していたような気がする。今日も前の方の席に座ったご婦人の多くは着物姿であった。羽織のない帯姿の女性たちは色っぽく、昔はこんな風に女性たちがうきうきと芝居小屋に集まって来たのだろう。

 夜の部は午後4時15分から始まり終わったのは9時近かった。およそ5時間も御園座に居ることになる。途中で2度、20分と30分の休憩があり、その間に食事ができるようになっている。確か時代劇の映画を観ると、芝居小屋では客席で食事をしていたのではなかったか。人々は一日中芝居小屋にいて、飲み食いしながら芝居を楽しんでいたのだろう。芝居をする側もそこは心得たもので、本当の見せ場と時間稼ぎの場面などうまく織り込んでいると思う。おそらく歌舞伎は芸術性よりも娯楽を第一と考えていたのではないだろうか。

 本日の夜の部は4本もあり、どれも見応えがあった。「伽羅先代萩」は伊達騒動を題材にしたもので、子どもを殺されながら若君を守る乳母の苦しみ悲しみの物語である。確か先日結婚した市川海老蔵もこの政岡の役をやっていたように思う。今日の顔見世では坂田藤十郎が演じていた。また、「弁天娘女男白浪」では人気者の尾上菊之助が弁天小僧を演じていた。歌舞伎の面白さはこれだけでも充分に味わうことが出来た。歌舞伎は実に大掛かりな芝居で、昔に演じていた人々も観る人たちを楽しませるために様々な工夫を凝らしたことがよくわかる。

 明治末から大正にかけて、狂言をもとにして作られたという「身替座禅」も面白かった。浮気者の亭主と焼餅焼きの女房のやり取りは、ユーモアそのもので尾上菊五郎の演技が光っていたし、やはり歌舞伎の本質が娯楽であることをよく表していた。5時間があっという間に過ぎてしまったのも歌舞伎のうまさなのだろう。
コメント
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