かーちゃんはつらいよ

施設入所した18歳そうちゃん(自閉症、最重度知的障害、強度行動障害、てんかん)のかーちゃんが書く雑記。

幼なじみからの手紙

2020年07月03日 20時17分51秒 | みゆみゆとの生活
私の幼なじみから数年ぶりに手紙が来た。
お母さんが突然亡くなったこと、知的障害のあるお兄さんは3か月後にようやくグループホームに入所できたこと、など書いてあった。
同じ団地に住んでいたその一家にはとても良くしてもらって、よく遊びに行っては一緒にテレビ見たりおやつを食べたりしたものだった。
いつも電車の駅をそらんじていたお兄さんは、時々かんしゃくを起こして泣いていたけど、私にとっては特別なことは何もなく、学童保育も一緒に通っていた。
今思えば彼は自閉症で、まだ福祉サービスなども整わない中、お母さんは女手一つで必死に子育てされていたんだとわかる。

手紙には、遺品整理で出てきたという写真が添えてあった。
団地の桜の木に登る、小学校高学年の頃の私。
みゆみゆにそっくりで笑っちゃった。
ブログに写真を載せようとしたら、夫に「みゆみゆそのものだからダメ」と止められたほど。
木登り大好き、好奇心旺盛、頑固…
結局みゆみゆは私の血を引いてるのね、と妙に納得した。

子どもの頃私が通っていた学童には、他にも重い知的のダウン症の子や筋ジストロフィーの子もいた。違うタイプの自閉症の子も。
グループの一員としていることが当たり前すぎて、疑問に思うことはなかった。
それは、実は私にとって、とても幸せなことだったんだと思う。
そうちゃんの障害をさほど抵抗なく受け入れられたのも、この源体験の影響があるかも。

おとなになったからわかる。
どの子も親御さんから愛を注がれていて、先生には平等に扱われ、他の子は一人の友達として自然に接していた。
迷惑なことも、腹が立つことも、笑えることも、感心することも、嬉しいこともあった。
その環境は、学童保育の先生方の覚悟があって実現したことであり、親御さんの熱意と愛情、そして他の保護者や地域の理解がなくてはならなかっただろう。

そうちゃんのことを話す時、「そういう重い障害の子を見たことがない。」と言われることがある。
それはその人の責任ではなく、社会がそうなってるから仕方ない。
けれど昨今、療育の名の下に「分離」はより早期からとなり、さらに放課後の分離も加速している。
地域住民として、この現象をとても残念だと思う。

そんなことを、一枚の写真から思い巡らせた。

そうちゃん先生、
私にできることは何ですか?
かーちゃんはそうちゃんの弟子。
師匠の寝顔を見ながら、問い、考える。
で、寝落ち…