クリスマス寒波襲来で、我が家の玄関前の水盤も凍っています。
中にいるメダカさんは大丈夫でしょうか?
父の転勤で子供の頃に新潟市で5年、主人の転勤で札幌に4年住んだ経験がある私・・・
雪国の冬での生活の大変さを思い出しています
せめて家の中だけでも明るくホッコリとさせたくて、
ピンクのシクラメンを買い玄関に飾りました。
母が亡くなって2週間以上が過ぎました。
さして身体を使っているわけではないのに、グッタリと疲れています。
何をする気にもなれないのです
日中一人でいるとイロイロ考え思い出し、気が昂ぶって・・・
時々精神安定剤のお世話になったりしています。
そんな時には親しい友人からのお悔やみ電話が一番嬉しいですね。
同じ経験を持つもの同士、たくさんたくさん話して慰められます。
ブログ仲間さんのお悔やみコメントにも、大いに励まされましたので
コメント欄を閉じる事は考えませんでした。
三連休の前日は「冬至」
我が家の柚子は今年も台湾リスにやられて殆んど残っていません。
主人が顧客先からもらって来た柚子でお風呂に入りました。
同じくたくさんいただいた緑の果物は「フェイジョア」という、
キィウィーによく似た味の果物です。
主人は今、1年中で一番仕事が忙しい時期・・・
私の哀しみを受けとめる余裕などありません。
所詮人間は一人で耐えなければならない事が多々あるものなのですね。実感です。
古いクリスマス用品は処分したので、我が家にはクリスマスツリーはありません。
孫のハー君が作ってくれました
左側のカードは孫娘の菜々ちゃんのお手紙つきです
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昨日今日と、一日クリスマスソング聞いていますが
気分はイマイチ盛り上がりませんね。
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「淋しさはこれからドンドン増していくものよ」と皆さまに言われますが
私の気持ちは淋しさと共に、後悔の念が強い・・・
タンの吸引を最後まで嫌がった母にとって、この2年間は辛かったに違いない
2年前のマイブログの記事を読みながら、あれから先の母の2年間は必要だったのか
と悩みます。
幸い、最後を迎えた病院のスタッフさんは、総合病院の看護婦さんのように手荒ではなく
皆さま穏かで手馴れてらっしゃったのが救いですが・・・
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「白髪の写真はやめよう」と、弟夫婦と話し、両親と弟一家、
そして我ら夫婦と皆で行った「ハワイ旅行」の成田の空港に向うエクスプレスの中で、
主人が撮った写真を遺影として私が選びました。
お洒落だった母に相応しく、イヤリングを付けブランドのスカーフを巻いた母の遺影を見ながら
「やっと楽になれたね」と・・・
式の最中は特に涙も出ませんでした。
従兄弟や参列者の皆は「naoが母親に良く似てきた」と申しますが
顔も性格も父親似と自負している私には、ひ孫の菜々ちゃんの顔が母とダブりましたよ。
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この後、母は骨粗しょう症による圧迫骨折を繰り返し、やがて車椅子となったのです
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車椅子になってから母は「いつか長崎にも行ってみたかった」とポツンと言った事があり
実現させてやれなかったことが悔やまれます
そして私には、父が通夜葬儀に参列出来なかったことが何とも切なかったです
寒い季節だし、ショックを与えるのも忍びなく、施設側もその方が良いとのこと・・・
これからは遺された93歳の父を支えていかなければと思っています。
後悔にさいなまれた時には、母にお線香を上げに行きたいと想うのですが
平日は弟一家も皆働いていて留守なので、行きたくても行く事が出来ません
母から鍵も預かっていて、二世帯住宅の一階部分は、
私が自由に行き来できる実家と思っていましたが・・・
どうもそうではなさそうです
そういった淋しさを味わうことが多い今日この頃です。
過去を振り返って落込んでいても始まりませんね。
未来に向って歩んでいくことを考えて、この三連休は息子一家と
孫達にクリスマスプレゼントを買ってから、ドカンと焼肉を食べに行きました。
100分で100種類、食べ放題・飲み放題のコースです。
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大ばぁ~ばが死んだ時、目にいっぱい涙をためていたハー君も、
「歳の順番で天国に行ったのだから不幸なことではないのだよ」
「皆で見送ってあげれば大ば~ばも喜ぶよ」とオトータンから諭されて、
