友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

黙々とやれることがいい

2010年10月20日 22時03分38秒 | Weblog
 昨日は絶好の農耕日和だったのに、結局は何も出来なかった。それで今朝は早くからバルコニーに出て、鉢の土の入れ替え作業をする。鉢によってはミミズの赤ちゃんが出来ているので、つぶさないようにひとまず牛フンの乾燥肥料の入ったビンの中に入れていく。ミミズ同士が絡まって、赤く染まっていく様はSEXを見るようだ。サルビアの根を取り除き、白カビが張っていたら駆除し、時々いる蛾の幼虫もゴミ箱行きである。「いろんな生き物が共存する」ことは、全体としては正しく必要なことだけれど、ここで花を咲かせようとするとどうしても駆除することになる。人間は本当にエコではなくエゴだと思う。

 名古屋市で開かれている国連の「生物多様性条約第10回締約国会議」(COP10)は、先進国と途上国との意見の対立でなかなかまとまらないようだ。それでも多くの国の人々が、これからの社会について意見を交わすだけでも大きな意義があるだろう。NHKテレビは生物多様性がなぜ大切なのかという1分ほどの番組を流している。絶滅危惧が叫ばれている生物の中に、認知症の治療薬を作るものがあるというように、薬とか人間にとって役立つものがあるといった内容のものだった。生物多様性という考えは、あくまでも人間にとって有益か否かということのようだ。そんなことは当たり前だといわれそうだけれど、何だか寂しい気がした。

 鉢植えの土の入れ替え作業は全くの単純作業である。小さなスコップで何度も土を返す作業を繰り返す。繰り返しながら、不要なものを目を凝らして選び出し手取り除く。塊があればスコップで叩いて小さくする。それできれいになれば今度はバーク堆肥や腐葉土、牛フンや鶏フンを混ぜ合わせる。古い土に対してこれらの量を考えながら実に適当に加えて何度も混ぜ合わせる。ずぅーと下ばかり見つめて行なう単純作業だ。私は意外にもこの単純作業が苦にならない。放っておいたら何時間でも作業を続けてしまうだろう。休むこともなく、誰かと話すこともなく、ただ土を見つめて黙々と手を動かす。

 おかげで腰が痛い。背筋を伸ばすことが出来ないくらいだ。作業中は何を考えているのかと聞かれたことがあったけれど、頭の中はいつもいろいろな妄想に包まれている。しかしこうして今、パソコンに向かってあの時は何を考えていたのだろうと思い出そうとするけれど、具体的な筋道が出てこない。時にはあのことだったということも忘れている。ぼんやりと思い出せても、確かなものは何もない。作業している時は、かなり深刻にいろいろと考えているのに、なぜ思い出せないのだろう。時には短い物語が出来上がることだってあるのに、作業が終われば全てが消えてしまう。

 鉢植えの土を入れ替えれば、しばらく置いて今度はチューリップの球根を植えつける。ルーフバルコニーの工事の時に、半分近く鉢を割ってしまった。今日、探してみたけれどもう私が持っているのと同じ鉢はない。カミさんに内緒でまた鉢を増やさなくてはならないと思っている。
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「無線七宝」展を見てきました

2010年10月19日 18時45分22秒 | Weblog
 いつもならNPOおたすけの会議の日なのだが、都合の悪いメンバーが多くてお休みになった。緑区での井戸掘りは依然として8メートルから掘り進めないでいる。ここを突破できなければ、どこから依頼が来ても「いいですよ」とは言えない。機械いじりが好きで何でも自分で作ってしまうメンバーのひとりが、鋼鉄管の先端をいろいろと変えて作ってくれるのだが、どうもうまくいかない。これなら出来るという道具と方法がまだ確立できない。今日のように時間がある日は、その道具作りや試し掘りをやるべきなのだろうけれど、今はその気力さえない状態だ。

 「せっかく休みになったから新聞で紹介されていた『無線七宝』展を見に行かないか」と友だちが誘ってくれたので、「車がないので迎えに来てくれるなら」とずうずうしく答える。彼はわざわざ車を回してくれたので、あま市にある七宝焼きアートヴィレッジへ出かけた。どうして尾張の田舎のこの町で七宝焼きが伝統工芸にまでなったのか、私はそこが知りたいと思っていた。けれどその前に、七宝焼きがこんな風にして出来上がるのかという工程を見て、その精密さに感心してしまい、学芸員の方がいなかったこともあってとうとう聞き損ってしまった。

