10月11日(日)、私は宿泊していた山陽小野田市の厚狭駅から普通列車を乗り継ぎ(長門市駅で50分も待ち合わせが有りました)、東萩駅に着きました。
駅を出ると、金色の像が有りました。得たいの知れないものです。ガマガエルかなと思います。
松本川沿いを歩き、松陰神社に向かいました。
ほどなくして、松陰神社に到着です。
松陰神社の祭神は吉田松陰です。1907年(明治40年)の創建だそうです。
「まずは松下村塾を見なければ。」と向かいました。驚くほど小さかったです。
トップの写真です。
こちらが控えの間です。
そして、八畳の吉田松陰の講義が行われた部屋です。
この小さな部屋から、久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文などの日本の歴史を作った人材が育っていったのです。しかも、この松下村塾で吉田松陰が教育を行ったのは、松下村塾が出来た1857年(安政4年)から、1年ほどだったと知り、驚きです。
1854年(安政元年)、吉田松陰はアメリカの黒船、ペリーの軍艦で密航しようとしたが、失敗し、江戸小伝馬町の牢に入ります。続いて、萩藩の野山獄に入ります。その後、牢を出て、杉家旧宅預かりの身となります。その杉家旧宅も松陰神社内に移築されています。
幽囚の身でしたが、多くの若者がここに集い、吉田松陰による教育が開始されました。
1年半ほどして、松下村塾が出来たそうです。
吉田松陰を称える碑が有りました。
「学は人たる所以を学ぶなり」と書かれています。
最終的には「学んだことを社会にどう生かしていくか。」だそうです。
花月楼という茶室も松陰神社内に有ります。
7代藩主、毛利重就が1776年(安楽5年)に建築したものだそうです。1888年(明治21年)に品川弥次郎が松本橋の自宅に移築し、1959年(昭和34年)にここ、松陰神社に移築されたものだそうです。