花と緑を追いかけて

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いっぱいの主婦の日記です

鎌倉古道歩き・稲村ヶ崎へ

2012年09月09日 | 街道歩き

9月とは思えない暑さの中、ブログ仲間の「山小屋」さんに誘われて鎌倉を歩いてきました。

新田義貞の足跡をたどりながら、高崎からスタートした「鎌倉古道歩き」も、
6月に鶴岡八幡宮到着で終了したようですが
「稲村ヶ崎は外せない」という声が出て、今回はオマケ編だそうです。

稲村ヶ崎から眺めた「江ノ島」方面
この日の午後にはカミナリを伴う大雨の予報が出されていて、流石に富士山は見えませんでしたが
雨どころか、午後も真夏の太陽が照り付けていました

我が家近くの「鎌倉古道」に興味があり、4月5日町田から瀬谷までのコースに、
友人と参加させて戴きましたが、私はその後骨折し、以後の2回は残念ながら不参加

せめてフィナーレだけでも見届けたいと、行ってきました。


「鶴岡八幡宮」

鎌倉駅で集合し、まずは「鶴岡八幡宮」に向います。
山小屋さんはじめ、4月にご一緒した顔なじみの方も何人かいました。

本堂に向う階段の手前にある「舞澱」の前で、参加者20数名が並び記念写真を撮りました。

鶴岡八幡宮は、源頼義が奥州の戦乱「前9年の役」で勝利した礼として
京都の岩清水八幡宮を現在の材木座元八幡(由比若宮)に勧請したのが始まりです。

その後、本拠地を鎌倉に定めた源頼朝が現在地に移し、鶴岡八幡としました。

鎌倉幕府滅亡後も「武門の神」として足利氏、豊臣氏、徳川氏に崇敬されたこの神社、
我が家からも近いので、息子、2人の孫の七五三はいつもここでした。

「源頼朝公の墓」(法華堂跡)
建久9年(1199)12月、源頼朝は相模川にかけた橋の完成祝いに出掛け、その帰りに落馬
それが原因で、翌年数えの53歳で亡くなりました。