 私が「作品の解説書はどこにあるのですか?」と展示場にいた女性に尋ねると、「私は職員ではないのですが」と言いながらも実に親切に教えてくれた。お礼を言って、彼女が見ていた七宝焼きの作品を見ると、これが実に可愛い子犬の図柄の素敵なものだった。「これはいい作品ですね。あなたのもの?」と聞くと、「いいえ、私ではありませんが、褒めていただいたと伝えますね」と言う。「高いんでしょうね」と聞かなくてもいいことまで尋ねると、「こちらの3匹だけを別に描いた七宝焼きもあるそうです」とまで言う。手ごろな大きさの花瓶ではあったが、七宝焼きのよい作品はかなり高い。「ありがとう」とだけ言って、その場を去ったけれど、値打ちなら買い求めてもよいと思える作品だった。

 彼が「ここのコーヒーショップはいいよ」と言うので、「連れてきてもらったお礼に僕がおごるから」と言って中に入った。ここの施設は地域のふれあいセンターにもなっているようで、店の中はお年寄りで賑わっていた。テラスの向こうには芝生の大きな広場があり、保育園の園児が40人ほど走り回っていた。11時30分を過ぎると、お年寄りや他の施設の利用者らしき人々がランチを食べにやってきた。値段までは見なかったけれど、格安でやっているのかもしれない。こんな風に町の人々に利用されるならばこの施設も嬉しいだろう。

 家に帰るとカミさんはいなかった。「ひとりで食べてください」と置手紙があるが、別に何か用意してある様子はない。冷蔵庫の中のものを取り出して自分で料理をする。食べ終わってしばらくするとカミさんが戻ってきた。茨城にいる次女夫婦が今週末にやって来るというので、空き部屋になっている隣室を掃除する。我が家で寝泊りするよりは気楽でいいのだろうが、たまにはみんな揃って食事が出来る機会もあるといいな。
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目的の正しさは凶器になる

2010年10月18日 21時08分58秒 | Weblog
 チリ鉱山の救出劇は映画になるという。あれだけのドラマだから無理もないだろう。本も出版されるらしい。毎日メモを取っていた人もいるという。まだ地上の人々が知らない地下での69日間があるようだが、それもまた当然だろう。33人もいたのだから、それだけに複雑なそれぞれの人生がある。そんな一人ひとりを追って書き綴れば、ワクワクするような人生劇場になるだろう。誰でも、どんな人でも、人生はドラマだ。小説や映画になったからドラマがあるわけではない。

 今年のノーベル平和賞に、中国の一党独裁体制の廃止や人権の保障を求める2008年の「〇八憲章」を起草した民主活動家で、現在は獄中にある劉暁波氏(54)が選ばれた。これに対して中国政府は「犯罪者はノーベル賞に値しない」と反発している。中国の学生らの民主化要求運動が武力制圧された1989年の天安門事件で、劉氏は指導的役割を果たしたと言われている。今年2月に国家政権転覆扇動罪で懲役11年の実刑が確定した。劉氏は1956年生まれというから、紅衛兵運動が始まった年は10歳、一番盛んな時代を生きてきた人だ。

 子どもたちにとって、紅衛兵運動は歓喜な時だったと日本に来た留学生が語っていたことを思い出す。そのうちにどんどんエスカレートしていき、怖くなったとも話してくれたけれど、同じ仲間の間ではそんな顔は絶対に見せられなかったそうだ。紅衛兵運動も、「負けられません、勝つまでは」も、人種差別運動も、宗教戦争も、みんな似ている。絶対はあっても、寛容とか友情とか相互理解は存在しない。いかなることがあっても正しいことはひとつしかない。正しいことを実現するためには何よりも団結しなくてはならない。終わりよければ全てよし、目的は手段を選ばずだ。こうして正しいとされたことはますます大きな力を得ていく。

 集団の中にいると、その集団の結びつきが強いほど、団結が強調される、あるいはみんなが一致していることが求められる。会社組織でも、地域社会でも、不特定な人々の集まりでしかないはずなのに、「協力」が求められ、いつしか絶対的なもののように扱われていく。これが政治組織や宗教組織あるいは何かの目的のための組織なら、当然のように一枚岩であることが求められる。ナショナリズムはしばしば国家が国民に強いたように思われがちだけれど、こうした組織では、組織の中の人が人に強く求める。

