私が父の転勤で高校時代の2年間を過ごした山口県では、凄まじい豪雨の影響で多大な被害が出たようです。
TVのニュース画面では目を被いたくなるような土石流の大災害。
被害に遭われた方々には心からお見舞い申し上げます。
同級生のみなさんの所は、大丈夫ですか~?
関東地方は14日に「梅雨明け宣言」が出され、3日間ほど真夏の青空と暑さが続きましたが、その後再び梅雨に逆戻りしたようなお天気が続いています。
昨日の太陽の天文ショーが始まる頃も、一部ではうす雲を通して部分的に欠ける太陽が見られたようですが、我家の上空は厚い雲に覆われていました
それでもTV画面を通して観た「硫黄島や太平洋上の皆既日食」は素晴らしかったですね。
あのダイヤモンドリング、そして周囲360度に輝く夕陽のような光・・・
一度でいいからあの場に立って見たいです
さて途中で途切れていた「甲信越・ドライブ旅行」の続きを、遅まきながら再開したいと思います。
6月26日
「諏訪大社・上社本宮」
前日「甘利山&千頭星山」を歩いた私たち、翌日は主人が希望する神社仏閣めぐりです。
一晩泊まった「八ヶ岳リゾート」のロッジを後にして、最初は「諏訪大社・上社(本宮)」に向かいました。
昔「高遠の桜」を見に行ったバスツァーで帰路に寄りましたが、あの時は往路の大渋滞で時間がなくて、ほんの入り口をウロウロしただけです。
「諏訪大社は」我国最古の神社の一つであり、信濃國の国造りがなされたのち、日本国土の守護神としてこの地にお鎮りになり、信濃國一之宮として皇室武門および一般の信仰が厚く、全国一万有余の諏訪神社の総本社なのだそうです(諏訪大社のホームページより)
「諏訪大社」と言えば「おんばしら」、入ってすぐのところに祀ってありました
幣拝殿と片拝殿のみで本殿を持たない、諏訪造りという独持の様式だそうで、徳川家康が造営寄進したと言う四脚門など貴重な建造物が数多く残っております。六棟は国の重要文化財に指定されているとか。
ボランティアの案内人さんが親切丁寧に教えてくれました
おごそかで神聖なる空気の中で、家族みんなの健康と幸せを祈願しました。
ここの「神紋」は「穀の木」(梶の木)ですが・・・
カジノキは神道では神聖な樹木のひとつであり、クワ科コウゾ属の落葉高木。
マウスオンでご覧下さい
「樹高はあまり高くならず、10mほど。葉は大きく、浅く三裂するか、楕円形で毛が一面に生える。左右どちらかしか裂けない葉も存在し、同じ株でも葉の変異は多い。雌雄異株。」(フリー百科事典・ウィキベディアより)
確かに神紋の図柄のように、裂けている葉もあれば楕円形もありで納得ですね。
古代から神に捧げる神木として尊ばれていた為、神社の境内などに多く植えられ、主として神事に用い供え物の敷物に使われたそうです。
諏訪大社・上社(本宮)は守屋山の山麓で中部地方唯一と言われる原生林に抱かれる如くに鎮座しております。
私たちは行きませんでしたが、実は「諏訪大社・上社」にはここの本宮の他に前宮もあるとのこと・・・
本宮の東約2キロの所に鎮座しているようです。
上社・本宮を一回りしてから、車を置かせてもらっているお土産屋さんに行きました。
お酒のおつまみなどを買って、ついでに下社の行き方を聞きくと・・・
「ここの上社は二代目の大黒様が建てたもの、最初は奥様と一緒にここに住んでいたけど2人は別れちゃって、その後に奥様が住んだのが下社・・・、その奥様の涙でできたのが諏訪湖なのよ」というお話を伺いました。