大倉法華堂(現在の鶴岡八幡宮横の白旗神社)に葬むられ
現在の墓は白旗神社のすぐ横の階段を登った所にあります。

53歳で亡くなった頼朝と同じ数の階段を登ると
うっそうと木々の茂った中にお墓があります。


墓の層塔(そうとう)は1779年(安永8)に、子孫である島津重豪(しまずしげひで)により
大御堂から移されたものといわれ、国の史跡に指定されています。


20人もの団体で行った私たちに、ボランティアのガイドさんが説明をしてくれました。


カンカン照りの中、歩いて南下し「宝戒寺」の先を左に折れて「東勝寺跡」を目指します。

住宅街でありながら「祇園山ハイキングコース」に通じる道は緑が深く、
ヒンヤリとした風が流れるとホッとします。

「北条高時・腹切りやぐら」
東勝寺は13世紀前半に鎌倉幕府の三代執権・北条泰時が創建した寺院です。

新田義貞らの鎌倉攻めの時、新田軍が若宮大路まで迫ってきた事を知った北条高時は、
一族郎党870名余りとここに立て篭もり、火をかけて最後を遂げました。

鎌倉幕府終焉の地は金網に囲まれて、今は何もありません。



この裏山に自害した一族の墓「腹切りやぐら」があります。

瀟洒な家が並ぶ住宅地のすぐ裏の、ハイキングコースの入り口に、
鎌倉幕府終焉の地があること自体、いかにも鎌倉らしい風景ですね。

「本覚寺」

車の往来の激しい道を更に南下し、日蓮に縁のある「本覚寺」で一休みです。

正午近くなって、太陽の光は更に強まった感じ・・・
熱中症が怖いので水分を補給しました。


鐘楼には応永17年(1410年)銘の梵鐘がありました。

境内の大きなアメリカ芙蓉と、サルスベリが晩夏の風情を漂わせています。
積乱雲がモクモクと大きくなっていますが、午後から雨は降るのでしょうか

日傘をやめて雨傘を持ってきた私
これ以上の日焼けが怖いので、カンカン照りの中雨傘をさして歩きましたよ

「長谷寺」
鎌倉の古いお店が並ぶ道をひたすら歩いて、紫陽花で有名な「長谷寺」にようやく着きました。


ここで昼食タイムです。

拝観料300円を払って中に入りました。6月末に来た時は500円でしたね。
今は端境期でお花は殆んど咲いていません。


上境内の湘南の海が望める展望台横の、日影のベンチで持参したオニギリを食べました。
涼しさを呼ぶ頭上のミストも、この太陽光線であっと言う間に気体になっている


食後は一本のクスノキから彫られたという本尊の「木造十一面観音像」にお参りをしました。
高さ9,18mの日本最大級の木造の観音様です。

その後は涼しい日影を求めて散策し、1時半に山門前に集合
再び歩き始めました。

江ノ電と紫陽花の撮影スポット御霊神社をお参りし
極楽寺坂の切り通しを行きます。


日本の駅100選に選ばれている、江ノ電の可愛い駅舎「極楽寺駅」を右手に見ながら
線路に沿って進み、踏切を渡ると「石碑」が建っていました。


元弘3年(1333)5月8日、かねてから幕府に不満を持っていた上野国(群馬県太田)の御家人・新田義貞は
後醍醐天皇の幕府追討の令旨により、上野国の氏神明神社前で挙兵し
鎌倉幕府のある鎌倉目指して関東平野を南下しました。

鎌倉は三方を山で囲まれた天然の要害で、攻め込むことのできるのは、鎌倉七口と呼ばれる切通のみ・・・

新田義貞は、極楽寺切通からの攻撃を大舘宗氏という武将に命じました。
幕府は、極楽寺切通に大仏貞直を配置し防備に当たり、激戦の末、宗氏は極楽寺切通を突破しましたが、
北条軍に反撃され、宗氏以下11人が討死。

この11人が葬られたとされるのがこの塚で、十一面観音が安置され霊を弔ったといわれています。

ここから更に歩いて7~8分で「稲村ヶ崎」です。


新田義貞が「稲村ヶ崎」から鎌倉に攻め入ったのは、元弘3年5月22日(西暦1333年)

♪七里ヶ浜の磯伝い 稲村ヶ崎 名将の剣投ぜし 古戦場♪
と唱歌でも歌われていますね。


新田義貞が鎌倉攻めの際海中に宝剣を投げ入れ、潮が引いたところを一気に攻め入った…
という伝説が残っています。


フィナーレはそれにあやかって、この日のリーダーが自作の剣を海に投げ入れます。
(海に落ちないでね~)

新聞紙で折った兜をかぶり、真剣に挑む気持ちが素敵ですね。
こうして遊びを楽しむ姿勢が若さの秘訣なのでしょう・・・

最後に明治天皇が新田義貞を詠った碑の前で全員揃って記念写真を撮り解散となりました。


この日はフラダンスのイベントも開催されていて
現代の稲村ヶ崎は「古戦場」に思いを馳せるにはあまりにも明る過ぎました。

ここは夕景の富士山の撮影場所としても有名で、3~4日前にはダイヤモンド富士が見えたのでしょうか?

「今日の歩きは僅か10kmで少ないよ。15000歩程度だね」と、
お仲間がおっしゃっていました。

でも炎天下の鎌倉歩きは決して一人ではできません。
私も丁度良い足馴らしができました。

山小屋さん、お誘いいただき有難うございます。
汗びっしょりになった後の、皆さまとご一緒に飲んだが何とも美味しかったです。


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22 コメント

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鎌倉から稲村ヶ崎 (山小屋)
2012-09-10 07:25:04
おはようございます。
早速のご紹介ありがとうございます。
また、暑い中のご参加ありがとうございました。
私が鎌倉に向かう途中の池袋では土砂降りでした。
「これではとても歩けない!」と思いながら電車で
向かったら、横浜では夏空が広がっていました。

高崎から1年以上かけて鎌倉まで歩きました。
シリーズ歩きは終わったあと特別な感慨があります。
nao♪さんには1度町田からの歩きに参加して頂きました。
最後の最後ということでお誘いしました。
本当に暑い日で熱中症が心配でしたが、何とか
みんな歩き通すことができました。