 ここでは絶対の近くに居なくてはなければならない。少しでも、異議や疑問を唱えれば異端者として葬られる。大勢の前で罵倒されるくらいならまだいい。人々は自分を守るために、異端者をあぶり出し、血祭りに上げようとする。そうすると人々の関心は犠牲者に集中し、最も強く異端者を非難すればまず自分は安泰となる。他人を葬り、自分は生き延びることだけが目的となった。連合赤軍事件はその典型だ。暗黒の世界は決して遠い時代ばかりにあったのではなかった。
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私たちが何をするかが大事なこと

2010年10月17日 19時01分24秒 | Weblog
 ノーベル賞だとかチリ鉱山の救出劇だとか、いい気持ちにさせてくれるニュースに浮かれていたら、とんでもないことが起きていた。チリ鉱山の救出がうまくいったことが伝えられた10月14日、中日新聞の『中日春秋』は「ああ、落胆した」で始まっていた。オバマ政権下で初めてとなる臨界前核実験が行なわれたことへの嘆きである。オバマさんが大統領になって、よい意味でも悪い意味でも、果たしてどこまで「チェンジ」出来るのか不安と期待で世界中が注目していたと思う。

 アメリカの中間選挙に向けての報道を見ていると、あれだけ多くの人が大統領選挙でオバマさんを応援したのに、その原動力となった学生たちを中心とする若者がオバマ離れを起こしているようだ。「オバマは何もチェンジしない」と落胆しているのだ。私は経済政策のような難しいことは「チェンジ」出来なくても、イラクやアフガンとそれに伴う「犯罪者」の問題を一歩でも二歩でも解決に向けてほしかった。経済政策はおそらく誰がやっても同じことだろう。経済にこれという特効薬などありはしないから。

 名古屋で開かれている地球環境についても、アメリカは大きな責任を負いながら、自国の利益のみを優先している。私に言わせれば、環境についても食糧についても資源についても、自国の利益のみを優先できる時代ではなくなってきている。誰かがそれを口にしなければ、まだまだ取り合いは続くだろう。冷戦時代が終わり、アメリカが唯一の超大国の今こそ、アメリカ大統領に就任したオバマさんがその口火を切って欲しいと期待していた。オバマ大統領の「核なき世界を目指す」と口にしたプラハ演説でいよいよ新しい時代がやってきたと思った。

 けれども現実はそんな甘いものではない。甘いものではないことくらい誰でも分かっているけれど、だからこそ踏み出して欲しいと願った。現実に目を向けてばかりいれば、何も出来ない。何もしない方が政権の維持は出来る。そうして政治はいつも目先の処理だけに追われていく。核兵器をなくし、戦争をなくしていく筋道を模索しなければ、人はまた殺しあわなければならなくなる。地域のあるいは特定の宗教のそして国家の利益のみを優先させれば、小競り合いが生まれ、憎しみが生まれ、やがては死者を生むことになる。

 アメリカの臨界前核実験が行なわれて、そこにオバマ政権の危うさを取り上げた『中日春秋』は立派な記者魂だと思う。わが国も長期にわたった自民党政権から民主党政権に変わった。変わったばかりの民主党に何が出来るだろう。ケネディが大統領に就任した時、「政府が何をしてくれるかではなく、あなたが何をするかだ」と演説をしたけれど、確かにオバマさんや民主党にねだることではなく、私たちが何をするかなのかもしれない。民主主義は個々の人間に依拠するものであれば、個々が何をするかが一番大事なことではないだろうか。
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平等か不平等か

2010年10月16日 18時15分45秒 | Weblog
 カミさんが「日本オープンゴルフ選手権大会」をテレビ観戦していたので、私もしばらく一緒に見ていた。そういえば、チリ鉱山の救出の様子もよくまあ長い時間じいっーと見ていると感心するくらいテレビを観ていた。それもただ黙って観ているわけではなく、時々なんともすっとんきょうな声を上げている。確かに、チリの救出劇の時は、私も見ていて思わず涙してしまった場面が何度かあった。人は生きているだけで素晴らしいドラマだと思った。

 私はゴルフをしないので、プレイについてどうこう言う資格はない。同じ大きさのタマを同じように打って、しかし、同じ結果にはならない。そこがゴルフの面白さなのだろうか。カミさんはもちろん石川遼選手のファンであるけれど、その石川選手は昨日同じ歳のアマチュアと回り相手を意識しすぎたのか、今日は冴えなかった。アマチュアには負けられないという気持ちがプレッシャーになっていたわけだ。