確かにそれによく似た神話があるようですが
上社は男神、下社は女神・・・
男神が女神に会いに行くときに起こるのが「諏訪湖の神渡り」・・・
こちらのお話しの方がロマンが感じられますね
「諏訪大社・下社」
「上社」から約10km、JR中央線下諏訪駅の東北約1km、旧中仙道と甲州街道の分岐点の要所に鎮座しているのが「諏訪大社・下社(秋宮)」です。
「昔、高速道路が走っていない頃、上高地に行く度にこの前を車で通ったけど、この「下社」を見るのは初めてなんだ」と主人がつぶやきました。
モチロン私も初めてです。
鳥居の前の非常に分りやすい駐車場に車を入れました。
鳥居を入ってまず目に付く正面の大きな木は根入の杉と呼ばれ樹令は約八百年の御神木。
正面に見えています。
上社の神体山に対し下社は御神木を御神体として拝し、古代祭祀の形式を今に残しているそうです。
マウスオンでご覧下さい
身長1.7m、青銅製では日本一と言われる狛犬を両脇に従えた神楽殿は三方切妻造りで天保六年(1835)立川和四郎二代目富昌の作です。
ここでも「家内みんなの健康と幸せ」を祈願しました。
御社殿は神楽殿の奥で、二重楼門造りの拝殿と左片拝殿及び右片拝殿が横に並びます。
これら現在の建物は安永十年(1781)春に立川和四郎初代 富棟の棟梁で落成しました。
ここにも「御柱」が祀られていました。
おんばしらの用材はモミの木が使われ、三年前から御用材の選定等準備が始まり、上社関係は20km隔たる八ケ岳の中腹から、下社関係は八島高原の近くから 約10kの里程を曳き出します。
大きな柱は周囲3m、長さ16m余、重さ12~13トンにも及び、独特の木遣り歌と共に2000~3000人の人々により曳行されるそうです。
御柱祭(おんばしら)は7年目毎、寅と申の年に行われ、次回は来年・・・
正式名称は「式年造営御柱大祭」といい神殿の造り替え、その四隅に建てる、諏訪大社で最大の神事です(諏訪大社・ホームページより)
3年前に訪ねた「出雲大社」にもさざれ石がありましたが、ここにも立派なさざれ石が・・・
♪君が代は、千代に八千代にさざれ石の巌となりて・・・♪
日本国民のうち、果たしてどれだけの人がこの意味が理解できるでしょうか???
竜の口から出てるのはナント!お湯!
温泉かな?、諏訪温泉は有名で、高速道路のサービスエリアでも入れるようですね
ところで今回訪ねた「下社」の鳥居横には、大きく(秋宮)と書かれていました。
その意味も知らずに、この後は目的地の「別所温泉」に車を走らせましたが・・・
今回色々調べてみると、ナント「諏訪大社・下社」には(秋宮)と(春宮)があるらしい
「春宮」は中央本線下諏訪駅から北西へ約1km、秋宮から西へ1kmの位置で旧中仙道沿に鎮座とか・・・
「諏訪大社」は諏訪湖の南北に二社ずつ、四ケ所に鎮座する変わった形の神社だったのです。
「上社」と「下社」の両方をお参りしたけど、まだまだ半分残っていました。
もう一度是非行かなくてはなりませんね。
来年の「御柱祭」の頃を目標に考えてみようかしら?
それとも上社例大祭の「御頭祭」の4月15日か、下社例大祭の「お船祭」の8月1日・・・
このどちらかにしようかしら?
TVのニュース画面では目を被いたくなるような土石流の大災害。
被害に遭われた方々には心からお見舞い申し上げます。
同級生のみなさんの所は、大丈夫ですか~?
