愛読書に「ほっとする禅語70」がある。
そこで最初に紹介されている禅語が、
『日々是好日』(にちにちこれこうじつ)だ。
この本では、「どんな日もいい日だと言えますか」の添え書きの後に、
こんな解説が載っている。
『朝、カーテンを開けたら、
どんよりと重く雲がかかって雨がシトシト。
肌寒く、出掛けるのがおっくうになるような天気の日。
しかも午後の予定はハローワーク。
こんな天気じゃ自転車が使えないから歩いていかなきゃ。
明日はカードの支払いがあるから、お金の算段もしなくては。
あら?ストッキングが伝線している!
こんな日に「日々是好日」なんて言ってられますか?
しかし「日々是好日」は、
どんな日でも毎日は新鮮で最高にいい日だという意味です。
ムカつく日も悲しい日も、雨の日も風の日も、
その時のその感情や状態を大いに味わって過ごせば、
かけがえのない日になる。
新鮮な気持ちで目ざめたら、
雨も楽しもう、寒さも味わおう、
ハローワークも出逢いの場だ、
お金の算段も当てがあるだけ幸せだ。
ほのぼのとして幸せな字面ですが、
なかなか難問です。』
また、ある資料で、達磨寺の副住職・広瀬大輔氏は、こう述べていた。
『好日の好は好悪の好ではありません。
「嵐か、よし、嵐なにするものぞ!」、
「失ってしまったか、よし、どうにかこれを改善しよう!」
と、積極的に生きる決意 "よし" がこの "好" なのです。
禅では、過ぎてしまったことにいつまでもこだわったり、
まだ来ぬ明日に期待したりしません。
目前の現実が喜びであろうと、悲しみであろうと、
ただ今、この一瞬を精一杯に生きる。
その一瞬一瞬の積み重ねが一日となれば、
それは今までにない、素晴らしい一日となるはずです。』
つい先日、女子スピードスケートの小平奈緒さんが、
平昌オリンピックへの意気込みを語った新聞記事を見た。
彼女は、インドのガンジーの言葉を引用し、心境を述べていた。
その言葉とは、
『明日死ぬかのように生きよ 永遠に生きるかのように学べ』
である。
初めて聞いた言葉だったが、背筋が突然伸びた。
広瀬副住職が言う『この一瞬を精一杯に生きる』ことの意味は、
これだと思った。
同時に、私のようなものには、あまりにも高いハードルだと感じた。
だから、日々是好日は、『なかなか難問』に違いないのだ。
しかし、日々是好日は、
『その時のその感情や状態を大いに味わって過ごせば、
かけがえのない日になる』とも教えている。
ハードルを上げず、「それならば!」と、
10年前に、年賀状にこんな詩を添えた。
日々是好日
休日の朝に
つかの間の散歩を楽しむこと
路傍の花たちが目を奪い
凪の海に耳を澄まし
時には
つり人のクーラーボックスをのぞき込む
復路は決まって少しだけ活気づく
そしてやがて
橘吉の湯吞に
ぬるめのお茶を味わうこと
青空の日差しが窓を開け放ち
陽水やさだの曲に心を止め
時には
あの日のあの時を回顧する
四季は決まって少しだけ安らか
さて、最近の私は、
その時々をどう味わって過ごしているのだろう。
『日々是好日』らしきことを探してみた。
▼目覚めを促す時計音に起こされ、
カーテン越しに外をうかがう。
天気予報通り、深夜に積雪があった。
通勤や登校の時間までにと、支度を急ぐ。
まずは、自宅玄関から歩道までの雪を除ける。
そして、自宅前歩道の新雪を、
雪かきシャベルで花壇方向へ移し、放り上げる。
あたりは、明るさを増し、夜明けが近い。
次第に体は温まり、背中が汗ばみ始める。
冬の日常である雪かきが、ようやく折り返しを迎えた時、
いつもの時間に、愛犬と一緒の女性が、
少し離れた十字路を横切る。
それに気づかず、シャベルを動かす私に、
彼女は、少し大きめの声を出す。
「おはようございます。」
それでも、もくもくと雪かきを続ける私。
「もうぅ・・おはよう、ございます!」
やっと気づいた私は、シャベルを止め、声の方を見る。
キラキラと光を増す雪道を背に、
足の短いワンちゃんと顔馴染みの笑顔があった。
「あっ、おはようございます。散歩、いってらっしゃい。」
「はーい!」
ちょっとの間、散歩の後ろ姿を見送り、
再び、シャベルを持ち上げ、
残り半分の雪かき作業に息を弾ませる。
最後は、マイカーに積もった雪を下ろして、終わり。
長靴を脱ぎ、早々食卓に座る。
グレープジュースを片手に、
大好きなアイボックスの天然酵母食パンに蜂蜜をのせ、頬ばる。
「Oさんの奥さん、今朝もワンちゃんと一緒に散歩に行ったよ。
おはようございますって、声かけてくれた。」
「あら、そうだったの。」
どこにでもありそうな朝の時間だ。
どうやら、今日は1日中雪模様らしい。
それでも、こんな朝の日は、ずうっと心が軽い。