 人間はいつも自分の周りの人を意識するように出来ている。うまくやりたいとかよく見せたいとか、そんな思いがつい自分の力量を超えてのしかかる。うまくいけば自信になるし、うまくいかなければ落ち込んでしまう。プレッシャーあるいはコンプレックスは、大きな力の元だけれど、その結果によってはせっかくの才能や素晴らしい性格までも潰してしまう。そんな時は、うまくいったならばひょっとしたら自分は天才かもしれないと思えばいいし、そしてうまくいかなかった時はまだまだ努力が足りなかったけれど、次のチャンスのためだと思えばいい。

 そんな自分に都合のいいようにばかり考えてとお叱りを受けるかもしれないが、飄々と生きることは、偉人にはなれないかもしれないが長生きする道ではないかと思う。ノーベル賞にかかわるテレビ番組で誰かが、「永遠の楽観主義こそが科学者の道」というようなことを言っていた。今年の受賞者に決定した鈴木章先生と根岸英一先生の恩師であるブラウン博士は「大きな樫の木も小さなドングリから」という言葉を残しているそうだ。誰もがみんな小さなドングリだった。大きな樫の木になることを目指してきた。それでいいと思う。結果は結果だ。

 「スケールの大きな人間がいない」と嘆く人もいる。私たちの前の世代なら「大きくなったら大将になる」が圧倒的であったそうだ。私たちの世代でも「大きくなたら野口英夫のような人」と偉人を上げていただろう。私も「貧困をなくしたい」と言っていた。今の子どもたちに「尊敬する人は?」と聞くと、「お父さんとお母さん」と答えるそうだ。夢が小さくなったのではなく、現実の尺度を理解していると考えた方が良いみたいだ。

 子どもは親の鏡。親の言うことを小さい時から聞いて育っている。テレビで「パイロットのリストラ」と聞いているのに、「大きくなったら飛行機の操縦士」とは言えない。大学を卒業しても就職口はないかもしれないという時代に子どもたちは生きている。これを不平等なのか平等なのか、決めるのは子どもたちだ。
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グリム童話の『寿命』

2010年10月15日 21時57分49秒 | Weblog
 「グリム童話に、『寿命』という話があるが知っているか」と聞かれた。そこで、パソコンで調べてみた。こんな話だった。

 世界を造った神様が次に生き物たちの寿命を決めようとしたところへ、ロバがやって来た。「30年はどうかね?」と神様が言うと、ロバは「朝から晩まで重い荷物を運ばされ、もっと働けと鞭打たれます。どうか、寿命を減らしてください」と言う。神様は気の毒に思い、ロバの寿命を18年とした。次にイヌが来たので神様は「おまえは30年でいいだろう」と言うのだが、イヌは「30年も走れないし、噛み付く歯も抜けてしまいます」と答える。神様は納得し、イヌに12年の寿命を与えた。その次にやって来たのはサルで、神様は「おまえはいつも楽しそうにしているし、30年でいいだろう」と言うと、サルは「私は人を笑わせるためにおかしなことばかりしていなくてはなりません。こんな生活を30年も続けることは我慢できません」と言う。神様は同情し、寿命を10年にした。

 そして最後に人間がやって来た。神様は「30年でいいね」と聞く。すると人間は「そんな短くては家を建てたばかりだ」と答える。そこで神様は、「ロバの寿命とイヌの寿命をたしてやろう」と言うけれど、「それではまだ足りない」と人間は言うので、「サルの分もたしてやろう。これ以上はやれないよ」と神様は言う。それで人間の寿命の70年となったのである。それでめでたし、めでたしなのかというとそうではないところがグリム童話の意味深さだ。つまり人間は、30年間は人間として生き、次の18年間はロバのように働き、その次の12年で足腰が弱まり、最後の10年はいつも楽しそうにしているように見えるけれど、実は笑われるつもりではないというものなのだ。

