▼ まずは、中学生の時の弁当である。
来る日も来る日も、おかずが煮豆とちくわの煮物だった。
きっと今日は違うおかずだろうと期待して蓋をあける。
やっぱり煮豆とちくわの煮物。
それでも、食欲には勝てず、空にして持ち帰った。
次第に、疑問が広がった。
なぜ、同じおかずなのだろう。
当時我が家は、貧しかった。
だから、これしかおかずに入れられないのだろう。
そう考え、煮豆とちくわの煮物で我慢した。
しかし、あまりにも長く続いた。
我慢も限界になった。
若干怒りを抑えて、母に言った。
「いつもいつも煮豆とちくわの煮物だよ。
たまには、違うおかずにしてよ。」
「だって、あんた、煮豆もちくわの煮たのも、
大好きって言ったでしょう。」
確かに、そんなことを言った憶えがあった。
「そう言ったかも、でも・・・。」
母は、少し不快な顔をしていた。
今も、煮豆やちくわが食卓に上ると思い出す。
ランチに関する最初のエピソードかも知れない。
▼ 教職に就いてからのランチは、学校給食だった。
教員は早食いだと言われる。
「それは、職業病です」と、よく私は言った。
少しでも早く食べ終え、食の細い子を促したり、
お代わりの給仕をしたりする。
その上、できれは連絡帳に目を通したり、
ノートの添削、テストの採点をしたりしたいのだ。
だから、担任時代の私は、
給食をゆっくり味わったことがなかった。
でも、年々給食が良くなり、
美味しくなっていったことだけは実感した。
パン食一辺倒だった献立も、
米飯食や麺類などバリエーションが豊富になった。
いち早く旬の果物が出ることも増えた。
パエリアやポルシチなどは、給食で初めて口にした。
▼ 校長として着任したS区は、
全べての小中学校に栄養士がいた。
だから、学校独自の献立が可能だった。
さらに給食は充実した。
ところが、『Oー157』が流行してからは、
校長に「検食」が義務づけられた。
私は、出来立ての給食を、
学校で1番早く食べる役回りになった。
言わば『お毒味役』なのである。
私が食べて、異常がないことを確認してから、
全校児童への配食が始まるのだ。
それも仕事と思って、割り切っていたが、
それまでと違って、
美味しいと諸手を挙げてられなくなった。
▼ それはさておき、言うまでもないことだが、
安心、安全な給食を毎日提供することは、
学校の重要な役割だった。
予定していた給食が作れず、
子どもを空腹のままにすることなど、
決してあってはいけないことだ。
ところが、そんな危機を、2度経験した。
▼ 1つ目は、明らかな調理ミスだった。
その日のメイン献立は、煮物だった。
3つの大鍋で、低・中・高学年に分けて具材を煮て、
味付けを始めた。
中学年の鍋を担当した調理師が、何を勘違いしたのか、
砂糖と間違って、大量の塩を投入してしまったのだ。
栄養士が、顔色を変えて校長室に来た。
「今から作り直しは無理です。
校長先生、どうしますか。」
このような事態を想定したことはなかった。
でも、こんな時、校長には即断即決が求められた。
1分間ほどの静寂があった。
「2つの鍋のものを、全校で分けましょう。
それでは、量が足りないでしょうから、
今からでも調達できるものはないかな。」
校長室を飛び出した栄養士は、
すぐに出入り業者に電話をかけた。
何軒か問い合わせた末だった。
「校長先生、ゆで卵なら人数分何とかできます。」
「それでいい!」
▼ 2つ目は、作業の油断が招いた。
調理室の脇には、小さなエレベーターがある。
人を乗せるものではなく、
出来上がった給食と食器等を、
それぞれの教室階へ運ぶためのものだ。
その日も順調に調理作業が進み、
エレベーターを使って各階へ、給食を上げる作業に移った。
1番はじめに4階の高学年用を運び上げた。
少しの時間をおいて、ガタンという音と一緒に、
エレベーターが急停止した。
原因はすぐに予想できた。
エレベーター内で、何かが荷崩れしたのだ。
その荷が、内部のどこかにはさまり、停止したようだ。
幸い汁物がこぼれている気配はなかった。
エレベーターの上下ボタンをいくら押しても、全く動かない。
調理主任が顔色を変えて、校長室へ飛び込んできた。
「4階以外は、階段を使って運びます。
校長先生、4階の給食はどうしますか。」
主任は、経験したことない事態に、
常軌を逸した表情だった。
私は、何の確信もなかったが、ゆっくりと言った。
