ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

『サルビアのそばで』 ①

2015-10-23 17:16:37 | 創 作
 『6年生の皆さん、ご卒業おめでとう。
 この作品は、私がまだ青年教師であったころ、作家を夢見て書いたものです。
 当時、私は子供向けのお話を書きたいと強く思うようになり、
ある作家に教えを受けながら、この作品を書き上げました。
 それからもう40年近くもたってしまい、
今はゆっくり原稿用紙に向かう時間が作れません。
それでもこの年令になってもまだ、その夢だけは持ち続けています。
 私の夢の証として、そして卒業のお祝いに、
この作品をみなさんにプレゼントします。
 すぐにかなう夢、なかなか実現しない夢、夢のままの夢、夢も様々です。
でも、私は夢こそ生きていく上での一番のエネルギーだと思います。
 皆さんには、夢を忘れず、夢をいつまでも持ち続ける、
そんな人間であってほしいと願っています。』

 私は、12年間校長職を努めました。
その間、毎年、卒業間際の6年生を、5、6人のグループに分け、
校長室で給食を共にしました。
 その折りに、前述を「あとがき」にした手製の小冊子を、一人一人に渡しました。
ざっと数えて、800人になるでしょうか。
その内、どれだけの子供が目を通したでしょうか。
 若かりしころに書いたその創作を、2回に分け、このブログに掲載します。





    サルビアのそばで


 これは、町かどにある小さな公園で、ひとりの少年から聞いたお話です。

 私は、その小さな公園にあるサルビアの花だんがとてもすきでした。
5月、6月になるときまって真っ赤な花がさくサルビア。
そのサルビアを見て、情熱とか心が燃えるとか、よく言いますが、
ところせましとさいている姿は、本当にほのおのように思えます。

 その少年に、私がであったのも、
あの公園が、真っ赤に色づいていたころでした。
少年はだれにも気づかれないように、
じっとサルビアの花だんのところにたたずんでいました。
まわりでは、同じ年くらいの子どもたちが、
おにごっこをしたり野球をしたりしているのに、
その少年だけは、遊んでいる子どもたちに背をむけているのでした。
また、遊んでいる子どもたちも、見知らぬ子のように、
気にもとめないでいるのでした。

 私は、「この花が好きかい。」と、
少年の横に、同じように腰をおってたずねました。
少年は、急にそんなことをきかれたので、おどろいていました。
そして、しばらくしてから「おじさんもかい。」
と、言ってくれました。

 あくる日、私はまた公園に行きました。
少年のことなんて忘れていました。
私はサルビアを見に行ったんです。
すると、きのうと同じように、
また少年はじっと花だんを見つめているではありませんか。
私は、昨日と同じように少年の横に、しゃがみました。
その日は何も話さず、しばらくサルビアをながめて、私は帰ってきました。

 そして、同じようなことが一週間近くつづきました。
私は「あいつまたいるかな。」と思って、
公園に行くことがよけいに楽しくなりました。
私と少年は、しだいに話をするようになりました。
サルビアを見ながら考えたことを、私は言いました。
少年は学校のことや友だちのこと、そして、家のことを話してくれました。

 私は、少年の話を一つ一つうなずきながら聞きました。
ある時はなみだをこらえながら、
そして、ある時はさみしそうに、ときには、へいきな顔で、
少年はかたりました。
真っ赤なサルビアが風にゆらいでいるすぐそばでです。

 少年の名前は、たけし君。
たけし君には、今、一人の友だちもいません。
弱いものいじめをしたり、女の子を泣かせたり、
先生の注意をきかなかったりするような悪い子ではありません。
でも、たけし君は、学校でも、家に帰ってからも
ひとりぼっちな少年だったのです。

 昼休みの学校は、
いつも子どもたちのかん声でにぎわっているものです。
先生の言うことをきかず、教室で机と机の間をかけている子、
ろうかでおにごっこをしている子、
そして、校庭ではドッチボールやフットベースボールを。
女の子は校庭のすみのほうで、ゴムふむやゴム跳びをしたりしています。

 しかし、その楽しいはずの昼休みも、
今のたけし君には、つまらない時間なのです。
 たけし君は一人で校庭のまわりを、
ゆっくり、ゆっくり歩いているだけです。
そんなたけし君を見て、
「おい、たけし、ドッチボールしよう。」
と、だれか一人くらい声をかける友たちがいてもいいのに、
みんな知らん顔をしているのです。

