友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

中秋の名月

2013年09月19日 21時12分35秒 | Weblog

 朝、友だちがススキを届けてくれた。花瓶に生けて写真を撮った。ススキの葉を見るとトラのような模様がある。子どもの頃、堤防などで見たススキとは違うので気になった。今日は、カミさんたちは誕生日会ゴルフに出かけ、私は知人と安城市の井戸掘り現場へ出かけた。以前、豊明市で井戸掘りをした人たちがその前から挑戦していた現場で、砂が多く崩れてきてしまうため掘れなかったところだ。

 砂を掘り下げていくための道具を何種類か用意し、これらを使い分けて掘り進めていた。既に4メートル程のところまで水は上がってきていた。そこからどのように掘るのかと思っていたら、私たちが春日井市で使った道具とともに、塩ビ管の先にベロをつけたものを使って、砂を汲み上げていた。6メートル半程まで掘り、そこに吹管を入れて、深井戸用の手押しポンプを取り付けた。そうかそうかと思いながら見ていた。手押しポンプはスウェーデン製のものだった。

 早速、井戸掘り道具を借り受け、春日井の現場で試してみよう。そんなことを思いながらの帰り道、知人のケイタイが鳴った。介護施設に入っている奥さんが食事をせず元気がないので、その施設の看護師が近くの病院に救急車で運んだという。病院で検査したところ別に異常はない。けれども施設の看護師は食事が出来ないのでしばらく病院で面倒をみてもらって欲しいと言っている。「どうしましょう」という嫁からの電話である。

 知人はとりあえず病院に行くと急いで帰っていった。私が家に帰るとカミさんから「もうすぐ着きます。6時15分に待ち合わせて反省会のためいつもの中華料理店に行きます」と連絡が入る。中華料理店でビールを飲みながら談笑していると、10人ほどの高校生が入ってきた。その若いパワーに圧倒されて、今日は1時間ほどでお開きになった。店を出ると東の空に満月が美しく輝いていた。

 「満月は28日毎にやってくるけれど、どうしてこの月を中秋の名月というか、知っていますか」と友だちが言う。彼が言うには、9月のこの月は見るには丁度良い角度にあるからだという。なるほど、東の空の真横に月はある。ススキを持ってきてくれた友だちにススキの名を聞くと、「タカノハススキ」と教えてくれた。なるほど、ススキの葉は鷹の羽の模様と同じだ。旧暦の8月15日が満月とは限らないが、今年はたまたま重なった。それだけにいいことがきっとあると思いたい。

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名演『はだしのゲン』

2013年09月18日 19時08分29秒 | Weblog

 「踏まれても踏まれても伸びる麦のように、強くまっすぐ生きるんじゃ」。名演9月例会は、この夏、話題になった木山事務所による『はだしのゲン』だった。泣き虫の私は、情けないほど涙が流れて止まらなかった。亡くなられた中沢啓治さんの漫画『はだしのゲン』を木島恭さんがミュージカルに脚色したもので、漫画とは別の、胸を打つ作品だった。「あの戦争が終わって68年、忘れてはいけない、伝えなければいけない、家族の物語」である。

 ゲンは父母、姉、弟の5人で暮らしていた。父親は下駄屋で、戦争には批判的なために、「非国民」呼ばわりされているが、家族は父親を尊敬し仲がいい。ところが運命の8月6日がやって来た。原爆投下によって、父と姉と弟は家屋の下敷きになり、やがて火の海に包まれて亡くなってしまう。ゲンは母とふたりの生活を始め、母は女の子を出産する。ゲンはますます一家の大黒柱の自覚を強めていく。そこに死んだ弟にそっくりな男の子が現れる。戦争孤児の隆太を弟として迎え入れ、ふたりは「何でもやります」と仕事を求めて奔走する。