「大丈夫だよ。何とかなるよ。
まずは、エレベータの点検業者に連絡して、
できれば、来てもらってください。」
「でも、業者はどんなに早くても1時間はかかります。
それじゃ、給食時間が終わってしまいます。」
「いいから、まずは連絡をしてごらん。」
私の強い口調に折れて、主任は電話した。
事態の緊急性を理解した業者は、
その日の作業員の行動予定を調べた。
すると同じ区内の学校で点検作業をしている社員がいた。
直ちに連絡を取り、10分後には駆けつけてくれた。
彼は、事故の様子をすぐに把握し、
最上階の天井裏に潜り込んだ。
そして、エレベーターを真上からのぞき込み、
手動でゆっくり1階の調理室まで下ろした。
その後、もう1度積み直しをし、
給食は、無事4階まで上げられた。
高学年は、20分ほど遅れて食べ始めることができた。
▼ 学校を離れてから、
1年間は教育アドバイザーとして研修室勤務となった。
ランチは、給食でなくなった。
スタッフ6人の中には、
弁当やコンビニ物を持参する者もいたが、
多くは私と同じで、美味しいランチを求めて、
お店を歩き回った。
ある日の昼休み、スタッフの1人が提案した。
「狭くて汚いんだけど、安くて美味しい店を見つけました。
そこへ行きませんか。」
半信半疑で、案内してもらった。
ビックリした。
カウンターの前に、椅子が7つだけ並んでいた。
しかし、奥の席に行くには、
座っている方に立ってもらわないと行けなかった。
カウンター越しのこれまた狭い厨房には、
老夫婦が立ち働いていた。
ランチは曜日ごとにワンメニューで、
その日は麻婆豆腐定食だった。
店に入る時、外扉の脇にあったカゴに、
10数個の豆腐と長ネギがあった。
その訳が分かったが、
食材が無造作に外に置かれていることに驚いた。
しかし、それにしても店内は古くて汚い。
その壁の一角に、どこかのテレビ番組でやっていた
汚いけど美味しい店の『認定証』が貼ってあった。
出てきた麻婆豆腐定食は、確かにいい味だった。
だが、隣の定食とは、まったく違う器に盛られていた。
私たちが食べ始めると、客が途絶えた。
するとご主人は、ゆっくりと厨房を出て、
私たちの後ろにあるトイレに入って行った。
狭い店である。
小用を済ましているのが分かった。
それを聞きながらのランチだった。
「参った。」と思いながら、500円を払い店を出た。
「あの店いいね。安いし、美味しい。また行こう。」
「そうしよう!」
そんな感想を聞きながら、
私はどうしても同意できなかった。
久しぶりの雪化粧 だて歴史の杜公園
来る日も来る日も、おかずが煮豆とちくわの煮物だった。
きっと今日は違うおかずだろうと期待して蓋をあける。
やっぱり煮豆とちくわの煮物。
それでも、食欲には勝てず、空にして持ち帰った。
次第に、疑問が広がった。
なぜ、同じおかずなのだろう。
当時我が家は、貧しかった。
だから、これしかおかずに入れられないのだろう。
そう考え、煮豆とちくわの煮物で我慢した。
しかし、あまりにも長く続いた。
我慢も限界になった。
若干怒りを抑えて、母に言った。
「いつもいつも煮豆とちくわの煮物だよ。
たまには、違うおかずにしてよ。」
「だって、あんた、煮豆もちくわの煮たのも、
大好きって言ったでしょう。」
確かに、そんなことを言った憶えがあった。
「そう言ったかも、でも・・・。」
母は、少し不快な顔をしていた。
今も、煮豆やちくわが食卓に上ると思い出す。
ランチに関する最初のエピソードかも知れない。
▼ 教職に就いてからのランチは、学校給食だった。
教員は早食いだと言われる。
「それは、職業病です」と、よく私は言った。
少しでも早く食べ終え、食の細い子を促したり、
お代わりの給仕をしたりする。
その上、できれは連絡帳に目を通したり、
ノートの添削、テストの採点をしたりしたいのだ。
だから、担任時代の私は、
給食をゆっくり味わったことがなかった。
でも、年々給食が良くなり、
美味しくなっていったことだけは実感した。
パン食一辺倒だった献立も、
米飯食や麺類などバリエーションが豊富になった。
いち早く旬の果物が出ることも増えた。
パエリアやポルシチなどは、給食で初めて口にした。
▼ 校長として着任したS区は、
全べての小中学校に栄養士がいた。
だから、学校独自の献立が可能だった。
さらに給食は充実した。