 それどころか、たけし君が校庭へ出てくると、
みんなは、あわててドッチボールを始めるのでした。
たけし君をいれないためにそうするみたいです。
たけし君は、そんなようすを見ても、おこりもしません。
それどころか、みんなと遊ぶことをすでにあきらめているようでした。
「ぼくも、ドッチボールに入れて。」
と、たのんだところで
「いやだよ。」と言われるに決まっているから、
だからもう、たけし君は
みんながドッチボールをしているほうさえ見ないようにしているのです。

 みんなは、たけし君と遊ぶのがいやなのです。
それは、たけし君のドッチボールやフットベースがへただからではありません。
反対にたけし君は、とてもうまいと思います。
なのに、みんなはいっしょに遊ばないのです。
それには、ちゃんとした理由がありました。

 その理由を聞いたとき、私はなみだがこぼれおちそうになりました。
 たけし君には、みんなと同じようにお父さんもお母さんもいました。
それに中学校へいっているお姉さんも。
お父さんの仕事はむずかしい言葉では、魚の行商です。
ふつうの魚屋さんとちがって、
たけし君のお父さんは、重いにもつを、自分の頭より高くまでしょって、
遠くの家まで一けん一けんたずねて行き、魚を売って歩くのです。
その仕事は、お父さんだけでなく、お母さんもしていました。

 ところが、今から1年くらい前までは、
お父さんもお母さんも、その仕事をしていませんでした。

 たけし君といっしょの学校へいっている子は、
ほとんどが製鉄所の子でした。
みんなのお父さんは、製鉄所へいっているのです。
たけし君のお父さんも、その製鉄所で働いていました。

 学校の屋上からは、製鉄所がよく見えます。
真っ黒くよごれた工場の屋根が数えきれないほどあり、
高くて太い煙突が5本並んでいます。
 そして製鉄所のいたる所に、
赤ちゃけた鉄くずが山のように積み上げてあります。

 たけし君のお父さんは、その製鉄所で
クレーンという鉄のかたまりを上から持ち上げて
遠くへ運ぶ機械を動かしていました。
 鉄のかたまりは、とても重たくて
クレーンはいつもものすごい音をたてていました。

 ある日、お父さんの動かすクレーンが、
鉄の大きなかたまりをつるしたまま動かなくなってしまいました。
故障したのです。
お父さんは、あわてて機械のいろんなボタンをおしたり、
レバーを引いたりしました。
 早く鉄のかたまりを下へおろそうとしたのです。

 ところが、鉄をつるしていたワイヤーが、切れてしまったのです。
ちょうど、その下で働いていた人がつぶされてしまいました。
 クレーンが、故障したからなのです。
お父さんは、悪くないのです。

 しかし、それを見ていた人までが、お父さんが悪いと言いだしました。
とうとう製鉄所のえらい人たちが、
お父さんに製鉄所をやめるようにと言ったのです。

 その日から、たけし君のひとりぼっちも始まったのです。
同じ製鉄所の社宅にいた友だちも、たけし君とは遊ばなくなりました。
だれも声さえかけてくれないのです。
 学校へ行くとき、「あはよう。」とあいさつすると、
「行ってらっしゃい。」と、こたえてくれたとなりのおばさんまでが、
知らないふりをするようになりました。

 製鉄所をやめたお父さんは、しかたなく行商をはじめたのです。
いつも、たけし君とお姉さんの帰りを待っていてくれたお母さんまでが、
お父さんと同じように重い荷物をしょって働きはじめたのです。

 学校の友だちも、近所の友だちも口をきいてくれない。
学校から帰ると、「おかえり。」と言ってくれたお母さんもいない。
たけし君のそんな毎日は、もう1年もつづいているのでした。

 私は、たけし君にたずねてみました。
「そんな毎日は、いやだろう。」と。
 たけし君は、かなしい顔をしてうなずきました。
それから急に、
「だけどへいきなんだ。」
と、すこし明るい顔で言ったのです。
 そして、私にそのわけを教えてくれました。

 だれにも言ったことのない、ないしょの話です。
それは、たけし君の心の中にある宝物みたいな話です。
 とてもかわいそうなたけし君だけど、
その話だけは、たけし君が少しうらやましくなりました。                        
                              <次回に 続く> 




   収穫の時を待つ ビート畑   
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