ハー君も元気を取り戻しました。
これだけ平らげた我が家族・・・
孫達から私もたくさんの元気をもらいましたよ。
我が家近くに住んでくれて、2人の孫もスクスク育ち平凡ながら恵まれている私たちです。
いつまでもクヨクヨしていられませんね。
次の世代に希望を託さねば・・・
年が明けたら軽いハイキングから始めたいと思います。
来年もどうぞ宜しくお願い致します。
この3年後に初孫である息子の結婚式に参列したのが両親揃っての晴れの舞台の最後でした。
そのことを思うだけでも涙が出ます
私は母をある意味反面教師で見ていました。
「私は同じ道を歩まないぞ!」
「好きな山登りに精を出し、いつまでも歩けるようにしたい」と・・・
でも、今回骨折して「母親の苦しみ」を知りました。
もっと優しくしてあげればよかったと後悔していますよ
今年は本当にいろいろな事がありましたが、幸い孫達も元気にスクスクと成長しております。
来年は平凡ながらも穏かな良い年にしたいですね。
今年はイロイロありまして、ブログの更新もなかなか出来ませんでした。
喪中なので年賀状のお返しは差し控えますが、こちらこそ来年もどうぞよろしくお願い致します。
母の遺影は16年前の、母がまだ73歳だった時の写真を選びました。
家族みんなでハワイに行った、両親にとってはまだまだ幸せに満ちていた頃の写真です。
歳をとるという事は残酷ですね。
この8年後に両親は揃ってホームでお世話にならざるを得なくなりました
山を趣味とし世界中を巡っているtonaさんは私の憧れです。
年老いた親がいると中々長期間の旅行は無理ですし、資金的にも難しいですが・・・
いつまでも落込んでいないで、tonaさんの好奇心と行動力は見習って行きたいと思います。
でもお孫さんもしっかりと現実を受け止めていたようで、
安心しました。
やはりパパさんとnao♪さんの教育がよかったようです。
今年も残り少なくなりました。
よい年をお迎えください。
お母さんって偉大なんでしょうね。そして優しさがあって
何にも変えられない何かがあるんでしょうか・
75歳になった主人が今でも母のことを話す時子供に帰ったようですよ。
でも 旅行も楽しんだようですし、家族のことを思う優しさを持ったお母さんだと思います。
きれいでお上品で羨ましいですよ。
息子さん家族と美味しい焼肉さぞかし心が癒されたことでしょう!
元気を取り戻して前のnao ♪さんになってくださいね。
過去は過去としてこれからの人生を笑顔でね。
お久振りで~す!
辰年の今年も後僅かとなりましたね!
今年も、ひろし爺1840のブログやデジブック・YouTube動画に御付き合い頂、コメントやグッドを有り難うございました!
来年も色んな素敵な情報を楽しみにしております!
!('_')!巳年の来年も本年同様に宜しくお願い致します!
!(^^)!素晴らしき年を迎えられる事を祈っておりま~す!
12月31日にブログで年賀状を発送いたしますので御覧頂ければ幸せます!
美しい方ですね。
安定剤のお世話になられた由、本当に落ち込んで苦しまれたのですね。
でもお孫さんやお花や楽しいお食事、そして皆さまの励ましで少しずつお元気になられた御様子、安心しました。
ご人徳でもあります。きっとお母様もそうだったのですね。
お父様がお気の毒ですが、大切にされてください。
そして人生はなかなか計画通りにはいかないということも知らされます。
自分の身体もガタが来ますし、一つ一つ折り合いをつけて生きて行くしかないですね。
順番とおりに親を見送れたのですから「ヨシ!」として・・・
私も出来る中で自分の楽しみを見つけていく所存です。
まずは気に入った写真を撮りたいですね。
来年もどうぞご指導、よろしくお願い致します。
主人の両親も私の母も、同じ頃に逝きました。
Kさんも、赤いシクラメンを見ると父上様を思い出されるのですね。
母は私と違って色が白く、似ているとも思えませんが・・・
皆さん「ソックリ」と申します。
私は母の顔に孫娘(息子の娘)の顔が重なりましたよ。
「人生山あり谷あり」と言いますが本当にいろいろな事に遭遇するものですね。
我が家では来年父の50回忌法要があります、父が無くなった時はかなしいと言うよりこの先どうなるんだろうと思う方が強かった様に思います。
退職して時間に追われない旅をしようと考えていたのに孫の面倒をみる事にもなりました、人生思う様には行かないもです。
「シクラメン」綺麗な色が出ていますね、2枚目のUPのアングルは撮った事がありませんでした面白いですよ。
来る年にはまた写真を多く見せて下さい。
来年もよろしくお願いたします。
話は変わりますが、naoママさんお袋さんにそっくりです美人の遺伝はいいですね。それにつけても我が家は・・・。
ラッシーママさんのお母様は突然だったのですね。