関東地方は14日に「梅雨明け宣言」が出され、3日間ほど真夏の青空と暑さが続きましたが、その後再び梅雨に逆戻りしたようなお天気が続いています。
昨日の太陽の天文ショーが始まる頃も、一部ではうす雲を通して部分的に欠ける太陽が見られたようですが、我家の上空は厚い雲に覆われていました
それでもTV画面を通して観た「硫黄島や太平洋上の皆既日食」は素晴らしかったですね。
あのダイヤモンドリング、そして周囲360度に輝く夕陽のような光・・・
一度でいいからあの場に立って見たいです
さて途中で途切れていた「甲信越・ドライブ旅行」の続きを、遅まきながら再開したいと思います。
6月26日
「諏訪大社・上社本宮」
前日「甘利山&千頭星山」を歩いた私たち、翌日は主人が希望する神社仏閣めぐりです。
一晩泊まった「八ヶ岳リゾート」のロッジを後にして、最初は「諏訪大社・上社(本宮)」に向かいました。
昔「高遠の桜」を見に行ったバスツァーで帰路に寄りましたが、あの時は往路の大渋滞で時間がなくて、ほんの入り口をウロウロしただけです。
「諏訪大社は」我国最古の神社の一つであり、信濃國の国造りがなされたのち、日本国土の守護神としてこの地にお鎮りになり、信濃國一之宮として皇室武門および一般の信仰が厚く、全国一万有余の諏訪神社の総本社なのだそうです(諏訪大社のホームページより)
「諏訪大社」と言えば「おんばしら」、入ってすぐのところに祀ってありました
幣拝殿と片拝殿のみで本殿を持たない、諏訪造りという独持の様式だそうで、徳川家康が造営寄進したと言う四脚門など貴重な建造物が数多く残っております。六棟は国の重要文化財に指定されているとか。
ボランティアの案内人さんが親切丁寧に教えてくれました
おごそかで神聖なる空気の中で、家族みんなの健康と幸せを祈願しました。
ここの「神紋」は「穀の木」(梶の木)ですが・・・
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カジノキは神道では神聖な樹木のひとつであり、クワ科コウゾ属の落葉高木。
マウスオンでご覧下さい
「樹高はあまり高くならず、10mほど。葉は大きく、浅く三裂するか、楕円形で毛が一面に生える。左右どちらかしか裂けない葉も存在し、同じ株でも葉の変異は多い。雌雄異株。」(フリー百科事典・ウィキベディアより)
確かに神紋の図柄のように、裂けている葉もあれば楕円形もありで納得ですね。
古代から神に捧げる神木として尊ばれていた為、神社の境内などに多く植えられ、主として神事に用い供え物の敷物に使われたそうです。
諏訪大社・上社(本宮)は守屋山の山麓で中部地方唯一と言われる原生林に抱かれる如くに鎮座しております。
私たちは行きませんでしたが、実は「諏訪大社・上社」にはここの本宮の他に前宮もあるとのこと・・・
本宮の東約2キロの所に鎮座しているようです。
神楽殿は1827年の建立 | 中の大太鼓は江戸時代のもの |
江戸時代の力士「雷電」の銅像が・・・ | その手形はとてつもなく大きい! |
上社・本宮を一回りしてから、車を置かせてもらっているお土産屋さんに行きました。
お酒のおつまみなどを買って、ついでに下社の行き方を聞きくと・・・
「ここの上社は二代目の大黒様が建てたもの、最初は奥様と一緒にここに住んでいたけど2人は別れちゃって、その後に奥様が住んだのが下社・・・、その奥様の涙でできたのが諏訪湖なのよ」というお話を伺いました。
確かにそれによく似た神話があるようですが
上社は男神、下社は女神・・・
男神が女神に会いに行くときに起こるのが「諏訪湖の神渡り」・・・
こちらのお話しの方がロマンが感じられますね
「諏訪大社・下社」
「上社」から約10km、JR中央線下諏訪駅の東北約1km、旧中仙道と甲州街道の分岐点の要所に鎮座しているのが「諏訪大社・下社(秋宮)」です。