最後の打ち上げまで参加していただき、仲間も
感謝しております。
またどこかよさそうな歩きがありましたら、お誘い
したいと思います。
お疲れ様でした。
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鎌倉古道 (写楽爺)
2012-09-10 14:27:36
こんにちは。
想い出しました4月頃だったでしょうか町田-瀬谷間を歩かれたのでしたね。
旧鎌倉街道は大きく分けて3ルートが有るとか町田・瀬谷を通るルートは多分こちら近くを通る上道のルートと思われます。
新田義貞が稲村ヶ崎で海中に宝剣を投げ入れ潮が引いたところを攻め入った話はあまりにも有名な伝説ですね。
鎌倉古道歩きの締めくくりとして参加出来て良かったと思います。
リーダーの方が模した刀剣を海に投げ入れるパフォーマンスも鎌倉古道歩きのフィナーレを飾るにふさわしいアイディアと感心しました。
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☆山小屋さんへ (nao♪)
2012-09-11 04:16:47
こちらこそ、お世話になりました。
今回行った一つ一つは今まで全部見ていますが・・・
こうしてまとめて歩くと、鎌倉時代の栄枯盛衰がよく分り、勉強になりました。

鎌倉は紫陽花の季節までと、萩が咲き始めたら歩き出すのが通常で、
この時期の鎌倉は歩いたことがありませんでした。
皆で歩けば「暑さ」も怖くない・・・デスネ。

雨を心配しての参加でしたが、最後まで太陽が照りましたね。
山小屋さんの晴れパワーを戴いたようです。
楽しい一日を有難うございました。

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☆写楽爺さんへ (nao♪)
2012-09-11 04:22:35
参加できなかった瀬谷から鎌倉までの2回分を、できれば個人で歩きたいと思いますが、とても複雑で難しそうです。
それだけ都市化が進み、鎌倉古道も所々しか残っていないのでしょうね。

フィナーレの、お手製の宝剣を投げ入れる儀式は見ものでしたよ。
この遊び心が素晴しい・・・
会の方々の平均年齢が70歳を越えているとお聞きしましたが、参加者の皆さまの若さの秘訣が分るような気がしました。
返信する
真夏のウォーキング (風のたより)
2012-09-11 08:04:26
お仲間と「鎌倉古道歩き」をされたんですね。
最後は稲村ヶ崎までと海沿いの良いコースでしたね。

でも真夏のウォーキングは暑いですよね。
私もつい最近久しぶりに常滑をひとりでウォーキング
しましたが、道からの照り返しがきつく、途中なんども
休憩をとりながらでした。

これからは少しづつ涼しくなりますね。
毎日少しづつやりたいなと思っていますが、、、
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街道歩き♪ (だんだん)
2012-09-11 13:35:05
古道、旧街道、宿の類いは、どこも歩いたことがありません。
せいぜい、入り口の標識を見るくらいでね~
歴史に想いを馳せながら、スタートから最終地まで踏破したい!
皆さんと同行されて、理解なさったことは多いでしょうね。
侍にタイムスリップして、剣を投げ入れるお仲間。
なかなか楽しいグループですね~
暑かったようですが、ビールが美味しかったでしょう♪(^o^)
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歴史の勉強 (lily)
2012-09-12 06:06:34
おはようございます。
鎌倉古道歩きをされたのですね。
中学校の修学旅行で行った遥か昔、鎌倉、江ノ島の事が
思い出されます。
nao♪さんの鎌倉古道歩きの説明で歴史の勉強させてもらいました。
リーダーの方、新聞紙で作った兜をかぶり、自作の剣を海に投げ入れる姿、ユーモアありますね。
でも立ってられる場所が怖いですね。
10km歩かれて足慣らしとはさすがだわ。
ビールの飲みぷりのいいnao♪さん、美味しかったというの分ります。
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☆風のたよりさんへ (nao♪)
2012-09-12 10:27:57
骨折して車の運転が出来なかった三ヶ月間は、買い物や通院など、毎日のように歩いていましたが、
車の運転が出来るようになると本当に歩かなくなりました。
この暑さの中ですものね~

「これではイカン!」と思い、足馴らし方々鎌倉を歩いてきましたが、兎に角暑かったです
私自身、コンクリート歩きは余り慣れていませんので不安もありましたが、この日は10km程度でしたので、
良い足馴らしになりました。
こうしてまとめて歩くと、鎌倉の歴史もよく分り、勉強になった一日でした。
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☆だんだんさんへ (nao♪)
2012-09-12 10:50:26
私も初めて、街道歩きの一端を経験しましたが、街中のアスファルト道路は膝にきて不安でした。
特に4月に参加した町田のコースは18kmくらい歩きましたから、夜中に膝が重くて目が覚め
慌ててシップを貼りましたよ。

