しなしなの記録

 しなしなの趣味の記録です。洋楽カラオケ、郵便局訪問、川、猫など

成田では、缶入り水羊羹を開発した「なごみの米屋」さんの成田羊羹資料館にも立ち寄りました

2020-03-10 20:21:10 | Weblog

 成田山新勝寺の表参道には、「なごみの米屋」の成田総本店が有ります。

 

 その裏側に、創業者の諸岡長蔵氏の像が有りました。

 

 「なごみの米屋」は、1899年(明治32年)の創業だそうです。そして、1962年(昭和37年)、缶入り水羊羹を開発し、販売しています。

 トップの写真のように、「成田羊羹資料館」が有ったので、入ってみることにしました。

 「なごみの米屋」の歴史的な資料等が有ります。

 

 その中に、「アッ!そうだったのか。」と思う資料が有りました。
 まずは、「羊羹ってなんで言うのだろう」に答えてくれた資料です。

 

 中国の羹(あつもの)という肉料理(四十八羹)が、遣唐使により、日本にも伝わりますが、仏教伝来以来、肉食の習慣が無かった日本では、赤小豆や山芋、葛粉などを練り合わせ、「羊の胆の形」にして、羊羹としたそうです。
 「羹に懲りて膾を吹く」という諺が有ります(さっきまで私は意味を分かっていませんでした、恥ずかし!)の羹です。

 「蒸し羊羹と練り羊羹は違うんだ!」と気づいたのが、下の資料です。

 

 蒸し羊羹は、砂糖を加え、煮た餡に小麦粉、葛粉などを混ぜ、蒸し器で蒸し上げたものだそうです。甘さは控えめです。練り羊羹は、餡に砂糖、寒天を加え、よく練り上げ固めたものだそうです。甘味が強く、水分量が少ないため、日持ちするようです。

 私は和菓子が好きで、よく食べています。妻はあまり羊羹を食べないので、どなたかに戴いたら、ほとんど私が食べています。しかし、何故、羊羹と言うか、蒸し羊羹と練り羊羹の違いはなど知らずに食べていました。
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長崎県郵便局訪問 NO.3 諫早市 ほとんど長崎街道を歩き、本明川を飛び石で渡った郵便局訪問でした

2020-03-08 16:04:55 | Weblog
 3月2日(月)は、3回目となる長崎県の郵便局訪問でした。今回は諫早市の郵便局を訪問しました。訪問をしていて、九州の郵便は長崎街道から始まったことを知りました。このため、ほとんど長崎街道を歩く郵便局訪問となりました。
 訪問したのは、諫早市内の次の17局です。

 船津簡易、喜々津シーサイド、多良見、諫早久山簡易、真津山、西諫早、諫早平山簡易、諫早真崎、諫早永昌、北諫早、南諫早、諫早、諫早福田簡易、諫早小豆崎簡易、長田、諫早幸町簡易、小野

 トップの写真は、8776局目となった、北諫早郵便局です。


 船津簡易郵便局付近にあまり見ない街路樹が植えられていました。

 

 なんだか手入れが大変そうな街路樹です。

 船津簡易郵便局を出て歩いていると、マンホールの蓋に「たらみ」と書かれています。

 

 描かれているのは、ミカンでしょうか(多良見みかんが記憶に有ります)。「かつて「多良見町」が有ったんだな。」と思いました。2005年(平成17年)3月1日に、多良見町は、諫早市、森山町、飯盛町、高来町、小長井町とともに今の諫早市になっています。ちなみに諫早市のマンホールは下の写真のように眼鏡橋が描かれています。

 


 小さなカーブの続く細い道を歩いていました。旧長崎街道の標示が建っていました。

 

 その旧長崎街道は、線路の下に続いています。

 

 その先に長崎街道を解説する標示が有りました。

 

 長崎奉行の交代、オランダ商館長の江戸参府もこの街道を通ったそうです。坂本竜馬等の幕末の志士たち、シーボルト等の外国人も通ったことでしょう。標示には、ゾウやキリンも通ったと書かれています。


 北諫早郵便局から南諫早郵便局へ向かう途中で、近道ということで、本明川の飛び石を渡りました。

 

 私も60歳を超えましたので、バランス感覚が鈍ってきています。慎重に渡りました。川の真ん中で撮った写真が下の写真です。

 


 諫早市の中心はJRの諫早駅では無く、島原鉄道の本諫早付近のようです。acr栄町と書かれた商店街が有りました。

 

 この商店街の中に、創業文久3年(1863年)という福田屋さんが有ります。鰻屋さんです。

 

 1863年というと薩英戦争が有った年で、幕末です。「幕末の志士の中には、ここで鰻を食べた人もいるんだろうな。」と思いました。


 諫早郵便局の前に、「九州郵便 長崎街道に始まる」との表示板が建っていました。かつての長崎街道の宿に郵便局が造られたようです。永昌宿(諫早市)に永昌郵便局が設置され、現在の諫早郵便局となっています。「だから、長崎街道を多く歩いていたんだ。」と理解できました。




 長田郵便局からは、諫早湾の干拓地内を歩きました。

 

 

 遠くに雲仙普賢岳が聳えています。

 

 暖かい春の日差しを浴びて、多くのことを知ることができた郵便局訪問でした。
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千葉県成田市にはかつて、路面電車が走っていました。その2つの煉瓦のトンネルは土木遺産になっています

2020-03-06 21:55:18 | Weblog

 千葉県成田市には、かつて「成宗電車」という路面電車が走っていました。1910年(明治43年)に成田駅から成田山門前で営業し、翌、1911年(明治44年)には、宗吾聖堂までの営業となりました。1934年(昭和19年)まで営業していたそうです。

 その電車は、2つのトンネルを抜けて走っていました。煉瓦のトンネルです。トップ写真の第二トンネル(成田山門側のトンネル 41m)と下の写真の第一トンネル(成田駅側のトンネル 12m)です。

 

 そして、成宗電車が走っていたことを示す標柱が建っています。

 


 この2つのトンネルは土木学会が土木遺産として認定しています。

 

 

 積まれた煉瓦は美しいアーチを描いています。

 

 トンネルは、現在はコンクリートで造られますが、コンクリートの無かった明治期には、煉瓦でトンネルや橋梁が造られました。美しい姿が多いです。

 トンネルは現在、道路のトンネルとして使用されています。軌道敷がそのまま市道になっているそうです。なので、電車道との標示も建っています。

 
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旅のお供 その193 錦帯橋を見た私は、夕食の岩国寿司とともに五橋を飲み、次に「金冠 黒松」をいただきました

2020-03-04 23:01:31 | Weblog

 昨年の3月10日(日)です。錦帯橋を見た私は、夕食に買ってきた岩国寿司とともに、まずは「五橋」をいただきました。次いで、トップと下の写真の「金冠 黒松」をいただきました。

 

 「金冠 黒松」を醸造するのは、岩国市の村重酒造㈱です。ラベルには、やはり錦帯橋が描かれています。
 村重酒造㈱は、明治初期に創設された森乃井酒造を1959年(昭和34年)に引き継いだ会社だそうです。その時に酒銘を「金冠 黒松」にしたそうです。
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