くさふかきしつのふせやのかはしらにいとふけふりをたてそふるかな
(拾遺愚草~日文研HPより)
蚊遣火
しはし先(まつ)庭にかたよる蚊の声は煙にすめる夕暮の宿
(草根集~日文研HPより)
しはのやのはひりのにはにおくかひのけふりうるせきなつのゆふくれ
(堀河百首~日文研HPより)
さらぬたになつはふせやのすみうきにかひのけふりのところせきかな
(堀河百首~日文研HPより)
文永八年七夕、白川殿にて人々題をさくりて百首歌よみ侍ける時、蚊遣火 前大納言為家
蚊遣火のしたやすからぬ煙こそあたりの宿も猶くるしけれ
(続千載和歌集~国文学研究資料館HPより)
かやりひのけふりのみこそやまかつのふせやたつぬるしるへなりけれ
(堀河百首~日文研HPより)
あたらよののきもるつきもくもるまてふせやにくゆるなつのかやりひ
(安嘉門院四条五百首~日文研HPより)
蚊遣火を読侍ける 前関白太政大臣
月影のかすむもつらしよそまては煙なたてそ夜はのかやり火
(玉葉和歌集~国文学研究資料館HPより)
かやりひのけふりけふたきあふくまによるはあつさもおほえさりけり
(和泉式部集~日文研HPより)
あやなしややとのかやりひつけそめてかたらふむしのこゑをさけつる
(帯刀陣歌合~日文研HPより)
然者此かひやと申すは、鹿火屋と書き香火屋とは書きたれど、共に蚊火屋と存じたると心得られて侍り。敦隆も博覧の者にて、万葉集能々料簡して部類する程なれば、広く勘へてこそは蚊火とも定め侍りけめ。肥後大進忠兼と申し侍りし歌詠みは、通宗朝臣が外孫、隆源阿闍梨が外謂(ママ)なり。和歌の才覚だて侍りき。小童にて侍りし時、かひやは蚊火屋なりと答へ侍りき。その上に尋ね云、蚊遣火は賤がやの庭などにたつる物なり。その賤が屋別にかひやといふ事いかゞと尋ね侍りしかば、山田などの蘆の辺にたつれば、それが下に蛙の鳴くを蚊火屋が下に鳴く蛙とは詠めるなりと申し侍りき。(略)
(六百番陳情~岩波文庫)
題しらす 人磨
足曳の山田もる庵にをくか火の下こかれつゝ我こふらくは
(新古今和歌集~国文学研究資料館HPより)
寛平御時、后宮歌合歌 よみ人しらす
夏草のしけき思ひはかやり火の下にのみこそもえわたりけれ
(新勅撰和歌集~国文学研究資料館HPより)
題しらす 曽祢好忠
かやり火のさ夜ふけかたの下こかれくるしや我身人しれすのみ
(新古今和歌集~国文学研究資料館HPより)
ひとしれすおもふこころはかやりひのしたにこかるるここちこそすれ
(堀河百首~日文研HPより)
題しらす 丹波忠守朝臣
蚊やり火の煙をみても思ひしれ立そふ恋の身にあまるとは
(続後拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)
題しらす よみ人しらす
夏なれは宿にふすふるかやり火のいつ迄わかみ下もえにせん
(古今和歌集~国文学研究資料館HPより)
しつのをのそともにたてるかやりひのしたにこかれてよをやすくさむ
(堀河百首~日文研HPより)
かやり火を見侍て よしのふ
かやり火は物おもふ人のこゝろかも夏のよすからしたにもゆらん
(拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)
大宮おもてにはしとみなかなかししていはかとのいといふせくあつけなるにかやり火さえけふりあひたる
我心かねてそらにやみちぬらんゆくかたしらぬやとのかかやり火
(狭衣物語~諸本集成第二巻伝為家筆本)
くるひともなきやまさとはかやりひのくゆるけふりそともとなりける
(散木奇歌集~日文研HPより)