「昔、高速道路が走っていない頃、上高地に行く度にこの前を車で通ったけど、この「下社」を見るのは初めてなんだ」と主人がつぶやきました。
モチロン私も初めてです。
鳥居の前の非常に分りやすい駐車場に車を入れました。
鳥居を入ってまず目に付く正面の大きな木は根入の杉と呼ばれ樹令は約八百年の御神木。
正面に見えています。
上社の神体山に対し下社は御神木を御神体として拝し、古代祭祀の形式を今に残しているそうです。
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マウスオンでご覧下さい
身長1.7m、青銅製では日本一と言われる狛犬を両脇に従えた神楽殿は三方切妻造りで天保六年(1835)立川和四郎二代目富昌の作です。
ここでも「家内みんなの健康と幸せ」を祈願しました。
御社殿は神楽殿の奥で、二重楼門造りの拝殿と左片拝殿及び右片拝殿が横に並びます。
これら現在の建物は安永十年(1781)春に立川和四郎初代 富棟の棟梁で落成しました。
ここにも「御柱」が祀られていました。
おんばしらの用材はモミの木が使われ、三年前から御用材の選定等準備が始まり、上社関係は20km隔たる八ケ岳の中腹から、下社関係は八島高原の近くから 約10kの里程を曳き出します。
大きな柱は周囲3m、長さ16m余、重さ12~13トンにも及び、独特の木遣り歌と共に2000~3000人の人々により曳行されるそうです。
御柱祭(おんばしら)は7年目毎、寅と申の年に行われ、次回は来年・・・
正式名称は「式年造営御柱大祭」といい神殿の造り替え、その四隅に建てる、諏訪大社で最大の神事です(諏訪大社・ホームページより)
3年前に訪ねた「出雲大社」にもさざれ石がありましたが、ここにも立派なさざれ石が・・・
♪君が代は、千代に八千代にさざれ石の巌となりて・・・♪
日本国民のうち、果たしてどれだけの人がこの意味が理解できるでしょうか???
竜の口から出てるのはナント!お湯!
温泉かな?、諏訪温泉は有名で、高速道路のサービスエリアでも入れるようですね
ところで今回訪ねた「下社」の鳥居横には、大きく(秋宮)と書かれていました。
その意味も知らずに、この後は目的地の「別所温泉」に車を走らせましたが・・・
今回色々調べてみると、ナント「諏訪大社・下社」には(秋宮)と(春宮)があるらしい
「春宮」は中央本線下諏訪駅から北西へ約1km、秋宮から西へ1kmの位置で旧中仙道沿に鎮座とか・・・
「諏訪大社」は諏訪湖の南北に二社ずつ、四ケ所に鎮座する変わった形の神社だったのです。
「上社」と「下社」の両方をお参りしたけど、まだまだ半分残っていました。
もう一度是非行かなくてはなりませんね。
来年の「御柱祭」の頃を目標に考えてみようかしら?
それとも上社例大祭の「御頭祭」の4月15日か、下社例大祭の「お船祭」の8月1日・・・
このどちらかにしようかしら?
肉眼で見上げましたが、雲がフィルターの役目をしてくれたようです。
5月末に諏訪大社の下社の横にあるホテルに泊まって中山道の和田峠越えをしました。
春宮は工事中でした。
来年おんばしら祭りが行われる木落とし坂も見てきました。
45度くらいありそうな急坂でした。
諏訪大社の秋宮から下諏訪までの通りもすっかりきれいに
整備されていました。
来年、ぜひ「おんばしら祭り」に行ってみてください。
女性の参加もOKだそうです。
流石に奥が深いです。
私たちもこの後は「和田峠」に向かいました。
あの旧道が山小屋さんが定期的に歩いている「中山道」とは・・・
御柱祭りとだんじり祭りは、日本を代表する勇猛果敢なお祭りです。
とてもとても女子供が出る幕ではないような気がしますが、一度は見たいものです。
山に登れなくなったら、今度は日本全国の「祭り」見物でしょうか・・・?