 人間は20世紀半ばから急激に寿命を延ばしてきた。ペットのイヌも寿命を延ばしている。けれど、寿命が延びていいことがあるのだろうか。今、人は60歳で定年退職するけれど、それは定年後は好きなように生きられるはずであったが、実際は社会とのかかわりを失い魂が抜けたような日々を送る人が多い。男ばかりではない。女もダンナのあるいは家庭のためにひたすら自分を押さえて生きてきたけれど、新しい人生が始まることを期待したのに何も変わらない。そればかりか、ダンナは濡れ落ち葉のようにまつわりついてくる。こんな人生でいいのだろうかと考える男と女がいるのも当然である。

 聖路加病院の日野原重明先生は99歳だが、人生にこれで終わりということはないと話している。野球だって9回のウラが終わらなければ、試合が終了したことにはならない。9回のウラに何が起きるか分からないからだ。確かに野球は筋書きのないドラマで、9回のウラのツゥーアウトから、えっーこんなことが起きるのというような大逆転劇があった。そんなことを期待しながら人生を送ることはないけれど、少なくとも今、充分に生きていることが自分の幸せであり、人を幸せにしていることは確かである。
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中日文化センターの特別講座を聞く

2010年10月14日 21時31分02秒 | Weblog
 中日文化センターで行なわれた特別講座「わたしの考える秀歌の条件」を聞きに行って来た。講師は歌人で中日歌壇の選者でもある岡井隆さん。岡井さんの人気のせいなのか、予定されていた会場が変更となった。聞くと参加者は70人になるそうだ。参加者のほとんどはわたしと同じくらいかもう少し上と思われる高齢者ばかりだ。そんな中に、私の斜め前にミニスカート姿の50代の女性がいた。若い人たちは短歌に興味を持つことはないのだろうか。参加者は実際に短歌を作っているのであろう、岡井さんの話に熱心に耳を傾け、メモを取っていた。

 しかし、席が後の方だったためか、話す内容が聞きにくい。岡井さんは昭和3年生まれと言うから82歳。私が通った短歌教室の先生もおそらく同じくらいの歳だった。やはり人は80歳を越すと声に力が無くなるのだろうか。岡井さんが冗談のつもりで話す小声が何を言っているのか分からない。それとも、短歌の世界に身を置いている人にはよく分かる話だったのだろうか。私の周りを見る限りでは、コックリコックリやっている人が結構いたから、退屈というよりも聞きづらかったと思う。それと、「秀歌とは何か」という主題についても、極論を言えば、絶対的な定義は難しいということだ。

 岡井さんは歌人の玉城徹さんと河野裕子さんの歌を取り上げて、解説してくださった。玉城さんの「いづこにも貧しき路がよこたはり神の遊びのごとく白梅」は、終戦後の貧しい路、それは人の歩いてきた道でもある、そこに神様が遊んでいるように白梅が咲いているという情景を詠んだものだと話す。玉城さんの作品の多くはこうした情景を真っ直ぐに詠ったものが多いそうだ。そこには1千年も2千年も変わらないものがある。「アララギ」の歌人が目指してきたものである。

 これに対比して、河野裕子さんの「あをぞらがぞろぞろ身体に入り来てそら見ろ家中あをぞらだらけ」とか「君は今小さき水たまりをまたぎしかわが磨く匙のふと暗みたり」の作品を取り上げる。河野さんの短歌はいろんなものをいっぱい詰め込んでいるばかりか、言葉の使い方もストレートではないが、その時その時の捉えている思いがよく分かると。そんな話を聞いていると、短歌が時には純粋に美を求め、時には生活に根ざした思いに重点を置き、揺れ動いてきたのだなと思った。

 話が聞きづらかったこともあり、眠気に襲われていたが、ふと斜め前を見ていて目が覚めた。そこで浮んだ2句。
  「靴を脱ぎ白き足指からませて 岡井隆の短歌論聞く」
  「教室の隣の女(ひと)はおもむろに スカートまくり太ももを掻く」
 お粗末でした。
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人生そのものに乾杯!