今回は勝手知ったる鎌倉ですし、距離も長くないと分っていましたし・・・
鎌倉時代の最後の状況が良く分り、とても勉強になりました。
これからは、自然豊かな「関東ふれ合いの道」とか「東海自然歩道」とかを歩きたいですね。

このグループは山小屋さんが一番若いくらいの、平均年齢が高いグループのようですが・・・
最後にこうしたパフォーマンスを行う「遊び心」を持った方々が多くて楽しかったです。
歩いた後のも最高でした。
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☆lilyさんへ (nao♪)
2012-09-12 11:16:43
lilyさんの中学時代の修学旅行は東京・鎌倉でしたか・・・
私は小学校の5年生の時に、父の転勤で東京から新潟市に転校しました。
やはり中学時代の修学旅行は東京・箱根で、鎌倉の大仏様の前での集合写真がありますよ。

鎌倉は我が家からも近くてよく歩きますが、もっぱら源氏と北条一族のかかわりのある文化遺産を見ることが多いのです。
でも今回は鎌倉幕府を滅ぼした新田義貞の存在を詳しく知りました。
その後、室町時代に変わっていく様子も知りたいと思いました。
主人は「太平記」を読め!とか申しています。

我が家もゴーヤがたくさん生っています。
ゴーヤの佃煮を作ろうかと思案中です。

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Unknown (ビオラ)
2012-09-12 13:39:19
暑い中歩いた鎌倉、新しい発見もあって有意義な古道歩きだったようですね
鎌倉は史跡めぐりとハイキングを同時に楽しめる場所なんですね
♪七里が浜の~~♪
子供のころはその歌詞の意味も分からずに歌っていた歌です
古戦場も今はその面影もなくフラのメロディーが流れる浜辺でしたか
でもこうした機会がなければ遠い時代に思いを馳せることもないですものね
暑かった一日の締めくくりは美味しいで生き返ったんでしょうね
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鎌倉ウォーク後ビール (地理佐渡..)
2012-09-13 06:16:33
おはようございます。

良い一日を過ごされたようです。日中気温も高かった
ようで、大汗をかいてのことでしたでしょう。その分
ビールの味は格別なものになりましょう。色々な意味
でうらやましい鎌倉ウォークの風景でした。
山小屋さんも相変わらずでしたでしょうか?とても元
気です。

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☆ビオラさんへ (nao♪)
2012-09-13 07:31:29
マダマダ残暑が続いていますね。
暑い中の鎌倉歩きでしたが、こうして違う視点で見てみると新しい発見がありました。
新田義貞はその後どうなったのかしら?
と、次の室町時代のことも知りたくなりますね。

稲村ヶ崎は時々私も一人で富士山の夕景の写真を撮りに行く撮影スポットです。
海辺に下りたのは初めてでしたが、伝説どおり岩と断崖の続く険しい場所でした。
劔を投げ入れたら引き潮になったと聞き、私たちもしばらく待ちましたが、手作りの刀では無理でした。
ここから人馬が鎌倉に攻め入っただなんて・・・
やはり神がかりのお話しですね。伝説になるはずです。
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☆地理佐渡さんへ (nao♪)
2012-09-13 09:15:38
史跡や伝説に関して言えば佐渡も負けないでしょう・・・
ただ鎌倉歩きは交通の便と仲間の方々に恵まれましたね。
大汗かいて、最後に皆で飲んだビールはとても美味しかったです。

山小屋さんの筋金入りの体力は同年輩とは思えません。
膝も腰もどこも悪いところはないそうです。
私は叉いちから出直しです。
この日はそのための足馴らしでした。


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鎌倉古道 (tona)
2012-09-13 21:11:22
番外編も素晴らしかったですね。
八幡宮や長谷寺以外は歩いたことがないです。
高崎から出発して長い旅路、歩かれた山小屋さんたちはさぞ感動したことでしょうね。
新田義貞が攻め入ったという稲村ケ崎の波しぶきが眩しいです。今では美しい風景の中に歴史が沈んでしまったような感じです。
登山になかなかお天気が伴わないそうで残念でしたね。
でも随分お元気そうになられて良かったです。
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☆tonaさんへ (nao♪)
2012-09-14 09:23:15
高崎から鎌倉までを歩き通したこの会のメンバーには脱帽です。
私は山道と違うアスファルト道路は苦手で、前回町田コースを歩いた時は膝が重くなりました。
でも八王子から町田、横浜へと続く絹の道も忍ばれて・・・
街道歩きは「歴史を感じる歩き」と認識しました。
今回の鎌倉は街中に遺跡が残っていますから、歩いていても勉強になりましたよ。

