七月ばかりに、風いたう吹きて、雨など騒がしき日、おほかたいと涼しければ、扇もうち忘れたるに、汗の香すこしかかへたる綿衣の薄きを、いとよくひき着て、昼寝したるこそ、をかしけれ。
(枕草子~新潮日本古典集成)
あつげなるもの
(略)七月の修法の阿闍梨。日中の時など行ふ。又おなじころの銅の鍛冶。
(枕草子~バージニア大学HPより)
弘仁十年七月戊寅(二日)
黒馬を丹生川上雨師の神に奉納した。祈雨のためである。
癸巳(十七日)
使を伊勢大神宮と大和国の大后(井上内親王)の山稜(宇智陵)へ派遣して、ともに奉幣した。祈雨のためである。
甲午(十八日)
天皇が次のように詔りした。
近ごろ炎暑と旱魃が数十日も続き、ほどよい降雨を見ない。(略)そこで、十三大寺と大和国の定額(じょうがく)諸寺の常住の僧侶に、それぞれの寺で三日間『大般若経』を転読させようと思う。適当な雨を祈(ねが)ってのことである。
(日本後紀~講談社学術文庫)
篳篥吹遠理が父、阿波守にて下向之時、遠理その共におなじく下向しけるに、そのとし旱魃の愁ありければ、とかく祈雨をはげめどもかなはず。七月ばかりに、遠理其国の社へまゐりて奉幣の後に、調子を両三反吹て祈請のあひだ、にはかに唐笠ばかりなる雲、社の上におほひて、たちまちに雨下(くだ)りて洪水に及にけり。神感のあらたなる事、秘曲の地に落ざる事、かくのごとし。
(古今著聞集~岩波・日本古典文学大系)
元応元年後七月九日、蔵人にて神泉苑の雨こひの勅使にむかひて侍けるに、雨くたりて帰参て侍ける時、朝餉にめされて御衣をかつけられけれは、腋陣に出て拝し侍ける時おもひつゝけ侍ける 藤原朝尹朝臣
降雨のめくみにかゝるから衣立居に御代を猶いのるかな
(新千載和歌集~国文学研究資料館HPより)
延文二年七月、雨の御祈承て水天供つとめ侍しに読侍ける 入道二品親王覚誉
法の水絶すはなとか草も木もうるほふ程のしるしなからん
(新拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)
(安貞元年七月)十二日。炎旱盛んにして、草木枯槁す。昨日、相門吉田の泉造り改め、移徙さると云々。午終許りに雷電猛烈。其の音、大地を徹(とほ)すが如し。雨の音を聞く(溜るに及ばず)。暑熱弥々熾盛、焼き焦すが如し。夜に入りて下人の節、昨日除目ありと。何事なるを知らず。
十三日。炎旱、焼くが如し。(略)
十五日。朝天適々陰る(雨脚灑ぐと雖も、地を湿らさず)。天即ち晴る。未の時許りに小雷。陰雲雹雨、簾の溜り初めて落つるも、即ち止む。終日風吹く。但し凉気なし。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)
(寛喜三年七月)二日(丙戌。七月節)。天晴る。東方明みて廬に帰る。飢人且つ顚仆し、死骸道に満つ。逐日加増す。東北院の内、其の数を知らずと云々。(略)
十五日(己亥)。天晴る。日出づるの程に地震。室宿の火神動くと云々。又、不吉旱魃災殃と云々。昨今の所作、堪ふるに随ひ之を終ふ。午の時許りに武衛来たる。一昨日、祇園臨時祭使右少将頼行。舞人、関白殿番長久則・近衛(種武子)・左右大将随身各々二人、本府四人。久則、騰馬に乗る(アサ太郎)。天治始めて立てらるる年の儀か。家光宣命を奏す。兼高奉行と云々。舞人御前を渡さる。是より又吉田に詣で了んぬ。昨日、北山に大納言入道会合と云々。京中の道路、死骸更に止まず。北西の小路、連日加増す。東北院の内、数を知らずと云々。小阿射賀庄民、六月二十日の比より近日に至り六十二人死去。触穢の身を憚る等に依り、上洛する者無しと云々。(略)
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)
(仁治元年)七月三日乙丑。被行五龍祭。依炎旱也。
十四日丙子。奉幣十一社。為祈雨也。又室生龍穴被奉官幣。使大中臣氏人。
十六日戊寅。有改元事。依炎旱也。(為仁治元年。)