 原爆のために手足がただれ誰も介護しない男の世話をしてやっとお金を得て、生まれた妹のためにミルクを買って帰るが、妹はすでに亡くなっていた。妹を守れなかったことでゲンはひどく落ち込んでしまう。元気のないゲンを隆太は何とかしようと必死になるが、ゲンは悲しみの淵から抜け出せない。そんな時、70年間は草木も生えないと言われたヒロシマの大地に草の芽を見つける。父親の「麦のように、まっすぐに生きろ」の言葉がゲンの心に甦る。

 漫画『はだしのゲン』が目指したものをミュージカルでよく表現できたと感心した。ぜひ全国の学校で上演して欲しい。このミュージカルに文句をつけるような人は、よほど偏った思考の持ち主だ。どんなに辛いことも、どんなに悲しいことも、人にはたくさんある。それを乗り越えていく勇気と忍耐そして努力、それがどこから生まれてくるのかをこのミュージカルは教えてくれた。「人に対する思いやり」である。今、この世で一番必要なものだろう。原爆投下後の悲惨な舞台なのに、未来が明るくなる演劇だった。

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思いやりを少し

2013年09月17日 18時48分21秒 | Weblog

 台風一過の爽やかな一日になった。青空の下、小学校の運動場ではひっきりなしに運動会の練習が行なわれている。いつも思うことだが、こんなに練習する必要があるのだろうか。先生たちも子どもたちも練習でヘトヘトになりそうな気がする。そこまでしなくてもと思うのは、私が怠け者だからで、実際、下校してくる子どもたちを見ると元気いっぱいだ。勉強するより、運動場で身体を動かしている方が楽しいのだろう。

 テレビドラマ『半沢直樹』のセリフではないが、「作業だけならロボットでもできる」。仕事に心が伴わなければ、工夫も生まれない。子どもたちが毎日学校へ通うのも、工夫の出来る人間に育つためだ。工夫が出来るということは、生きようとする意欲を持つことで、生きていることが楽しい人間になることだろう。昨日、大阪市で小学4年生の男の子が、誤って増水した淀川に転落、濁流にのまれて350メートルほど流された。通りかかった中国人青年が飛び込み救助した。青年は「助けなければいけないと自然に思った」そうだ。

 中学からの友だちが交通量の多い交差点で目撃したことをブログに載せていた。目の前の横断歩道を腰の曲がった高齢の女性が右から左へと歩いていた。お年寄りの歩きは遅く、左折車線のところに来た時には信号は変わってしまった。すると先頭にいた小型トラックがけたたましくクラクションを何度も鳴らした。運転手は窓を開け、右手を大きく振って早く渡れと催促する。そればかりか、形相を変えてお年寄りを睨みつけ、罵声を浴びせていた。彼は何か哀しくなり、「ほんのすこしだけ、心に余裕を持てなかっただろうか」と書いていた。

 愛知県の交通事故は全国一だが、小型トラックの運転手のようにイライラしている人が多いからだ。私の体験で一番ビックリしたのは、踏み切りで警報機が鳴ったので止まった時、後の車が急加速して私の車を追い越し、遮断機の下りかかった踏切を渡って行ったことだ。どうしてそんなに急いでいたのかと思ったが、すぐ次の信号で一緒になった。交差点でも、前の車が停止したにも関わらず、それを追い越して行く車を見たことがある。事故にならなかったからいいけれど、そんな無謀な運転に巻き込まれるのは嫌だ。

 相手への思いやりが一番大事と思うけれど、企業戦士に言わせれば、「そんなことをしていたら勝てないどころか潰される」。本当に哀しい世の中だ。それでも子どもたちが大きくなる頃は、もう少し心に余裕が持てるような社会になっていると思いたい。

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過去を捨てる

2013年09月16日 18時17分03秒 | Weblog

 台風18号は午前8時頃、豊橋市辺りに上陸し、午後5時頃には岩手県大船渡市の沖を北上している。距離から見れば随分離れているのに、未だに強い風が吹いている。空は青く、もうすっかり秋の様子だ。午前10時くらいまでは雨も降り、北からの強い風が吹いていた。雨はいつの間にか止み、雲が切れて青空が広がってきたけれど、風はなかなか収まらなかった。こんな日はやることがない。収納棚を整理していたら、懐かしいファイルが出てきた。