嗚呼!考えただけでも血が騒ぎますわ。
昨日の皆既日食フィーバーは大変なものでした。
こちらでは、残念ながら見ることができませんでしたが、
TVやブログの方々からの画像が素晴らしかったです。
よくぞみなさま撮られる技術がおありと、尊敬いたします。
諏訪大社の下社にはまだ行ったことがありませんでしたので
興味深く拝見しました。
いつもの鮮明な画像とお話でご一緒させていただいたような気持ちです。
さざれ石のことも知りました。
新座市の平林寺で出雲仏教産の「さざれ石」を見てきたばかりでした。
この石も苔は這えておりましたが立派なものでした。
そうですか~、来年、寅年には御柱祭りなのですね~。
いつもTVで、勇壮なお祭りにハラハラドキドキして見ておりました。
凄~い迫力ですね。
いつもありがとうございます。(*^_^*)
最高温度で27度なんて^^涼しい日々を送っています。
水害は無かったでしょうか。こちらも何も無く・・・。
心洗われるような清々しい風景が続きますね。見ていたら・・・
先日行った、天岩戸神社を思い出しました。皆さんの逆を歩いてて、大切な方が後になりました。その土地に行って、社の前に立ち、皆さんのお話を聞いて、次々と未知の世界に足を入れていきます。
長い石段を見て、イヤっとしり込みしながら、人っ子一人居ない静かな社の前で手を合わす厳かな充足感・・・。つくづくに足の元気さを知らされます。
「御柱祭」の頃、訪れてまた、色々教えて欲しいなぁと思いましたよ。色々とありがとう。
御柱祭は来年ですか。テレビでしか見たことがありませんが勇敢な人たちが多いですね。
雷電は子供のころに読んだ講談本に胸躍らせたものです。横綱の谷風より好きでした。
私もTVでしか見たことがありません。
今回「諏訪大社」を訪ねて来年あると知り、俄然興味が湧きました。
私たち夫婦もモカさんと同じ様に「上社」だけしか知らず、今回下社にも足を伸ばしたのですが・・・
下社は「春宮」と「秋宮」があり、上社もこの「本宮」の他に「前宮」があるようで混乱してしまいました。
諏訪大社は全部で四つあるのです
さざれ石は4~5箇所で見た覚えがありますが、この「下社」のさざれ石が一番立派ですね。
東西南北に祭られているのですね。
諏訪神社といえば 例の御柱のすごいシーン!
危険極まりないお祭りを連想します。
そして諏訪湖の神渡り!
たくさんの画像を拝見していて諏訪神社のことについて詳しくなったような錯覚?を憶えました。
カジノキ この時季は花も果実もなっていなかったのでしょうか?
立派な狛犬!
実は狛犬さん 好きなんです~
見るとつい撮ってしまいます。
それに注連縄の立派なこと!
木造建築は素朴ですが よく見ると本当に緻密で宮大工さんたちの素晴らしい技術には何時も感心してしまいます。
ずっと守っていってほしいですね。
大学時代仲間が諏訪にいましたので、
何度も諏訪に行きました。オートバイでです。
ツーリグをかねて、仲間は思い思いに出発し
て、諏訪の仲間の所へと集まるのです。
もちろん、諏訪大社の前も通りました。
なんとなく懐かしいなぁ。
御柱については、その学生時代住んでいた
アパートの隣部屋の人が隣の辰野出身でし
たので、しきりにすごいんだと言っていました。
後にテレビでそれを見て、こりゃすごいと。
見てみたいものです。私も。以来、あの柱を
見る目が変わりました。
願わくば、又あの時みたいにオートバイで
行きたいのですが、もうすっかりご無沙汰し
ているんです。オートバイは..。
すぐにお返事をと思いましたが、今日は両親に会いに行く日、遅くなってごめんなさいね。
施設で皆と一緒にトランプ(七並べ)をしてきました。
我家は横浜の高台にあるので水害の心配はないのですが、marriさんの所こそ山口県のお隣で、大丈夫でしたか?
天岩戸神社もこの諏訪大社も、神代の時代からある神社・・・
流石に心が引き締まりました。
流れる空気が巷と違うような・・・
清冽な感じがしますね。これは神の住む山にも通じる空気です。
この後はmarriさんに教えてもらった「北向き観音」に行きましたよ。乞う!ご期待を!
「下社」も・・・と行ったらナント!二つもあってびっくりです。
「雷電」は有名ですが横綱にはならなかったのですか?
相撲には疎い私です。
今日はよく降りましたね
もうグチャグチャです。
青空が恋しい~