(百錬抄~「新訂増補 国史大系11」)
【正嘉元年七月一日】一日 癸丑 天晴 日中ニ小雨灑ク。炎旱ノ間、加賀ノ法印祈雨シ奉ル事、昨日七箇日ニ満タント〈云云〉。
【正嘉元年七月五日】五日 丁巳 甘雨下ル、去ヌル二日ヨリ、若宮ノ別当僧正、祈雨ノ法ヲ修セラル〈云云〉。
【正嘉元年七月八日】八日 庚申、天晴 和泉ノ前司行方ヲ以テ、御使トシテ、御馬御剣等ヲ若宮別当坊ニ遣サル。祈雨ノ法ヲ奉仕スルノ後、五日ヨリ雨下ル。同キ六、七ノ両日ハ甚雨ナリ。
(吾妻鏡~国文学研究資料館HPより)
七月にもなりぬれば、やうやう夕べ涼しき風の気色につけて身にしむ色に、片敷きかね給ふらんむなしき床(とこ)のあはれも、また後(おく)れず思しやらるれば、例の御方違(かたたが)へなど紛らはして、立ち寄り給へるに、(略)。
ほどなう明けゆく気色も、「いづらは秋の」と、人知れぬ御心の内は、まだ夜深う嘆かれ給ふに、女君も、いといたくうち泣き給ひて、
ならひこし袖の別れも秋はなほ身にしむ色の露ぞ置き添ふ
いみじうらうたげにのたまひ紛らはしたるに、「あが君や」とて、
かくばかりおき憂きものを白露の別れは袖のほかと知らなん
(略)
かくてその夜も明けて、次の日の夕つ方、帰り給ふべければ、めづらしうのどかなりつるしも、誰もなかなかに思されつつ、御迎への人々など参りたれど、休らひがちなる御気色にて、女君もろともに、端(はし)つ方にてうちながめ給へば、秋を知らせ顔に、わづかに咲き初(そ)めたる花の色々心もとなき庭の草むらに、露にしほれたる撫子の夕映えも、まことに常(とこ)なつかしく御目にとまるは、かつ見る人のかたちにぞ、いみじうよそへつべかりける。
(いはでしのぶ~「中世王朝物語全集4」笠間書院)
七月ばかり、いみじう暑ければ、万づのところ開けながら夜も明かすに、月のころは、寝おどろきて見出だすに、いとをかし。闇もまた、をかし。有明、はたいふもおろかなり。
いと艶やかなる板の端近う、あざやかなる畳一枚うち敷きて、三尺の几帳、奥のかたにおしやりたるぞ、あぢきなき。端にこそ立つべけれ。奥の、うしろめたからむよ。
人は、出でにけるなるべし。淡色の、裏いと濃くて、表はすこしかへりたる、ならずば、濃き綾の、艶やかなるが、いとなえぬを、頭ごめにひき着てぞ、寝たる。香染の単衣、もしは黄生絹の単衣、紅の単袴の腰のいと長やかに衣の下より引かれ着たるも、まだ解けながらなめり。外のかたに、髪のうちたたなはりてゆるるかなるほど、長さおしはかられたるに、二藍の指貫に、あるかなきかの色したる香染の狩衣、白き生絹に紅の透すにこそはあらめ、艶やかなる、霧にいたうしめりたるを脱ぎ、鬢のすこしふくだみたれば、烏帽子のおし入れたる気色も、しどけなく見ゆ。「朝顔の露落ちぬさきに文書かむ」と、道のほども心もとなく、
「麻生の下草」
など、口ずさみつつ、わが方にいくに、格子の上がりたれば、御簾のそばをいささか引き開けて見るに、置きて往ぬらむ人もをかしう、露もあはれなるにや、しばし見立てれば、枕がみのかたに、朴に紫の紙張りたる扇、ひろごりながらあり、陸奥紙の畳紙の細やかなるが、花か紅かすこし匂ひたるも、几帳のもとに散りぼひたり。
(略)
出でぬる人も、「いつのほどにか」と見えて、萩の露ながらおし折りたるに付けてあれど、え差し出でず。香の紙のいみじう染めたる匂ひ、いとをかし。
(枕草子~新潮日本古典集成)
さて七八日許ありて初瀬へいでたつ。巳のときばかりいへをいづ。人いとおほくきらきらしうてものすめり。未の時許に故の按察使の大納言のりやうじ給ひし宇治の院にいたりたり。人はかくてのゝしれどわがこゝろははつかにてみめぐらせば、あはれに心にいれてつくろひ給ふときゝしところぞかし、この月にこそは御はてはしつらめ、ほどなくあれにたるかなとおもふ。こゝのあづかりしけるものゝまうけをしたれば、たてたるもの、のこのなめりとみるもの、とばりすだれあじろびやうぶくろがいのほねにくちばのかたびらかけたる几帳どもゝいとつきづきしきもあはれとのみみゆ。