 この地域に「国際交流を行なう仲間を作りたい」と相談されて、組織の立ち上げに関わった。順調に会員も増え、活動も活発に行なわれていたので、時々参加する傍観者だった。それがある時、「今度の総会にはぜひ出て欲しい」と言われて出席した。会場の和室には4・5人ほどしかいない。そのうち集まって来るのだろうと思っていたが、結局それで全員だった。「代表になって欲しい」と言われ、引き受けた。代表を務めた1999年から3年間の活動記録が閉じられてあった。

 毎年の総会で提案する活動内容、2ヶ月に1回発行する機関誌、1月に1回開くミーティングへの案内、ミーティングの議事録、年に何回か行なったイベントのチラシと打ち合わせ、力を尽くした日本語教室。今、パラパラと資料を見ていると、どうしてこんなものを大事に取っておいたのかと思う。何でも記録して綴っておく。その時には必要なことであっても、今になればもう不要のものでしかない。国際交流団体は町の合併でその役割を終えた。現在は市が主体となって行なっている。今年度の予算は15,967,000円。私たちが会員年会費3,000円で行なっていた時とは全く規模が違う。

 それにしても私はどうでもいいようなものをなかなか整理出来ないでいる。いや、整理はしてあるが捨て去ることが出来ない。古い手帳、かつて所属していた朗読クラブで使っていたもの、議員の時の資料、今日は思い切って捨てた。無くなっても何も困ることはない。それならもう捨てるべきだ。自分が作り出し、何か意味があるように思うのは、単なる思い込みである。押入れの中で鎮座しているガラクタを少しずつでも捨てていこう。台風一過、爽やかな風を受けて考える。

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国際紛争を解決する21世紀の方式

2013年09月15日 18時46分05秒 | Weblog

 国産ロケット「イプシロン」が打ち上げに成功し、1時間後には搭載していた観測衛星を分離して、予定の軌道に投入させた。ロケット打ち上げの成功は、大陸間弾道弾技術の成功である。小型化して低コスト(38億円)であることから、市場開拓に期待されている。短時間に発射できることも魅力のようだ。私は宇宙開発に関心がないので、打ち上げの目的が何かも判らないし、どの高さまで打ち上げられたのかも知らない。それよりも、宇宙は広いとはいえ、打ち上げられた器物がゴミとなって漂っていることを心配している。

 安倍首相は福島原発からの汚染水は「コントロールされている」と、2020年オリンピックの開催都市選びの席で誓った。けれども東京電力は「汚染水のコントロールは出来ていない」と発言した。この矛盾を「汚染水は湾内に閉じ込められており、外洋には出ていない」ので、コントロール出来ていると言い直していた。やはりなと思った。地下水で湾内に流れ込んだ汚染水は、外洋という広い海で薄まってしまう。海は太平洋から大西洋、北極も南極も、全てにつながっている。宇宙も海も、何を垂れ流しても薄まってしまうという発想のようだ。

 シリアへの軍事介入を前に、ロシアがシリアの保有する化学兵器を国際機関の監視の下に廃棄することを提案し、アメリカもこれを受け入れた。どんないきさつや利害からかは分からないけれど、大勢の人が死ななくて良かったと思う。戦争や紛争はいつも、何か大義を立てて行なわれる。アメリカはシリア政府軍が化学兵器を使用したので、人道上許されないので攻撃する、つまり正義のためだと言うものだった。けれども、アメリカ国民もイギリス国民もフランス国民も、「攻撃に反対」する人々が多かった。武力では解決しないことが分かってきたからだと思う。