② 新年を迎えてから、伊達は雪が少ない。
口々に「おかしな冬ですね。」と言いあう程だ。
つい先日も一夜で7,8センチの降雪があったが、
日中の暖かさで、2日程で消えてしまった。
さて、強い風の日を除いてのことだが、
数センチも新雪が積もると、車の騒音等も消え、町中が静かになる。
私はそう感じている。
それは、勝手な思い込みではなく、
確かに新雪には静音効果があると聞いた憶えがある。
そんな静寂の雪の日は、
テレビのにぎやかなバラエティーなど似合わない。
それより、自室にこもり、
少しずつ小遣いを貯めて買ったミニコンポのスイッチを入れる。
ここ数年、くり返し聴きたくなる歌が2曲ある。
いずれも松任谷由実のラブソングだ。
1つは、徳永英明の『VOCALIST6』にある
「ダンデライオン~遅咲きのたんぽぽ」だ。
歌い出しはこうだ。
『夕焼けに小さくなる くせのある歩き方
ずっと手をふり続けていたいひと』
旋律もさることながら、
私はこの歌詞の描写力に心奪われる。
きっと多くを語ることなどない二人だろう。
静かに温め合っている控え目な想いが、にじんでくる。
そんな二人に、歌声はエールを送る。
『傷ついた日々は 彼に出逢うための
そうよ 運命が用意してくれた
大切なレッスン』
「そんなことがあったんだ!」とジーンとくる。
もう1つは、井上陽水の『UNITED COVER2』にある
「リフレインが叫んでる」だ。
この曲は失恋の歌で、
『すりきれたカセットを久しぶりにかけてみる
昔気づかなかった
リフレインが悲しげに叫んでる』と、
歌の中程にある歌詞が、タイトルと重なる。
加えて、歌詞の至るところに、
『どうしてどうして・・・ったのだろう』と後悔が、
リフレインされている。
詩のドラマ性と合わせて、
リフレインの効果が、悲哀や失望を切々と伝えてくる。
私は、そんな歌を聴きながら、
肘かけ椅子にもたれかかり、窓の外を見る。
ゆっくりと雪が舞い降りてくる。
冬の風景は、決まって水墨画色をしている。
その上、私の人生は、『青春、朱夏、白秋、玄冬』の終わり、
もう色を失っている。
それでも、ボリュームを少し上げたスピーカーから、
鮮やかな色彩が流れてくる。
すると、当然のように、今日も心は弾んでしまう。
春は まだまだ先なのに
そこで最初に紹介されている禅語が、
『日々是好日』(にちにちこれこうじつ)だ。
この本では、「どんな日もいい日だと言えますか」の添え書きの後に、
こんな解説が載っている。
『朝、カーテンを開けたら、
どんよりと重く雲がかかって雨がシトシト。
肌寒く、出掛けるのがおっくうになるような天気の日。
しかも午後の予定はハローワーク。
こんな天気じゃ自転車が使えないから歩いていかなきゃ。
明日はカードの支払いがあるから、お金の算段もしなくては。
あら?ストッキングが伝線している!
こんな日に「日々是好日」なんて言ってられますか?
しかし「日々是好日」は、
どんな日でも毎日は新鮮で最高にいい日だという意味です。
ムカつく日も悲しい日も、雨の日も風の日も、
その時のその感情や状態を大いに味わって過ごせば、
かけがえのない日になる。
新鮮な気持ちで目ざめたら、
雨も楽しもう、寒さも味わおう、
ハローワークも出逢いの場だ、
お金の算段も当てがあるだけ幸せだ。
ほのぼのとして幸せな字面ですが、
なかなか難問です。』
また、ある資料で、達磨寺の副住職・広瀬大輔氏は、こう述べていた。
『好日の好は好悪の好ではありません。
「嵐か、よし、嵐なにするものぞ!」、
「失ってしまったか、よし、どうにかこれを改善しよう!」
と、積極的に生きる決意 "よし" がこの "好" なのです。
禅では、過ぎてしまったことにいつまでもこだわったり、
まだ来ぬ明日に期待したりしません。
目前の現実が喜びであろうと、悲しみであろうと、
ただ今、この一瞬を精一杯に生きる。
その一瞬一瞬の積み重ねが一日となれば、
それは今までにない、素晴らしい一日となるはずです。』
つい先日、女子スピードスケートの小平奈緒さんが、
平昌オリンピックへの意気込みを語った新聞記事を見た。
彼女は、インドのガンジーの言葉を引用し、心境を述べていた。
その言葉とは、
『明日死ぬかのように生きよ 永遠に生きるかのように学べ』
である。
初めて聞いた言葉だったが、背筋が突然伸びた。
広瀬副住職が言う『この一瞬を精一杯に生きる』ことの意味は、
これだと思った。
同時に、私のようなものには、あまりにも高いハードルだと感じた。
だから、日々是好日は、『なかなか難問』に違いないのだ。
しかし、日々是好日は、
『その時のその感情や状態を大いに味わって過ごせば、