周囲は予期せぬ自体に驚き大変だったと思いますが、本人にとっては一番幸せな亡くなり方だったと思います。
主人の両親も凄い!と思いました。
義母は76歳で心筋梗塞であっと言う間に逝きました。
前日まで踊りのお稽古に出かけていましたよ。
義父は98歳で、自宅で転んでそのまま帰らぬ人となりました。
あと一ヶ月で99歳の誕生日、皆で白寿のお祝いの準備をしていた時でした。
最後ま長男家族と一緒に過ごし皆と食事をし、1人でトイレにも行っていた主人の両親を知っているだけに、我が両親の介護が必要でホームや病院でお世話になった晩年が切ないです。
そんなこんなの私のザンゲが今噴出している感じですよ。
きっと時が解決してくれるでしょう。
「親を看取ること」は、殆んどの方が経験しているはず・・・
私など、この歳まで両親が揃っていて、とても恵まれていたと思います。
寝たきりとなった母のこの2年間が切なかったのと、今は誰でもが味わう「喪失感」に襲われているだけなのでしょう。
このブログを読んだ友人が昨日は誘い出してくれました。
心の内を吐露して、少し楽になりましたよ。
親を亡くして、人の温かさにふれ心慰められています。
lilyさんも娘さんご一家との楽しいクリスマスが過ごせましたね。
我が家もお正月はナシですが、息子一家と「カニパーティー」を計画しています。
情熱的な真っ赤ではない、ちょっとピンクがかった色を選びましたよ。
私の母は3人姉妹の末っ子で、子供を大きな愛で包む「お袋さん」というイメージとはかけ離れていました。
「親切にされたらちゃんと有難うと言うのよ」と、私の方が教えたくらいです。
今後悔するのはもっともっと優しくしてあげれば良かったという気持・・・
「母がいたからこそ心のよりどころの実家があったのだ」という思いです。
今度は私自身が息子一家に対しての頼りになる実家造りをしなければならないのでしょう。
こうして世代交代が進むのですね。
ですから私は至って冷静に母を見つめていました。
それなのに何故にこうも心が乱れるのかと、自分でも驚いています。
心のよりどころの古里をなくしたような淋しさを感じています。
母のお通夜・告別式に父を参加させなかったのも辛い選択でした。
人間生まれる時も死ぬ時も、所詮は一人なのだと、思い知った次第です
子供も兄弟も、結婚すれば自分だけの身内ではなくなりますし・・・
おみやさんの気苦労もとても良く判ります。
私も今まで協力し合って両親を支えてきた5歳違いの弟が、何を考えているのか判らなくなっています。
それも淋しさの一つになっている様な気がします。
励ましのコメント、身にしみました。
ありがとうございます。
「親を看取る」ということは、早死でもしない限り、誰でもが経験すること・・・
私はこの2年間の母の姿を見ていたので、本当に「楽になってよかったね」と心底思い、最初はさほど涙も出ませんでした。
それが日がたつにつれてあれもこれも悔やまれ・・・
「手を骨折して運転が出来ず、今年の前半は母の所に行く回数も少なかったし」と嘆いたりで、自分でも信じられない位の情緒不安定になっています。
その上「喪失感」のような感情が襲ってきて・・・
心のよりどころの「古里」が無くなったような淋しさを感じています。
(実際に実家がなくなったと痛感ですね)
つくづく一緒に泣ける女の姉妹がいたらなぁ~と
その点、夢路さんはお姉さまがいらっしゃって羨ましいですよ。
私はnao♪さんや夢路さんのように、母が長く患ってでは
無く、我が家に遊びに来て泊まって帰ってから1週間後でしたから電話で話しを聴いても信じられなかったです。
私は母の40歳の子でしたから、88歳で亡くなったので
私は48歳、未だ自分達の生活が大変で母に何もしてあげれなかったのが今でも心残りです。
今元気でいてくれたら、あれもこれもしてあげれたのに・・・
「孝行のしたい時分に親はなし」とはよくぞ言ったものです。
その点、nao♪さんは悔いが残ってるようですが精一杯
親孝行なすったのですから、これ以上ご自分を責めないで下さい。
今は誰が何を言っても慰めにはならないと思いますが、時期が解決してくれます。
人間、悲しみは薄れるように出来てると思います。
nao♪さんに穏やかな時間が流れますよう祈っています。
お悔やみをいただきありがとうございます。
両親が施設にお世話になってから私もこのブログを始めました。
ですからブログの歴史はそのまま介護が必要になった両親の歴史でもあり・・・
私もことあるごとに、ブログに記してきました。
ミンゴさんはご夫婦揃って、その道のプロでいらっしゃったから、私も何かとお聞きしましたね。
国家試験の合格おめでとうございます。
新しい職場でも頑張って下さいね。
お嬢様、もうすぐ高校生ですか・・・
光陰矢のごとしですね。
私も夢路さんのコメントと同じ気持ちに今なっています。