 相手を殺してまでも「正義」を行いたいと思う人たちだけが集まって、「やっつけかた」のルールを決めて戦えばいい。軍隊を投入するのではなく、「絶対に許さない」と相手のことを思う個人が集まって決着を図る方式である。果たしてそんな場に何人集まるだろうか。たとえ集まっても、武器は使用しない、スポーツ大会のようなものになってしまうかも知れない。21世紀の国際紛争は、この方式で解決してはどうかと思う。

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8ミリフィルムをDVDに

2013年09月14日 18時03分48秒 | Weblog

 台風18号が近づいている。まだ、雨は降っていないが、空は曇っている。風が南から吹いていて、風が止まるとベタッとした蒸し暑さが残る。古いものを整理していたら、8ミリフィルムが出てきた。大半が子どもたちの運動会を撮影したものだ。勉強はパッとしなかったけれど、運動会では大活躍だった。こんなことを言うと、「それはあなたのせいでしょう」と叱られてしまう。確かに私は「勉強はしなくてもいい」と言ってきた。勉強はやらなければならない時がやって来るから、自分がやろうと思うまではやらなくてもいい。その代わり、何か夢中になるものを見つけて欲しい、そう思っていた。

 長女は、小さい時はママゴト遊びに夢中だった。小学校4年生だったか「テニスがやりたい」と言い、マンションの北側にあったテニス場に通い出した。バイオリンは私たちの希望で、4歳から始めたが夢中にはならなかった。水泳も通った。しかし、何と言っても運動会では花形だった。身体は小さくても足は速かった。リレーで大声援を受け、ひとりそしてふたりと抜き、テープを切る、得意満面だった。だから見る側を興奮させたのかも知れない。中学では陸上部ではないのに、郡大会に学校を代表して出場していた。4歳年下の妹はいつも姉を見本にしていて、町の運動会では姉妹でリレーを走って大活躍だった。

 8ミリの撮影機も映写機も押入れの中にある。映写会をしてやろうと思っているうちに、いつのまにかこんなになってしまった。映写するには、部屋を暗くし、スクリーンを設け、フィルムをセットしなければならない。DVDにしておけば、テレビでいつでも見られる。そう思って8ミリフィルムを全てDVDに移し変えてもらった。今月末には仕上がるだろう。その時は、子どもや孫に見せてあげようと思う。

 子どもたちの小さな時のアルバムも、世話好きな私は長女のものと次女のものと2つに分けて整理しておいた。何冊あるのか分からないが、それがそのまま我が家の押入れに残っている。「アルバムは持っていかないのか?」と聞くと、「置くところがないから、置いておいて」と言う。私やカミさんの子どもの頃の写真は1冊のアルバムに納まっているが、子どもたちのものはかなりあるから仕方ないことかも知れない。今はデジカメ時代だから、撮影した枚数も多いだけに、プリントはせずにいつでも見られるようにパソコン内に整理されている。時代は変わった。

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賄賂

2013年09月13日 18時36分27秒 | Weblog

 岡崎市にあるトヨタ系企業の幹部が、中国の公務員に賄賂を渡していたことが大きく新聞で報道されている。私の友だちや知り合いの中にも中国へ進出している企業で働いている人がいる。彼らから聞いていた話は、「中国では役人と親しくならないとやっていけない」ことばかりだった。中国は共産党の一党支配の国だから、日本のように面倒なことがない。役人が「わかった」と言えばそれで出来るが、役人が「ダメだ」と言えばそれで終りだと言う。他に頼むことも訴えることも出来ない。権限を持つ役人にひたすらお願いしなければ何も出来ないと。

 まるで、古代中国のままではないかと思った。役人が商人や農民から賄賂を受け取る。上の役人が下の役人から賄賂を受け取る。そのため国は腐敗し、不満を抱く農民大衆が蜂起し、新しい国が出来る。中国の歴史はその繰り返しだったように思う。血族支配を止めるために科挙という誰でもが受けることの出来る公務員採用試験を実施し、有能な人物を役人に取り立ててきたが、それでも役人天国が続いた。共産党が実権を握り、役人天国から脱皮できると国民は期待したかも知れないが、一党支配はもっと強力な役人天国を作った。

