花と緑を追いかけて

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いっぱいの主婦の日記です

エジプト紀行17・「ハトシェプスト葬祭殿」

2011年02月21日 | エジプト紀行
チュニジアから始まった民主化要求デモは拡大を続け、
中近東の国々では、政権側の弾圧による死者数も増え続けているようですね。

昨夜、NHKスペシャル「独裁政権VS若者達・中東ネット革命の真実」を見ました。

デモという従来からあった行動の裏では、インターネットを遮断したエジプト政府と若者達、
そして世界中のハッカー達との凄まじい攻防が・・・
今までの革命とは全然違うネット戦争が繰り広げられていたようです。

死亡した365人の追悼式が行われたタハリール広場では、それぞれが権利を主張するデモが行われ
収拾が付かなくなりつつあるようです
エジプトの民主主義はこれからが正念場ですね。

この一連の動きは、ひょっとして中国にも飛び火するかも知れません。
歴史は今怒涛の如く動いていますね。

エジプトと言えば忘れられないのが、1997年にルクソールの「ハトシェプスト女王葬祭殿」で起きた、
イスラム原理主義の過激派集団による「外国人観光客襲撃テロ事件」です。

私たちの「エジプト旅行」6日目の見学は、その舞台となったルクソール西岸へ向いました。

1月28日

古都「ルクソール」での2日目の朝を迎えました。
私たちが泊まったホテルは「シェラトン・ルクソールリゾート」
ナイル河畔の東側にあるリゾートホテルです。

西側の山々が朝日に赤く染まっていました。
あの山の向こうに「王家の谷」があるのでしょうか・・・?

ホテルの部屋はちょっと狭かったけど・・・朝食のビュッフェはパンが豊富でした。

さて「生者の都」と言われる東岸に対して、
夕日が沈む西岸は 「再生・復活」を意味する「死者の都」ネクロポリステーベと呼ばれ
墓所として利用されてきました。


サトウキビ畑の続く牧歌的な風景の中に突然現れる「メムノンの巨像」

新王国時代絶頂期の「アメンへテブ3世」の像で、坐像の後には葬祭殿があったのが
後の国王が自らの葬祭殿設立の石材調達のために破壊してしまったそうです

「ハトシェプスト女王葬祭殿」

そしていよいよ「ハトシェプスト女王葬祭殿」に到着です。
厳重なるセキュリティーチェックを受けてからトラムに乗って行きました。

岩を背にしたモダンな三階建ての建物が眩しい

この葬祭殿は、紀元前1500年頃エジプトで最初の女王となったハトシェプストのために
造られた葬祭殿で、ルクソール西岸・王家の谷の東側にある断崖を背に建てられています。

私たちは最初に向かって右側にある“アヌビス神の礼拝所”に行きました。

アヌビス神とは黒い犬の頭を持った神様で、お墓の守り神だったようです。


この壁画は、ホルス神にワインを捧げるトトメス3世の姿が描かれています。

3500年以上も前に描かれた色彩が、色鮮やかに残っていることが奇跡ですね。

トトメス3世は幼少期に王権を奪われたことでハトシェプスト女王を憎み、
壁画を抹消したり、ファラオにとって大事な王名表からも女王の名前を削除させたそうです。

女王の姿が削られていますアメン神への捧げ物

天井一面に描かれた星が見事!犬の頭を持ったアヌビス神

モモちゃんの熱心な説明を受けてから自由時間となり、私たちは葬祭殿の上のテラスに行きました。


14年前、ここで死者60名を出したテロリストグループによる外国人観光客襲撃事件が起きたのです。
日本人も10人が犠牲になりました。

まさに逃げ場のない舞台のような場所ですね。


すっかり御馴染みになった「ホルス」がお出迎えです。


当時、エジプトでは女性は王になれませんでしたが、王の嫡出の長女には王位継承権があり、
その夫が王になるという制度になっていました。

ハトシェプストはトトメス1世の嫡出の長女として王位継承権を持っており、
トトメス1世の側室の息子が彼女の夫でトトメス2世となりました。


付け髭をつけた「ハトシェプスト女王」の像が並んでいます。
本物は破壊されましたので、これらはレプリカですが・・・

女王には息子がいなかったのか、トトメス2世の側室の息子が後継者に指名されました。
しかし、トトメス2世の死後、ハトシェプストは夫の側室の息子であるトトメス3世が幼少であることを理由に、
自らが王になりました。
トトメス3世は彼女の娘と結婚します。
う~~ん、このドロドロの人間関係は現代では考えられませんね

エジプトの女王と言えば美人で有名なクレオパトラが浮びますが、
ドラマチックな点ではハトシェプスト女王も負けていませんね。俄然興味を持ちました。

現代はここで「写真を撮ってあげる」と言ってパクシーシ(チップ)を要求する警備の警官の姿が目立ちます

どうやら我ツァー仲間が餌食になったようですこちらは岩窟聖至所

この聖至所は女王の墓に続いているとも言われているそうですが、
未だに女王の墓は確認されていません。


ハトシェプスト女王は、この葬祭殿を建築した(愛人であったとも言われている)センムトを後に追放し、
センムトの像を全て破壊させました。

しかし、女王もトトメス3世が成長し力をつけてからは結局失脚します。
テロの舞台となったこの「葬祭殿」には愛憎渦巻く物語がありました。

       

この日のルクソールはカンカン照りで、帽子を忘れた仲間のぷりんさんとK子さんは
この「ハトシェプト女王葬祭殿」のお土産屋さんで帽子を買いました。

エジプトのカイロが北緯30度ですから、この1月の時期は冬です。
でも・・・
太陽の陽射しは強烈で帽子とサングラスは欠かせません。
最低気温「8度」、最高気温「30度」の世界です。

太陽の照りつける茶色の世界のあとに、早春の日本の風景を最後に加えます。


こちらは先日雪の後に尋ねた鎌倉「東慶寺」の鐘楼の周りに咲いた梅です。 


そしてこちらが春まんず咲くと言われる「マンサクの花」

こちらは「東慶寺」で写した画像ですが、今日見たら我が家の庭の「マンサク」も満開になっていました。
何となく嬉しいですね
青空が広がったら撮影したいと思います。

日本人の「春を待つ心」・・・
四季のある風景の中で培われた気持ちを大事にしたいですね。


コメント (22)
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