こうじにたるにかぜははらふやうにふきてかしら さへいたきまであればかざがくれつくりてみいだしたるに、くらくなりぬればうぶねどもかゞりびさしともしつゝひとりはさしいきたり。をかしく見ゆることかぎりなし。かしらのいたさのまぎれぬればはしのすまきあげてみいだして、あはれわがこゝろとまうでしたびかへさにあがたのゐんにぞゆきかへりせしこゝなりけり、みし按察使どのゝおはして物などおほせ給ふめりしは、あはれにもありけるかな、いかなるよにさだにありけんとおもひつゞくればめもあはで夜なかすぐるまでながむる。うぶねどもゝのぼりくだりゆきちがふをみつゝは
うへしたとこがるゝことをたづぬればむねのほかにはうぶねなりけり
などおぼえてなほ見れば、あかつきがたにはひきかへていさりといふ物をぞする、又なくをかしくあはれなり。あけぬればいそぎたちてゆくに、にへのゝいけいづみがははじめみしにはたがはであるをみるもあはれに のみおぼえたり。よろづにおぼゆることいとおほかれどいと物さわがしくにぎはゝしきにまぎれつゝあり。かうたてのもりにくるまとゞめてわりごなどものす。みなひとのくちむまげなり。かすがへとて宿院のいとむづかしげなるにとゞまりぬる。あれよりたつほどに雨かぜいみじくふりふゞく。みかさやまをさしてゆくかひもなくぬれまどふ人おほかり。からうじてまうでつきて、みてぐらたてまつりて初瀬ざまにおもむく。あすかにみあかしたてまつりければたゞくぎぬきにくるまをひきかけてみればこだちいとをかしきところなりけり。にはきよげに井もいとのまゝほしければ、むべやどりはすべしといふらんと見えたり。いみじきあめいやまさりなればいふかひもなし。からうじてつばいちにいたりてれいのごととかくしていでたつほどに日も暮れはてぬ。雨や風猶やまず。火ともしたれどふきけちていみじくくらければ夢のみちのこゝちしていとゆゝしくいかなるにかとまでおもひまどふ。からうじてはらへ殿にいたりつきければ雨もしらずたゞみづのこゑのいとはげしきをぞさななりときく。御だうにものするほどに心ちわりなし。おぼろげにおもふことおほかれどかくわりなきに物おぼえずなりにたるべし。なにごとも申さで、あけぬといへどあめ猶おなじやうなり。
(略)さる用意したりければうかひかずをつくして一かはうきてさわぐ。いざちかくてみんとてきしづらにものたてしぢなどとりもていきておりたればあしのしたにうかひちがふ。こうをどもなどまだみざりつることなればいとをかしうみゆ。きこうじたる心ちなれど夜のふくるもしらずみいりてあれば、これかれ「今はかへらせたまひなんこれよりほかにいまはことなきを」などいへば「さは」とてのぼりぬ。さてもあかずみやればれいの夜ひとよともしわたる。いさゝかまどろめばふなばたをごほごほとうちたゝくおとにわれをしもおどろかすらんやうにぞさむる。あけてみれば夜のあゆいとおほかり。それよりさべきところどころにやりあかつめるもあらまほしきわざなり。
(蜻蛉日記~バージニア大学HPより)
まへなるかきほに、葛はひかゝり、小笹うちなびくに、
山里は玉まく葛のうら見えて小笹が原に秋のはつかぜ
(建礼門院右京大夫集~岩波文庫)
女のもとより文月はかりにいひをこせて侍ける よみ人しらす
秋萩をいろとる風の吹ぬれは人のこゝろもうたかはれけり
返し 在原業平朝臣
あき萩をいろとる風は吹ぬとも心はかれし草はならねは
(後撰和歌集~国文学研究資料館HPより)
こころざしありける女に離れて、またのとしの七月ばかり、秋といふ名もわきて身にしむ風の音に、いとど思ひくだけてよみ侍りける 言はで忍ぶの一条院内大臣
別れにし名には古りぬる秋なれどなほおどろかす風の音かな
(風葉和歌集~岩波文庫「王朝物語秀歌選」)
七月はかりに左大臣のはゝ身まかりにける時に、思ひに侍けるあひた、きさいの宮よりはきの花をおりて給へりけれは 太政大臣
をみなへしかれにしのへにすむ人はまつ咲花をまたてともみす
(後撰和歌集~国文学研究資料館HPより)