しなしなの記録

 しなしなの趣味の記録です。洋楽カラオケ、郵便局訪問、川、猫など

石川県金沢市は、兼六園には行きましたが、1日かけての観光は初めてです。金沢城もゆっくりと見ました。復元が進んでいるようです

2022-08-27 16:59:26 | Weblog

 玉泉院丸庭園を出て、石垣を見て向かったのは、旧第六旅団司令部の建物です。

 

 1898年(明治31年)の木造建築物だそうです。


 そして、三十間長屋に着きました。

 

 

 三十間長屋は宝暦大火(1759年)で失われたものを、1858年(安政5年)に再建したものだそうです。倉庫として使われたようです。


 三十間長屋から大きな五十間長屋、菱櫓、橋詰門等が見えます。

 

 五十間長屋、菱櫓、橋爪門続櫓は、1881年(明治14年)に焼失したものを、2001年(平成13年)に再建したものだそうです。釘や鎹を使わず、組木で作られているそうです。

 

 見事な梁構造です。

 

 階段も復元されています。

 

 昔の階段は、どの城でも急で、足を載せる部分が狭いです。登るより降りるのが怖いです。

 壁の造りも紹介されていました。竹と土で出来ているようです。

 


 菱櫓には、石落としが有りました。城を登ってくる敵に石等を落として攻撃するものだそうです。

 

 隅櫓を外から見たものです。先ほどの石落としの部分が分かります。

 


 トップの写真は、橋爪門と五十間長屋です。とにかく、でかく、長い建物です。


 そして、現在、二の丸御殿の復元が進められていることを知りました。昨年から進められています。

 

 金沢城では、本丸を中心として藩政が進められましたが、1631年(寛永8年)の大火を機に、二の丸に移ったそうです。そして、二ノ丸御殿は明治になっても、存在していましたが、1881年(明治14年)の火災で、菱櫓や五十間長屋等とともに焼失したそうです。


 河北門に到着です。

 

 こちらは、1882年(明治15年)頃、撤去されたそうです。それを2010年(平成22年)に復元したものです。


 そして、石川門を抜けます。

 

 

 石川門は1708年(天明8年)に再建されたものだそうです。石川門を出て、私は兼六園に向かいました。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする