9月9日(木)、北上駅から北上線で横手駅へ、横手駅で奥羽本線に乗り換え、下湯沢駅で降り、秋田県の郵便局を開始しました。訪問したのは次の局です。
岩崎、湯沢弁天、幡野簡易、湯沢湯の原簡易、湯沢前森町、湯沢、湯沢清水町、羽後山田、湯沢田町、三関、湯沢上関簡易、須川、羽後小野簡易、横堀
14局の訪問です。トップの写真は3650局目となった、湯沢上関簡易郵便局です。
この訪問で私は大失敗をしてしまいました。30℃を超える暑い中、晴れて陽射しがきついのに、北から南へ向かって歩くはめになったのです。顔は日焼けでひどい状態になりました。
当初の計画は北上駅始発の5:15の列車に乗るというものです。ホテルを4時45分に出ました。5時ちょうど、北上駅で北上線の発着する0番線に向かいました。列車が止まっています。ちょうど運転士が準備を始めたところでした。この列車に間違いないと思い込み、ベンチで朝早かったため、ボーッとしていました。ハッと気づくと5時12分です。列車のドアは開いていません。随分、準備が遅いなと思いました。14分を過ぎても同じです。あ、間違った!気づいた時には、1番線から列車が発車するとのアナウンスが流れました。北上線はこの列車だけが、1番線からの出発でした。しかたなく、6:20の列車で横手に向かいました。1番列車に乗り遅れたため、郵便局の営業開始時間前に横堀駅に着くことができず(湯沢駅から南は列車の本数が少ないです)、時間前につける下湯沢駅で降りたため、北から南へ向かって歩き続けるはめになったのです。
湯沢市は実りの秋です。稲穂の黄金色が創る風景は素晴らしいものでした。
黄金色の中を山に向かって、真っ直ぐ奥羽本線が伸びています。
下の写真です。稲穂の黄金色と作業をする人、その奥には、うっすらと鳥海山が聳えています。
湯沢市内を歩いていて、感動したのは、その歴史の深さです。私の住む札幌市とは比べ物になりません。
下の写真は一里塚です。何と、慶長4年(1604年)に幕府の命により、築かれたものだそうです。
一里塚に植えられている木はツキの木だそうです。大木です。樹齢400年を超えているのですから、当然でしょう。
次の写真の石屋さんは、元文元年(1736年)創業で、8代目だそうです。
写真に写っている方が8代目の方でしょうか。7代目と書かれた看板を持って、道路を横断されていました。
下の写真の家屋はどのぐらいの歴史があるのでしょう。
屋根の庇が随分、出ているなと思います。雪の重みにも、ずっと耐えてきているのでしょう。
湯沢市(旧雄勝町)は、美人の代名詞である歌人小野小町の生誕されたとされる地です。小町堂が美しい姿で建築されています。
小野小町は晩年、この地に戻り、亡くなったと伝えられています。百人一種の歌は私でも知っています。「花の色は移りにけりないたづらに我が身世にふるながめせしまに」。
岩崎、湯沢弁天、幡野簡易、湯沢湯の原簡易、湯沢前森町、湯沢、湯沢清水町、羽後山田、湯沢田町、三関、湯沢上関簡易、須川、羽後小野簡易、横堀
14局の訪問です。トップの写真は3650局目となった、湯沢上関簡易郵便局です。
この訪問で私は大失敗をしてしまいました。30℃を超える暑い中、晴れて陽射しがきついのに、北から南へ向かって歩くはめになったのです。顔は日焼けでひどい状態になりました。
当初の計画は北上駅始発の5:15の列車に乗るというものです。ホテルを4時45分に出ました。5時ちょうど、北上駅で北上線の発着する0番線に向かいました。列車が止まっています。ちょうど運転士が準備を始めたところでした。この列車に間違いないと思い込み、ベンチで朝早かったため、ボーッとしていました。ハッと気づくと5時12分です。列車のドアは開いていません。随分、準備が遅いなと思いました。14分を過ぎても同じです。あ、間違った!気づいた時には、1番線から列車が発車するとのアナウンスが流れました。北上線はこの列車だけが、1番線からの出発でした。しかたなく、6:20の列車で横手に向かいました。1番列車に乗り遅れたため、郵便局の営業開始時間前に横堀駅に着くことができず(湯沢駅から南は列車の本数が少ないです)、時間前につける下湯沢駅で降りたため、北から南へ向かって歩き続けるはめになったのです。
湯沢市は実りの秋です。稲穂の黄金色が創る風景は素晴らしいものでした。
黄金色の中を山に向かって、真っ直ぐ奥羽本線が伸びています。
下の写真です。稲穂の黄金色と作業をする人、その奥には、うっすらと鳥海山が聳えています。
湯沢市内を歩いていて、感動したのは、その歴史の深さです。私の住む札幌市とは比べ物になりません。
下の写真は一里塚です。何と、慶長4年(1604年)に幕府の命により、築かれたものだそうです。
一里塚に植えられている木はツキの木だそうです。大木です。樹齢400年を超えているのですから、当然でしょう。
次の写真の石屋さんは、元文元年(1736年)創業で、8代目だそうです。
写真に写っている方が8代目の方でしょうか。7代目と書かれた看板を持って、道路を横断されていました。
下の写真の家屋はどのぐらいの歴史があるのでしょう。
屋根の庇が随分、出ているなと思います。雪の重みにも、ずっと耐えてきているのでしょう。
湯沢市(旧雄勝町)は、美人の代名詞である歌人小野小町の生誕されたとされる地です。小町堂が美しい姿で建築されています。
小野小町は晩年、この地に戻り、亡くなったと伝えられています。百人一種の歌は私でも知っています。「花の色は移りにけりないたづらに我が身世にふるながめせしまに」。
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