映画「オーストラリア」を観た時、舞台となった第二次世界大戦前の「ダーウィン」の街の風景が、どこかで見たことがあるような気がしました。モチロン、あれはセットでしょうが・・・
去年の2月にパースに行った時に訪ねた「ヨークの町だ!」とすぐに思い出しました。
西オーストラリア州の州都「パース」から東に97kmの所に位置する「ヨーク」は西オーストラリア最古の内陸都市です。
町はナショナル・トラストによって歴史の町に指定されており、19世紀の多くの建物が保存・修復されていて、まるで100年以上前にタイムスリップしたような錯覚を覚えます。
真っ先に目についたのがこの「タウンホール」
1911年に建てられた歴史的建造物です。
インフォメーションセンターの看板があったので、この建物の中に入り地図をもらって説明を受けました。
中は博物館と、簡単な土産物店も兼ねています。
そして、多目的ホールや展示場などが、美しいステンドガラスの向こうに見えていました。
そのお隣が、時代を感じさせる「ホテル」
私たちは車をタウンホールの横に駐車して、町の中を徒歩で散策しました。
町の中の風景をnon_nonさんのソースをお借りしてまとめましたので、小さな画像にマウスオンしてご覧下さい
映画の中の風景と同じようですね。
車さえなければ、ここでサラに扮したニコール・キッドマンが歩いていても違和感はありません。
ヒュー・ジャックマン演じるカーボーイが馬に乗って現れてもおかしくありません。
代わりに、同じようなカーボーイハットをかぶった主人の姿が見えていますが・・・
足の長さが違いすぎる
かっては先住民が暮らしていたこの地域に、1835年、白人の入植者がやって来て水場近くに住み着いたことから、アボリジニとの争いになったようです。
兵士が入植地の防衛にあたるようになり、こうしてヨークは集落の形を整えたのでした。
その後羊毛産業が盛んになり、港町「フリーマントル」への輸送が急務となりました。
1886年にようやく鉄道が開通すると、偶然にも数年にしてゴールドラッシュが起こりヨークは活況を呈したそうです。
往時の賑わいを偲びながら、町のメインストリートを歩きました。
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その一角にあるレストランで昼食をとりました。
マウスオン・クリックで、三枚の画像をご覧下さい
毎度のことですが、ボリュームがあり過ぎて、いつも頼むのは一人前・・・
これにサラダを付けますが、これがまた凄い量です
こちらは1886年に建てられた「聖パトリック教会」、人の姿はほとんどありませんでした。
この後は車で、インフォメーションセンターの地図に記してあった川に出て、ツリ橋を渡ったりブッシュウォークをしたりして遊び、それから1km位離れた所に建つ古い学校に行きました
小さな小さな小屋のような学校です。
すぐ横にある「工房」に居たおじさんが、鍵を開けて案内してくれました。
マウスオンで室内をご覧下さい
教室1つと教師の寝泊りする部屋だけの狭さで、トイレも無かったそうです
壁に貼られた、ヨーロッパと大英帝国の大きな地図が印象的でした。
ここでは「駅舎」や「プラットホーム」も立派なヘリテージ、歴史的遺産です。
ここに佇んで、もう列車が走らなくなったレールを見ていたら、ふと「北海道」を思い出しました。
この鉄道工事に従事したのはイギリスから送られてきた囚人達で・・・
ここに住んでいた先住民との土地を巡る争いも、アイヌの悲劇と似ています。
年代的にも同じ頃でしょう。
アポリジニもアイヌも文字を持たなかった事まで共通していて驚きました。
鉄道が廃止されて物流はトラック輸送が主になりました。
オーストラリアは国道一号線が、北東部のケアンズから南に下り、東部の大都市を通ってから海岸線を西に向かい、パースを北上してダーウィンまで繫がっているそうです。
ギネスブックに載る、世界一の長さの国道だそうです。
ヨークに向かう時に、パース郊外の道路で遭遇した光景ですが、こうして「家」までまるごと運んでしまうので驚きました
映画「オーストラリア」を観て、去年行って、まだUPしていなかった「ヨーク」を思い出しました。
この翌日に、インド洋の海にポチャンと落として使えなくなったコンデジで写した古い画像で恐縮です
今年の2月に行った「バリ島」や「ジャワ島」はオーストラリアのすぐそばにあるのですが、歴史のある名所旧跡がたくさん見られるところでした。
