遠友夜学校校歌 有島武郎
一
沢なすこの世の楽しみの
楽しき極みは何なるぞ
北斗を支ふる富を得て
黄金を数へん其時か
オー 否 否 否
楽しき極みはなほあらん。
二
剣はきらめき弾はとび
かばねは山なし血は流る
戦のちまたのいさほしを
我身にあつめし其時か
オー 否 否 否
楽しき極みはなほあらん。
三
黄金をちりばめ玉をしく
高どのうてなはまばゆきに
のぼりて貴き位やま
世にうらやまれん其時か
オー 否 否 否
楽しき極みはなほあらん。
四
楽しき極みはくれはどり
あやめもたへなる衣手か
やしほ味よきうま酒か
柱ふとしき家くらか
オー 否 否 否
楽しき極みはなほあらん。
五
正義と善とに身をさゝげ
欲をば捨てて一すぢに
行くべき路を勇ましく
真心のまゝに進みなば
アー 是れ 是れ 是れ
是れこそ楽しき極みなれ。
六
日毎の業にいそしみて
心にさそふる雲もなく
昔の聖 今の大人(うし)
友とぞなしていそしまば
アー 是れ 是れ 是れ
是れこそ楽しき極みなれ。
七
楽しからずや天の原
そら照る星のさやけさに
月の光の貴さに
心をさらすその時の
アー 是れ 是れ 是れ
是れこそ楽しき極みなれ。
八
そしらばそしれつゞれせし
衣をきるともゆがみせし
家にすむとも心根の
天にも地にも恥ぢざれば
アー 是れ 是れ 是れ
是れこそ楽しき極みなれ。
九
衣もやがて破るべし
ゑひぬる程もつかの間よ
朽ちせでやまじ家倉も
唯我心かはらめや
アー 是れ 是れ 是れ
是れこそ楽しき極みなれ。
(「有島武郎全集第一巻」筑摩書房、1980年)
遠友夜学校とは、新渡戸稲造が札幌に設立した、勤労青少年に無料で学びの場を提供する夜学校です。当時、小学校教育はすでに義務化されていましたが、生活のために働いていて学校に通えない子どもも多かったのです。昼間は家計を助けるために働き、夜、この遠友夜学校に集まり、50年間で約5,000人が学んだとのことです。
授業料は無料、教科書など教材もすべて学校側が用意し無償で提供。夜学校の教師は、新渡戸稲造の友人や札幌農学校の学生など有志がつとめたそうです。
有島武郎は、この遠友夜学校に札幌農学校の学生であったときからかかわっていました。熱心な教師の一人で、夜学校の行事には極力時間を割いて参加し、生徒からは兄とも父とも慕われた存在であったといいます。明治42年1月から大正4年3月までの間、遠友夜学校の代表をつとめ、校舎の改修増築に奔走したり、夜学校の資金を道庁から助成してもらうことに成功しています。
一身上の都合により札幌を離れたため、有島は遠友夜学校の代表を辞めましたが、その後も終世、維持会員の一人として多くの金を寄附し物的に援助したばかりでなく、札幌に来ると必ずこの夜学校を訪れて教師や生徒たちへ言葉をかけ、彼らの精神的な支えでありつづ けたそうです。
この遠友夜学校の校歌は、有島武郎の作詞であるといわれています。(中里介山の作とする説もある。)有島の精神性を垣間見ることもできる歌詞だと思います。私は、8番9番の歌詞が気に入りました。
不審に思ったのは「やしほ味よきうま酒」で、「やしほ(八入)」は色の濃さを言う単語だと思ってたのですが、この歌では、酒の味について使っています。こういう使い方の用例がほかにないか、探してみましたが、今のところ見つかっていません。
いったいどんなメロディーなのか、と気になって、札幌の遠友夜学校記念室に問い合わせて楽譜を入手しました。はつらつとした若人らしいメロディーの曲でしたよ。