2010年10月13日 22時22分33秒 | Weblog
 今日のテレビはどこの局も、チリ鉱山に閉じ込められた工夫の救出劇を報じていた。69日間にも及ぶ地下生活は想像を超えるものがある。テレビは、すでにこの事故を映画化することや手記の発行あるいはインタビューなどが計画されていると言う。さらには、ギリシアの鉱山会社が閉じ込められた33人全員をギリシア旅行に招待するとか、スペインのサッカーチームがやはり全員をマドリードでのサッカー観戦のS席を用意しているとか、善意からなのかビジネスからなのかいろんなことが言われている。

 先ほどのニュースではすでに何人かの人々が700メートルの地下から救い出されたようだ。チリの大統領はまだ就任して間のない人らしいけれど、これまで続いてきた左翼政権から転換させた企業家のようで、メディアの社長でもあったと言うだけに、メディアの使い方が実にうまい。クリスマス頃の救出予定を、一部にはわざわざそのように報道させたと言われているが、いっきに2ヶ月も早めて、しかも地球上の多くの人々が注目をする中、夫婦で現地にいる姿を何度もテレビで見せている。

 私はまだ、小学生の頃だと思うけれど、古井戸に落ちた子どもを救出する洋画を見た記憶がある。子どもが落ちた穴は大人では入れないほど狭いため、救出のためにすぐとなりに穴を掘っていくというストーリーだったように思う。最後にはもちろん救い出されるのだが、それはとても怖い映画で、未だに閉所恐怖症から抜け出せないでいる。子どもの頃は土管やコンクリート管に入ると、もう出られないのではないかという恐怖感に襲われた。狭いところは絶対にイヤだった。身動きも出来ないような狭いところに閉じ込められたなら、何でも白状してしまうだろうから、自分はスパイとかに向かないと思った。

 チリの鉱山で閉じ込められた人たちは比較的広い空間にいる様子だが、それでも33人の仲間がいたから69日間も過ごすことが出来たのだろう。あれがひとりであったなら、これだけ長く正常な精神でいることは出来ないと思う。それにまた、いざという時には、冷静な判断と指導力を発揮できる人がいるようだ。落盤事故で地下700メートルの奥に閉じ込められて、助けに来てくれると誰が本気で信じることが出来るというのか。パニックになって当然なのに、みんなを冷静に引っ張ってきた人がいてくれたからこそ今日の救出劇があると思う。

 土壇場のところで、自分は何が出来るかが人の値打ち、人の本質なのかもしれない。地上では、本妻と愛人がはちあったとか、妻と母が受け取る金でもめているとか、33人の工夫の公にしたくないことまでもテレビは容赦なく暴き出していく。33人の人がいれば当然だけれど、33通りの人生があり、だからこそ映画になるのだろう。そう、人には人の人生があり、それは何にも代えることが出来ないものだ。妻を愛し、愛人も愛したからと言って、その人の人生を無にすることは出来ない。人生そのものに乾杯!である。
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それでは何のために行なったのか

2010年10月12日 21時35分17秒 | Weblog
 オクラはまだまだ背丈が伸び続け、176センチにまでになった。しかし、未だに花は咲かない。花芽も出来ていない。どうしてなのだろう?花が咲いている畑のオクラを見ると、私が鉢植えにしたものとはどうも種類が違う。葉や茎の色が我が家のオクラは紫っぽいのに、花が咲き実を付けているオクラは緑っぽい。一時期は我が家のオクラも葉を大きく広げていたのに、今ではすっかり細く小さく伸びている。不思議だなあーと思いながら、ベランダの観葉植物として眺めている。

 不思議だと思うことは、例の大阪地検の特捜部の主任検事の言動だ。郵便不正事件の証拠を改ざんしたとして、起訴され、懲戒免職となった。証拠改ざんを知りながら隠したとして当時の特捜部の部長と副部長が起訴される見込みだが、ふたりは容疑を否認し徹底抗戦の構えである。これに対して改ざんした主任検事は容疑を認めていると報道されている。検察が証拠を検察の筋書きを立証するために改ざんしたなら、誰でも犯人に仕立て上げることが出来る。こんな恐ろしいことが現実に行なわれていたと思うと身震いしてしまう。

 封建時代ならそういうこともあったかもしれないが、司法・立法・行政の3権力分立の民主主義の今日にあって、このようなことが行なわれているとはいったい何を意味しているのだろう。それにしても、誰が見てもすぐに分かるような幼稚な「改ざん」を彼はなぜ行なったのだろう。また、上司は「過失だった」と言うのであれば、なぜそのように誰からも疑われることのないように申し開きをしなかったのか、裁判という厳粛なものを余りにも軽く見ていないか、不思議だ。最高検察はこの事件をどのように捉えているのだろう。