 私が「香港・深圳・マカオの旅」に出かけた時、ガイドが「中国経済の基本は賄賂だ」と言ったことを思い出す。香港から中国領の深圳へ行く時、帰る時、「必ず「賄賂要るネ。賄賂渡せば目つぶってくれるネ」と面白おかしく話してくれた。このバスに中国の警察の人がいれば間違いなく国家反逆罪で捕まるだろうというくらい、賄賂がどのように徴収されるのかを話した。下の役人が賄賂を受け取る。すると上の役人がまた下の役人から賄賂を受け取る。そうしてピラミッドの上の者は、何もしなくてもお金が集まるのだと。

 多額の賄賂は中国国内では使えない。私腹を肥やすことは共産党社会ではありえないからだ。そこでお金を貯めた役人は、マカオでギャンブルに使ってドルに変換するのだと言う。外国の銀行にお金を預け、子弟を外国の大学へいかせる。万が一、賄賂がバレた時、外国に脱出する道筋を作っているのだと、本当の話のようにガイドは話したが、そうした例は幾つも出てきた。「賄賂は社会的な礼儀・風習」と、トヨタ系企業の幹部も私の知り合いたちも思っていた。中国は日本のような先進国ではないのだから、仕方がないと。中国の共産党も危機感を抱き、役人の不正撲滅を掲げているようだが、4千年の歴史があるがあるだけに、即とはいかないだろう。

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神社とは何か

2013年09月12日 18時11分38秒 | Weblog

 長女からメールで、9月21日は4歳の孫娘の保育園の運動会があり、孫娘はもちろんダンナも出場するので「見に来て」という。私は即座に、「ぜひとも参加させてください」と返信した。ところがカレンダーを見ると、その日は大和塾の市民講座の日で、護国神社の宮司を講師に迎え、「神道のかたち」をテーマに講演していただく日だ。仏教とは何かについては、僧職の方ふたりから話を聞いた。神社について話してくれる人を探していたところ、適任の方に出会うことが出来た。

 神社は各地域に存在する。寺ほどの数はなくても相当な数だ。住職がいない寺はないけれど、宮司がいない神社はある。それでも神社がなくなることはない。正月とか節句とか、そうした季節の節目に神社の行事は行なわれる。結婚式は今も神社で行なう人が多い。七五三参りや厄払い、祈願のために神社に参る人もいる。寺の檀家でありながら、神社の総代という人もいる。朝日に向かって手を合わせる、大きな岩とか樹木とかに手を合わせる。あれは何なのだろう。

 神道には経典がない。宮司が読み上げる詔は、神への挨拶のようなもので、教えとは言えない。それでは神社とはいったい何なのか。日本人に受け継がれてきた風習なのだろうか。いや、神道というからには、何か、仏教の経典、キリスト教の聖書のようなものがあるはずだ。それとも、森羅万象あらゆるものに神が宿ること、それに感謝の気持ちを持つこと、ただそれだけの教えなのかも知れない。恭しく儀式化したことで、神社は今日まで日本人の風習として残ってきたのかも知れない。

 そんな神社について、神社に仕える人から、解説して欲しいと思っていた。「神社はなぜ、先の戦争で片棒を担ぐことになったのでしょう」と聞いた時、「それにお答えしなければならんですか」と言われ、「難しい質問はせんといてくださいね」と困ってみえた。どんな話が聞けるか、当日が楽しみだ。4歳の孫娘には申し訳ないが、そんな訳でパパちゃんは市民講座のまとめ役をしなければならない。市民講座「神道のかたち」は21日(土)午後2時より、北名古屋市の健康ドームで、入場無料。