親に対してどれ程のことをしても後悔はあると思います。
>所詮人間は一人で耐えなければならない事が多々あると言う事。 これは実感です。
nao♪さんがお母さんを思ってられる気持ちが天国にいらしているお母さんに伝わっていると思います。
nao♪さんにどのように申し上げていいか今、上手く言葉が出ません。
どうかご無理をなさいませんように。
奮い立たせてくれるものがほしかったのでしょう
ポインセチアからも色から心の芯に届いてくれるかもしれない
みんなで一緒に飲んだり焼肉食べたり
思いは同じなので気持ちをひとつに!して元気を取り戻していけたらいいです。
母親を亡くすことって重いですね。命に軽いとか重いとかいってはいけないと思っても・・・
何年経ても母親の存在の大きさを感じます。
いまここにいてくれたら・・・という気持ちから離れられない
思い出を手繰ってそれを糧にして生きていくことがお母様の願いでもあるに違いないです。
忘れることはできないのですからこれからはもう一緒と胸に抱かれてはと思います。
ピンクのシクラメン、きれいですね
昨日アップされたばかりの記事を見たのですが
涙で書くことができませんでした
本当に素敵なお母様だったのですね
圧迫骨折を何度も繰り返されて大変だったと思います。
「人間は一人で耐えなければならない事が多々あるものなのですね」・・・今私も実感しています。息子家族といっても長いこと離れて生活していたのでそう簡単にはなじめません。
それでもお互いが我慢し合ってうまくやっていかなければなりませんものね。
私もブログの皆様のコメントに大いに慰められています
これからお疲れも出てくる頃です。くれぐれも
お体大切にしてくださいね
17年前の雪降る2月、母を亡くした直後のことが思い出されます。今の貴女と同じ心境でした。
母もnao♪さんのお母様のようにとてもお洒落で凜とした女性でした。貴女のお母様が母とだぶります。
母が亡くなったとき同じく寝たきりながら頭のしっかりしていた父にはなかなか言えませんでした。
私も一生懸命お世話をしたつもりでしたが、あ~すればよかったのでは、こうすればよかったのではと後悔ばかりの日々でしたよ。
>主人は今、1年中で一番仕事が忙しい時期・・・
私の哀しみを受けとめる余裕などありません。
>所詮人間は一人で耐えなければならない事が多々あるものなのですね。実感です。
私も母を亡くしたとき全く同じ心境でした。毎夜布団をかぶり1人しくしく泣いたものです。
nao♪さん、悲しみは時が解決してくれます。泣きたい時には泣き、涙で悲しみを流してしまいましょう。
いつまでもクヨクヨしていては、天国でお母様が心配なさいますよ。
気分転換に新年会是非御参加ください。
母の最後の寝たきりの2年間は見ていても辛かったです。
病院側は良くしてくれましたが、私だったらパスだなぁ~と・・・
普段は比較的冷静な私も、今は流石にイロイロな想いにかられて感情が揺らいでいます。
孫達とお食事したり、友人と電話で長話したり・・・
こればかりは自分で対処するしかありませんね。
友人との電話や、ブログで今の心情を吐露することにより、少し救われています。
息子一家と食べて飲んでしたたか酔いました。
喪中なのでお正月はなしですが、カニを頼んだので我が家でカニパーティーです。
父も含めて、今ある家族を大切にしていきたいと、つくづく思い知らされています。
「それが人生なのさ」と・・・
孫達が無事に育っているのを見ると「世代交代」も痛感します。
カワセミさんの画像を拝見させていただきました。
私も運動不足なので、近くの舞岡公園を歩いて、カワセミさんに会いに行ってみたくなりました。
ブログを拝見しに来てみたら・・・
お母様、心よりご冥福をお祈りいたします。
私はまだ以前の職場で働いています。国家試験にも合格することができました。
来年からは家の近くに転職が決まり頑張っています。
娘も高校受験をひかえております。
月日の流れは早いですね。小学校だったのに。
お孫さんも大きくなられましたね。
どうかお体に気をつけて・・・
心よりご冥福をお祈りいたします。
母親の死は、悔いが残るものです。
こうしてあげればよかった後悔が出て来ます。
でも仕方ないでね、苦しまなくなったのですから
私の母が亡くなった時も、そんな思いが交錯しました。
日が過ぎれば、少し落ち着くと思いますが、可愛いお孫ちゃんを
見ていれば和らぐのではないでしょうか
そして、今ある家族と団らんを設けることで、明日からの英気を養うことが大事ですね。
シクラメンもポインセチアも明るく明日を照らすように咲いてますよね。
明日から元気に未来を見つめましょう。
つらい思い出、年とともに増えていくような気がします。
楽しいことも沢山積み重なっていくので人生が濃縮していくのかもしれませんね。
たまには家族でパーッと騒ぐのも楽しいですね。