3月11日午後2時50分以降、生活が一変した。
11日、市役所に災害対策本部会議が設置された。自宅に帰宅したのは0時30分。途中の交差点は、警察による手信号だった。
その後、土日も本部会議が開催された。予定されていた大学のクラブのOB会は中止。
一方、3月に入りやっと再開したランニングは、11日以降は全くやっていない。
14日以降、災害対策本部会議と市議会の繰り返し。17日は昼食なしで会議。議題は、①被災地支援、②市民対応、③避難民の受入れなど。
今日、震災当日の停電以降、初めての計画停電が実施された。停電は午後7時から10時。
※※※ 地震発生直後、気になるのは原発事故による放射能汚染問題 ※※※
現在20K以内は避難勧告、20~30K圏内は屋内退避指示が出ている。しかし米国の基準では80K圏内が避難勧告に値する。すでに外国人の姿はない。
この違いが人的被害を大きくし、10年後、国と東電が告訴されるかも。
本市としても出来うる最善策を実施しなければならない。現在市内には放射能測定のセンサーはない。市は県に依頼し設置を進めるべきだ。茨城県や栃木県はすでに数箇所で始めている。
加えて、黄色信号、赤信号の数値を明確にすべき。黄色で屋内退避、赤で避難勧告などの基準を定めるべきだ。「今の数値はただちに健康に問題がない」という表現だけでは収まらない事態だ。