 海上保安庁が捕らえた中国漁船の船長を検察が釈放したことで、国会では自民党が盛んに「政府は検察に責任を丸投げしている」と非難している。それは政府が検察に口出しすべきだと言っているように聞こえる。自民党は政府の責任で解決すべきだと言いたいのかも知れないが、国内法に基づいて船長を逮捕したというのだから、司法に行政が口出しすべきではないという政府の原則論は間違ってはいない。船長の釈放について、政府の判断を仰いだであろうことは明白だけれど、そこは阿吽の呼吸と見るべきだろう。

 私が不思議だなぁーと思うことは、懲戒免職となった主任検事は本当は何をしたかったのだろうということだ。すぐにばれるような幼稚な行為をしたことには何か背景があるような気がしてならない。でなければ主任検事が「時限爆弾を仕掛けた」と言った意味は何なのか、全く違うところに私たちの目は向けられてしまっていないかと心配になる。そもそもこの事件は厚生省の認可を受けた障害者団体が不正な利益を得ていたことに始まる。障害者団体は架空のものだったかもしれないが、厚生省が発行した認可は正当なものだった。

 それでは誰が何のためにそのような行為を行なったのか。認可証を発行した厚生省の係長は誰の指示だったのか。もし彼が単独で行なったのなら、彼の上司はなぜそれを阻止できなかったのか、彼はなぜそのような行為を行なったのか、不思議なことがまだまだ多い。
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私の出発点

2010年10月11日 21時08分10秒 | Weblog
 今年もやっぱり10月10日を前にキンモクセイが花開いた。近頃は運動会が早まってしまったけれど、私が子どもの頃は10月に運動会があり、キンモクセイの甘い香りと運動会は強く結びついていた。ヒガンバナは開花が遅れたけれど、キンモクセイは例年通りだった。昨日も今日も絶好の運動会日和だ。そんな昨日の午後のこと、最上階の孫で小学4年になる男の子が我が家を訪ねて来た。「スズキさんにと思って」とヘチマの種を差し出す。聞けば学校で育てていたヘチマの種だと言う。先生が「ヘチマの種が欲しい人」と言った時、真っ先に「スズキさんの顔が浮んだので、手を上げた」と話す。

 「スズキさんとこなら庭が広いでしょう」と彼は言うけれど、何よりも私の顔を思い浮かべてくれたことに感謝しなければならない。私はこの男の子が好きで、一昨年のバス旅行の時も一緒に名所を歩いた。2年前だから小学2年だが、結構歴史の知識があった。学校では落ち着きがないとか言われて彼のお母さんは悩んでいたけれど、私はその発想のユニークさから彼を「天才」と呼んでいる。小学4年の今年は、学級委員を務めるなどしてずいぶん大人になってきている。その彼が「スズキさんに」とわざわざ届けてくれたのだ。来年はぜひヘチマを育て、見に来てもらわなくてはと思う。

 私も小学生の頃は彼のように純な子どもだったと思う。好きでなかった祖父のために、敬老の日に自分の小遣いを出して街で一番と評判の最中を買って来た。けれども酒飲みの祖父はそんなに喜ぶ様子がなかった。翌年は喜んでくれた祖母が亡くなってしまったので、もうプレゼントの意欲を失っていた。私が家族や社会に関心を持つようになったのは、祖母の死に大きな契機があったと思う。葬式は我が家で行なわれ、隣近所の人たちがお手伝いに来ていた。それは悲しいというよりもお祭りのような雰囲気だった。人が死んでいるのに、なぜこんなにも陽気なのかと腹が立った。祖母が亡くなって、どれだけ経ていたのか、祖父に再婚の話があり、私は祖父をドスケベと思い、敵意を持った。

 今ならそんなことは理解できるが、その頃の私は、自分はこうした低俗な人間にだけはなるまい、彼らの意識が卑しいのは島国根性だからだ、そうならないためには日本的なものに触れないようにし、西洋思想の根幹を成すキリスト教に救いを求めよう、そう考えた。小学校の図書室にあった『アンクル・トムの小屋』を読み、聖書に憧れた。中学校に上がると、通学途中にキリスト教会があり、私はここにこそ自分の生きる道があると考え教会に通いだした。私がわずかに知っている仏教の世界では諦めが支配しているとその頃の私は思っていたけれど、キリスト教では「汝の敵を愛せよ」とか「右の頬を打たれたら左の頬を出せ」と積極的なので、ますます私は惹きつけられていった。

 中学・高校とキリスト教会に通ったことが自分を創る上で大きな影響となっていると思う。人は何を求めて生きているのか、それを考えさせてくれた私の出発点であった。
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