大地が揺れて、想像もつかないような大津波が押し寄せ、
そして福島第一原発が制御不能になったあの日から一年が過ぎました。
15000人以上の死者と、いまだに3000人以上の行方が分らない「東日本大震災」
進まない復興、先が見えない福島原発・・・
今改めて1年前のあの日のことを思い返しています。
私は父の施設を訪問中にあの地震に遭遇しました。
東北の被災地の大惨事に比べれば、横浜はさほどの被害はありませんでしたが
その後に起きた停電・放射能の恐怖・物不足・・・
60数年間生きてきた私ですら、初めて経験することばかり。
あの日を境に、イザヤ・ベンダサンのベストセラーで知られる、
日本人は「水と安全はタダで得られると思っている」という
常識が覆りましたね。
そして「平穏な日常が如何に大事か」を実感しました。
ガンが見つかり、あの前日に内視鏡で除去手術を行っていたご近所仲間の友人は
あの数日間で、人生観がすっかり変わったと申していました。
ですからあれほど映画や歌舞伎と楽しんでいた我々ご近所仲間も、
去年は忘れたように、連れ立って街中に出かけることがなくなりました。
大津波の悲惨さをTVで観るにつけ切なくなり、放射能の恐怖も加わり
3月後半は夫婦してアドレナリンが放出し、ヒステリー状態だったような気がします。
節電を考え「ブログの更新」も控えようと思いましたが、
有事の時の、私自身の気持ちの記録のためにも続けました。
”TVで流れる悲惨な映像に涙し、
寒い避難所で協力し合って過ごしている被災者の方々の姿に感動し・・
そして日々計画停電に日常生活は振り回され、物不足に唖然とし、
深刻な事態に陥っている「福島原発」の成り行きも不安で・・・
何だかとても疲れています”
と記している私でした。
その後TVで「放射能の心配は殆んどありません」と言い続けていた御用学者を胡散臭く感じ
情報操作をした政府や東電に怒りを覚え
スピイディーなどの情報はアメリカには知らせても国民に知らせなかったとは
お陰で「浪江町」の人々の避難が後手後手に回りましたね。
最初から原発はメルトダウンをしていたにもかかわらず、
その可能性を言った原子力安全保安員の方を表舞台から降ろし
挙句に最近知ったことですが、原発事故会議の議事録がなくて、
民間機関が聞き取りで作成したものが78ページ、
アメリカでは「福島原発事故に関する会議」の議事録が2000ページ以上と言う
この差は何なんだと
政府官邸の中枢はそれほどまでにウロタエていたのでしょう・・・
危機管理能力がなかったことがまさに暴露されましたね。
庭の紅梅とマンサクが3週間遅れで満開になりました
我が家のマンサクは「シナマンサク」
園芸種ではなく、自然の山で育ったものをもらったので華やかさはありません。
楚々としていて、青空を背景に写したかったのですが、今年はなかなかそのチャンスに恵まれませんね。
散る前に撮らねばと、震災一年目の今日写しました。
東北の山々に「まんず咲き出す」のはいつ頃でしょうか?
早く暖かい春が来ると良いですね。
今回の震災の被害は「想定外」で片付けられてがちです。
でもちゃんと1000年以上前に起きた今回の津波と同程度の
「貞観地震&津波」の記録などはあったらしい・・・
歴史から学ぶことをしなかったことが悔やまれますね。
我々はこの大震災を兎に角忘れずに、後世の人々に語りついで行かなければなりません。
それがこの時代に生きたものの責任だと思います。
取り合えず自分自身の身の回りを考えれば、今叫ばれている「東京直下型地震」が起きた時には
今回の教訓が生かせるよう自分自身も反省し、政府にも望みたいですね。
昨日今日のTVの震災特番で、一番印象的だったのは
生きるか死ぬかの瀬戸際で必要なのは「個力」と語った、
被災地の消防団の方の言葉でした。
この情報化時代に正しい情報が行き渡らず、多くの人々が亡くなった現実を知る指揮官の
悔しい言葉にも聞こえました。
大災害に生き残るには、確かに運不運を含めて、自己責任と個の力が必要なのでしょうが
去年、被災地に真っ先に咲き出したと聞いた「水仙の花」
我が家も今が盛りです
いま思う事は、この震災で犠牲となった方々を安らかに供養する上でも
皆の力を集結して、日本という国が民に優しい国となるように頑張らなくてはなりません。
OL時代の仲間からこんなメールが届きました。
”「TOP of 虹の会」を検索してみて下さい。
我々の後輩が中心になって、岩手県大船渡市の「北浜わかめ虹の会」の
支援ボランティアをしています。
大漁旗も流され、佐賀の織り元から「武者のぼり」の寄贈をうけて
半纏 エコバック等を制作してます。
半纏はワカメ業者にプレゼントと「わかめ販売」の折りに着用。
エコバックなどの売り上げは支援金。
今ワカメのオーナー制度(一口一万円)も立ち上がっているようです。
支援の目的が明白なところが良いと思ってます。
ご声援いただければ嬉しいです”
震災後には日本赤十字と仕事先の公的施設を通しての寄付をしました。