それにしても暑かったです。
こんな日は標高の高い山歩きをするべきですが、今年はどうもお天気の巡り合せが悪いですね。
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鎌倉もこの辺りですと ()
2012-09-14 16:32:34
お馴染みの所なので、一緒にお散歩させて頂いた気分です。
暑い中ご苦労様でしたね。
ブログの上での鎌倉散歩は一人涼しい部屋でゆっくりと歩けます~(笑)
特に八幡宮辺りから本覚寺、腹切りやぐら宝戒寺の側に住んだことがありますので懐かしかったです。
きっと宝戒寺では萩が咲き誇っていたでしょうね。

剣投げのパフォーマンスに拍手~

この後御岳山までお出かけとはフットワークの良さに驚きです。
すっかりお元気になられた証拠ですね^^;
だんだんさんとニアミスだったとは~@@!
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剣を投じましたか (西恋おじん)
2012-09-15 06:14:54
 暑い中をお元気ですね。
でも、鎌倉街道は、切通しの部分が結構あって
涼しかったですか。わが町にも鎌倉街道が通って
ます。新田義貞が敗走する際に武蔵国分寺を焼いて
行ったのですよ。それ以来、何も建っていません。
稲村ケ崎は好きですね。剣投ぜし古戦場ですよね。
このコースを通して歩くのは興味深いですが、私には
ちょっと無理かな。
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☆紅さんへ (nao♪)
2012-09-15 06:58:32
以前、宝戒寺の萩をUPした時に、コメントでこの近くにお住まいだったとお伺いしましたね。
そんな事を思い出しながら、瀟洒な家々が建ち並ぶ中を歩いて「腹切りやぐら」まで行きました。
とても暑い日でした。

稲村ヶ崎のパフォーマンスは見ものでしたよ。
山小屋さんがメンバーの中で一番お若いという会の方々の「遊び心」には拍手喝采です

レンゲショウマはもう最後でしたが、静かな御岳山を味あうことが出来ました。
行動開始ですが、やはり骨折後の療養生活が長かったせいか、すぐに疲れて・・・
すっかり夜に弱くなりましたよ。


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☆西恋おじんさんへ (nao♪)
2012-09-15 09:43:11
HNKの「ぶらタモリ」で、焼かれたままになっている「武蔵国分寺」辺りを訪ねていましたね。
今でも土を掘ると、かけらが出てくるそうですね。
新田義貞の仕業でしたか・・・
高崎から鎌倉までの街道筋には様々なドラマがあったようですね。

剣投ぜし古戦場の「稲村ヶ崎」も、今ではハワイアンが流れ、湘南の明るい海として賑わっていました。
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鎌倉古道 (magamik)
2012-09-15 21:12:58
こんばんわ~
鶴岡八幡宮のことよくわかりました。
京都の岩清水八幡宮は比較的近いので何度もでかけております。
双子の孫が3歳くらいのときにも行きましたよ。

歴史を知ることが出来ますので興味深く読ませていただきました。
最後のリーダーさんの遊び心いいですね~。
当時に思いをはせながらおやりになったのでは?

10k、15000歩で少ないなんて驚きです!
皆さんのタフさに感服で~す。

ありがとうございました。
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☆magamikさんへ (nao♪)
2012-09-16 16:22:51
私も今度京都を訪ねる機会があったら「岩清水八幡宮」に行ってみたくなりました。
鶴岡八幡宮のご本家のようですね。

鎌倉を歩くと、源氏と北条家の歴史ばかりを見聞きしますが、その後はどうなったのかしらと気になります。
次の室町時代は足利尊氏で、鎌倉幕府を倒した新田義貞は?と、次々に興味が沸いてきますね。
そこが歴史の面白い所です。

特に京都は長い歴史の物語があり興味は尽きませんね。
いつかジックリと歩いてみたい京都です。
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