かけがえのない日になる』とも教えている。
ハードルを上げず、「それならば!」と、
10年前に、年賀状にこんな詩を添えた。
日々是好日
休日の朝に
つかの間の散歩を楽しむこと
路傍の花たちが目を奪い
凪の海に耳を澄まし
時には
つり人のクーラーボックスをのぞき込む
復路は決まって少しだけ活気づく
そしてやがて
橘吉の湯吞に
ぬるめのお茶を味わうこと
青空の日差しが窓を開け放ち
陽水やさだの曲に心を止め
時には
あの日のあの時を回顧する
四季は決まって少しだけ安らか
さて、最近の私は、
その時々をどう味わって過ごしているのだろう。
『日々是好日』らしきことを探してみた。
▼目覚めを促す時計音に起こされ、
カーテン越しに外をうかがう。
天気予報通り、深夜に積雪があった。
通勤や登校の時間までにと、支度を急ぐ。
まずは、自宅玄関から歩道までの雪を除ける。
そして、自宅前歩道の新雪を、
雪かきシャベルで花壇方向へ移し、放り上げる。
あたりは、明るさを増し、夜明けが近い。
次第に体は温まり、背中が汗ばみ始める。
冬の日常である雪かきが、ようやく折り返しを迎えた時、
いつもの時間に、愛犬と一緒の女性が、
少し離れた十字路を横切る。
それに気づかず、シャベルを動かす私に、
彼女は、少し大きめの声を出す。
「おはようございます。」
それでも、もくもくと雪かきを続ける私。
「もうぅ・・おはよう、ございます!」
やっと気づいた私は、シャベルを止め、声の方を見る。
キラキラと光を増す雪道を背に、
足の短いワンちゃんと顔馴染みの笑顔があった。
「あっ、おはようございます。散歩、いってらっしゃい。」
「はーい!」
ちょっとの間、散歩の後ろ姿を見送り、
再び、シャベルを持ち上げ、
残り半分の雪かき作業に息を弾ませる。
最後は、マイカーに積もった雪を下ろして、終わり。
長靴を脱ぎ、早々食卓に座る。
グレープジュースを片手に、
大好きなアイボックスの天然酵母食パンに蜂蜜をのせ、頬ばる。
「Oさんの奥さん、今朝もワンちゃんと一緒に散歩に行ったよ。
おはようございますって、声かけてくれた。」
「あら、そうだったの。」
どこにでもありそうな朝の時間だ。
どうやら、今日は1日中雪模様らしい。
それでも、こんな朝の日は、ずうっと心が軽い。
② 新年を迎えてから、伊達は雪が少ない。
口々に「おかしな冬ですね。」と言いあう程だ。
つい先日も一夜で7,8センチの降雪があったが、
日中の暖かさで、2日程で消えてしまった。
さて、強い風の日を除いてのことだが、
数センチも新雪が積もると、車の騒音等も消え、町中が静かになる。
私はそう感じている。
それは、勝手な思い込みではなく、
確かに新雪には静音効果があると聞いた憶えがある。
そんな静寂の雪の日は、
テレビのにぎやかなバラエティーなど似合わない。
それより、自室にこもり、
少しずつ小遣いを貯めて買ったミニコンポのスイッチを入れる。
ここ数年、くり返し聴きたくなる歌が2曲ある。
いずれも松任谷由実のラブソングだ。
1つは、徳永英明の『VOCALIST6』にある
「ダンデライオン~遅咲きのたんぽぽ」だ。
歌い出しはこうだ。
『夕焼けに小さくなる くせのある歩き方
ずっと手をふり続けていたいひと』
旋律もさることながら、
私はこの歌詞の描写力に心奪われる。
きっと多くを語ることなどない二人だろう。
静かに温め合っている控え目な想いが、にじんでくる。
そんな二人に、歌声はエールを送る。
『傷ついた日々は 彼に出逢うための
そうよ 運命が用意してくれた
大切なレッスン』
「そんなことがあったんだ!」とジーンとくる。
もう1つは、井上陽水の『UNITED COVER2』にある
「リフレインが叫んでる」だ。
この曲は失恋の歌で、
『すりきれたカセットを久しぶりにかけてみる
昔気づかなかった
リフレインが悲しげに叫んでる』と、
歌の中程にある歌詞が、タイトルと重なる。
加えて、歌詞の至るところに、
『どうしてどうして・・・ったのだろう』と後悔が、
リフレインされている。
詩のドラマ性と合わせて、
リフレインの効果が、悲哀や失望を切々と伝えてくる。
私は、そんな歌を聴きながら、
肘かけ椅子にもたれかかり、窓の外を見る。
ゆっくりと雪が舞い降りてくる。
冬の風景は、決まって水墨画色をしている。
その上、私の人生は、『青春、朱夏、白秋、玄冬』の終わり、
もう色を失っている。
それでも、ボリュームを少し上げたスピーカーから、
鮮やかな色彩が流れてくる。
すると、当然のように、今日も心は弾んでしまう。
春は まだまだ先なのに
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