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手掘りで井戸掘り

2013年09月11日 18時28分36秒 | Weblog

 月曜日、火曜日と続けて井戸掘りをした。月曜日は4人だったけれど、火曜日は3人に減ったので、やはり作業は大変だった。先日の大雨で、穴はかなり埋まっていた。アメリカ製の井戸掘り器は期限のために返却したので、今度手に入るのは20日以降になる。それまでに、穴を大きく広げ、底で作業が出来るようにして、再度アメリカ製の井戸掘り器で掘り下げる、そのためにスコップで穴の拡張とともに深めることにした。

 大昔から行なっていた手掘りの井戸掘りとなった。全体に掘り下げると言っても、土を掘り出せばその土を置いておく場所が要る。広く掘った方が作業もしやすいし安全だが、そんな場所がない。それに少ない人数で挑んでいるから、労力が続くかという問題もある。最小限の広さにして、人ひとりが作業できる狭い竪穴にした。2日間も続くとやはり身体はヘトヘトになる。長時間の重労働に私の心臓は耐えられないようで、すぐに息が上がってしまう。

 それでも2日間かけて、先日「水が出たぞ」と言う深さまでは到達した。先日は30センチほどの丸い穴であったけれど、今回は1メートル四方くらいはある。水は下から染み出してくるようだ。さらにもっと深く掘ろうと、両足を水の中で踏ん張り、バケツに水とともに小石や砂を掬い上げて、滑車を使って上に上げる。こんな作業を何度も繰り返し、水深が20センチくらいになった。

 「これだけ水が出るから、ポンプで汲み上げられんかね」と仲間が言う。汲み上げられないことはないとは思うが、冬場に水位が下がってしまった時、汲み出せるか心配である。水が出てきてももう少し、掘ることの出来る道具はないだろうか。アメリカ製の井戸掘り器はどこまで通用するだろうか。7メートル掘れなくても、もう1メートルか2メートルは掘りたい。20日まで休憩して、穴底がどんな状態なのか、待ってみるのも必要な気がする。そうすればもう少し、身体も回復するのではと思う。

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オリンピックの経済効果

2013年09月10日 18時23分04秒 | Weblog

 オリンピックの開催地が東京に決まったというだけで、株価は上がっているそうだ。そこへ東京オリンピックの経済効果は3兆円という試算が発表されると、「いや、そんなものじゃーない」と言う経済評論家が現れ、「開催までの7年間で、相乗効果を含めれば100兆円あるいは150兆円になる」と言う。それをまた、別な経済評論家が「そんな浮ついた数字を国民の誰が信じるか」と批判する。

 結果なんてきっとどうでもいいのだろう。みんながこんな風に、東京オリンピックについて、ああだ、こうだ、と言うことが目論見なのだと思う。生活必需品が満たされている社会では、購買力はどこにあるのか、何を購入するのか、「風」のようなものだと私は思っている。流行がそうだろう。人は本当にひとりでは生きていられないのだと思う。みんなと同じものはいらないと言う人でさえ、みんなと違う欲しいものがある。

 株は事業を展開する時、金を集める必要から生まれた。でも、今日、新聞の紙面を割いて報道されているのは毎日の株価である。一昨日いくらであったものが昨日はいくらになったかを知る。上がったとか、下がったとか、株を持っている人は一喜一憂している。株価が商品になったのだから、当然買って儲けようとするし、売って儲けようとする。そのためには株価が絶えず変動しなければならない。自然に生まれた変動と恣意的な変動があるのも当然だ。

 株価の高騰に合わせるように、安倍内閣の支持率も上がった。これもオリンピック効果なのかも知れない。社会はこのように「風」に流される。「風」に乗ろうとする人もいる。「風」に逆らう人もいる。安倍首相は福島の原発での汚水漏れは「完全にコントロールされている」と言い切った。どのようにコントロールされているのだろう。汚染水は海に流れ、そのうちに薄まると、それをコントロールされていると言うのだろうか。不思議な国だ。

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