次回は叉それらを綴っていこうと思っています。
去年の2月にパースに行った時に訪ねた「ヨークの町だ!」とすぐに思い出しました。
西オーストラリア州の州都「パース」から東に97kmの所に位置する「ヨーク」は西オーストラリア最古の内陸都市です。
町はナショナル・トラストによって歴史の町に指定されており、19世紀の多くの建物が保存・修復されていて、まるで100年以上前にタイムスリップしたような錯覚を覚えます。
真っ先に目についたのがこの「タウンホール」
1911年に建てられた歴史的建造物です。
インフォメーションセンターの看板があったので、この建物の中に入り地図をもらって説明を受けました。
中は博物館と、簡単な土産物店も兼ねています。
そして、多目的ホールや展示場などが、美しいステンドガラスの向こうに見えていました。
そのお隣が、時代を感じさせる「ホテル」
私たちは車をタウンホールの横に駐車して、町の中を徒歩で散策しました。
町の中の風景をnon_nonさんのソースをお借りしてまとめましたので、小さな画像にマウスオンしてご覧下さい
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映画の中の風景と同じようですね。
車さえなければ、ここでサラに扮したニコール・キッドマンが歩いていても違和感はありません。
ヒュー・ジャックマン演じるカーボーイが馬に乗って現れてもおかしくありません。
代わりに、同じようなカーボーイハットをかぶった主人の姿が見えていますが・・・
足の長さが違いすぎる
かっては先住民が暮らしていたこの地域に、1835年、白人の入植者がやって来て水場近くに住み着いたことから、アボリジニとの争いになったようです。
兵士が入植地の防衛にあたるようになり、こうしてヨークは集落の形を整えたのでした。
その後羊毛産業が盛んになり、港町「フリーマントル」への輸送が急務となりました。
1886年にようやく鉄道が開通すると、偶然にも数年にしてゴールドラッシュが起こりヨークは活況を呈したそうです。
往時の賑わいを偲びながら、町のメインストリートを歩きました。
その一角にあるレストランで昼食をとりました。
マウスオン・クリックで、三枚の画像をご覧下さい
毎度のことですが、ボリュームがあり過ぎて、いつも頼むのは一人前・・・
これにサラダを付けますが、これがまた凄い量です
こちらは1886年に建てられた「聖パトリック教会」、人の姿はほとんどありませんでした。
この後は車で、インフォメーションセンターの地図に記してあった川に出て、ツリ橋を渡ったりブッシュウォークをしたりして遊び、それから1km位離れた所に建つ古い学校に行きました
小さな小さな小屋のような学校です。
すぐ横にある「工房」に居たおじさんが、鍵を開けて案内してくれました。
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マウスオンで室内をご覧下さい
教室1つと教師の寝泊りする部屋だけの狭さで、トイレも無かったそうです
壁に貼られた、ヨーロッパと大英帝国の大きな地図が印象的でした。
ここでは「駅舎」や「プラットホーム」も立派なヘリテージ、歴史的遺産です。
ここに佇んで、もう列車が走らなくなったレールを見ていたら、ふと「北海道」を思い出しました。
この鉄道工事に従事したのはイギリスから送られてきた囚人達で・・・
ここに住んでいた先住民との土地を巡る争いも、アイヌの悲劇と似ています。
年代的にも同じ頃でしょう。
アポリジニもアイヌも文字を持たなかった事まで共通していて驚きました。
鉄道が廃止されて物流はトラック輸送が主になりました。
オーストラリアは国道一号線が、北東部のケアンズから南に下り、東部の大都市を通ってから海岸線を西に向かい、パースを北上してダーウィンまで繫がっているそうです。
ギネスブックに載る、世界一の長さの国道だそうです。
ヨークに向かう時に、パース郊外の道路で遭遇した光景ですが、こうして「家」までまるごと運んでしまうので驚きました
映画「オーストラリア」を観て、去年行って、まだUPしていなかった「ヨーク」を思い出しました。
この翌日に、インド洋の海にポチャンと落として使えなくなったコンデジで写した古い画像で恐縮です
今年の2月に行った「バリ島」や「ジャワ島」はオーストラリアのすぐそばにあるのですが、歴史のある名所旧跡がたくさん見られるところでした。
次回は叉それらを綴っていこうと思っています。