私ができる事は微々たることですが、これも叉考えてみようと思っています。
最後にブログ仲間のzooeyさんがUPしている、
「今まで観た中で一番衝撃的な大津波の映像」というユーチューブを紹介します。
あまりの凄まじさにショックを受けました。
首都圏直下型や東海・東南海地震の可能性が指摘されている今、明日は我が身かもしれません。
興味のある方はご覧下さい。
未だにガレキの山がそのままになっている
ところも多いようです。
日本全国の自治体で協力するという体制も
整っていないようです。
「がんばれニッポン!」の標語が掛け声だけで
終わって欲しくないです。
津波の映像は健康によくありません。
これを見るだけで気分が悪くなる人も多いようです。
あの日以来、私も何もない平凡な日常の有り難さを痛感するようになりました。
今日は梅とマンサク等~本格的な春を感じます(^^)
我が家の梅も遅まきながら一輪だけ開花しました
「災害は忘れた頃にやってくる」の例え通りなのでしょうね。
「1000年以上前に起きた今回の津波・・」研究者等それらを知っていた方も少なくは無いと思います、でもだから危ないと言ってもおそらくは誰も耳を傾けなかったのではと思います。
想定外も当然である専門家の方は電源が無くなることを想定したら何も設計など出来ないと言っていました。
「地震列島日本」は判っていても最悪を想定しては原発に限らず何も出来ないと言う事でしょうね。
ただ地震・津波・土砂災害等々は列島が沈没しない限りは限定的ですぐに復興も出来るでしょうが、原発の様に人がコントロールすることの出来ないものは作るべきでは無いと思っています。
いろいろデータが発表されて信用できるの出来ないのと言っていますが、誰も原子炉の中を肉眼で確認した訳では有りませんから確認できない様もの、人智を超え天に運を任せる様なものはね・・・。
及ばない文章力と洞察力に、又ズルをしてリンクさせて頂きました。
私も一年前のこの日は電車の中でした。
膝がいたくてクリニックの帰りでしたが、凄い
地震で電車は止まり外にいたので実態が
分からず、夜中に家に着き余りの凄さに唖然としたものです。
昨日同時刻に、犠牲者の冥福を祈って黙祷させて頂きましたが
二度と繰り返さない為にも、天皇陛下も
おっしゃっておられた「大震災を子孫に伝えて欲しい」私達は忘れてはいけないですね。
被災者の方々も頑張っているのを見ると、ホットするのと同時に
出来る範囲でお手伝いしたいですね。
しかし我々は”気分が悪くなる”だけですが
実際に東北ではそれが起こって
人々はそのさなかで今も苦しんでおられるのですものね。
自分たちが日々、普通の生活を送れることに感謝して
せめてがれき処理くらいは協力したいものですが
それも反対運動でままならないようで…
情けないことです。
本当にそう思います。
瓦礫の処理は日本全国が協力し合わないと無理ですね。
神奈川県知事も受け入れを表明していますが、地元の説得が大変なようです。
国も強力なバックアップ体制を作って欲しいですよね。
津波の映像を見る事に寄り、私達はその信じられない破壊力を直視し、恐ろしさを伝えて行くべきだと思います。
自宅は大丈夫でも、旅行などで万が一自分がこの中に巻き込まれることもあるかもしれません。
より高い所に逃げるのが大事と実感しました。
種類にもよるのでしょうが、カシオペア家はまだ一輪ですか・・・
今日行った鎌倉のお寺では丁度満開で見頃でした。
この一年、都心などに出る時は覚悟が必要でした。
「帰宅難民になったらどうしよう」と・・・
それはこれからも続きますね。
大震災以来、心の持ちようが変わったような気がします。
知る様になったと思います!
道路等にも表示されるようになりましたね!
平凡な生活がどれほど幸せな事なのか?思い知った日でした。
ユーチューブ、見させて頂きました。
見てるだけでも、怖くなり…寒気がして来ました。
火曜日の今日に訪問となっています。
節目の11日は運良く日曜日。各地で
慰霊の行事があったようです。新潟
でも募金や黙祷などありました。
今は何ができるかという点では、被
災地に観光などで行く。物産を買う
等が効果的支援だと思います。ささ
やかな物でも継続的にできるのが何
よりでしょう。
3.11。改めて故人の冥福を祈る
と共に、これからの復興へどのよう
な支援が良いのかという事を考える
機会となりました。
電気を使いつつ言うので、あまり説得力はありませんでしたが・・・
でもこれって正論だと思います。
昨夜のBSテレビで「外国人が見た東日本大震災」というドキュメンタリーでは
新しいエネルギー開発に取り組む人々を取材し
「この3,11は日本近代史の三大変革の一つになる」と言っていました。
明治維新と太平洋戦争の敗戦、そして今回の東日本大震災・・・
復興が元に戻ることだけを考えず、これを機会にクリーンエネルギーなどを生み出す技術開発が進めは、第三の変革になるでしょうね。
優秀な日本の技術を信じています。