ところが、『Oー157』が流行してからは、
校長に「検食」が義務づけられた。
私は、出来立ての給食を、
学校で1番早く食べる役回りになった。
言わば『お毒味役』なのである。
私が食べて、異常がないことを確認してから、
全校児童への配食が始まるのだ。
それも仕事と思って、割り切っていたが、
それまでと違って、
美味しいと諸手を挙げてられなくなった。
▼ それはさておき、言うまでもないことだが、
安心、安全な給食を毎日提供することは、
学校の重要な役割だった。
予定していた給食が作れず、
子どもを空腹のままにすることなど、
決してあってはいけないことだ。
ところが、そんな危機を、2度経験した。
▼ 1つ目は、明らかな調理ミスだった。
その日のメイン献立は、煮物だった。
3つの大鍋で、低・中・高学年に分けて具材を煮て、
味付けを始めた。
中学年の鍋を担当した調理師が、何を勘違いしたのか、
砂糖と間違って、大量の塩を投入してしまったのだ。
栄養士が、顔色を変えて校長室に来た。
「今から作り直しは無理です。
校長先生、どうしますか。」
このような事態を想定したことはなかった。
でも、こんな時、校長には即断即決が求められた。
1分間ほどの静寂があった。
「2つの鍋のものを、全校で分けましょう。
それでは、量が足りないでしょうから、
今からでも調達できるものはないかな。」
校長室を飛び出した栄養士は、
すぐに出入り業者に電話をかけた。
何軒か問い合わせた末だった。
「校長先生、ゆで卵なら人数分何とかできます。」
「それでいい!」
▼ 2つ目は、作業の油断が招いた。
調理室の脇には、小さなエレベーターがある。
人を乗せるものではなく、
出来上がった給食と食器等を、
それぞれの教室階へ運ぶためのものだ。
その日も順調に調理作業が進み、
エレベーターを使って各階へ、給食を上げる作業に移った。
1番はじめに4階の高学年用を運び上げた。
少しの時間をおいて、ガタンという音と一緒に、
エレベーターが急停止した。
原因はすぐに予想できた。
エレベーター内で、何かが荷崩れしたのだ。
その荷が、内部のどこかにはさまり、停止したようだ。
幸い汁物がこぼれている気配はなかった。
エレベーターの上下ボタンをいくら押しても、全く動かない。
調理主任が顔色を変えて、校長室へ飛び込んできた。
「4階以外は、階段を使って運びます。
校長先生、4階の給食はどうしますか。」
主任は、経験したことない事態に、
常軌を逸した表情だった。
私は、何の確信もなかったが、ゆっくりと言った。
「大丈夫だよ。何とかなるよ。
まずは、エレベータの点検業者に連絡して、
できれば、来てもらってください。」
「でも、業者はどんなに早くても1時間はかかります。
それじゃ、給食時間が終わってしまいます。」
「いいから、まずは連絡をしてごらん。」
私の強い口調に折れて、主任は電話した。
事態の緊急性を理解した業者は、
その日の作業員の行動予定を調べた。
すると同じ区内の学校で点検作業をしている社員がいた。
直ちに連絡を取り、10分後には駆けつけてくれた。
彼は、事故の様子をすぐに把握し、
最上階の天井裏に潜り込んだ。
そして、エレベーターを真上からのぞき込み、
手動でゆっくり1階の調理室まで下ろした。
その後、もう1度積み直しをし、
給食は、無事4階まで上げられた。
高学年は、20分ほど遅れて食べ始めることができた。
▼ 学校を離れてから、
1年間は教育アドバイザーとして研修室勤務となった。
ランチは、給食でなくなった。
スタッフ6人の中には、
弁当やコンビニ物を持参する者もいたが、
多くは私と同じで、美味しいランチを求めて、
お店を歩き回った。
ある日の昼休み、スタッフの1人が提案した。
「狭くて汚いんだけど、安くて美味しい店を見つけました。
そこへ行きませんか。」
半信半疑で、案内してもらった。
ビックリした。
カウンターの前に、椅子が7つだけ並んでいた。
しかし、奥の席に行くには、
座っている方に立ってもらわないと行けなかった。
カウンター越しのこれまた狭い厨房には、
老夫婦が立ち働いていた。
ランチは曜日ごとにワンメニューで、
その日は麻婆豆腐定食だった。
店に入る時、外扉の脇にあったカゴに、
10数個の豆腐と長ネギがあった。
その訳が分かったが、
食材が無造作に外に置かれていることに驚いた。
しかし、それにしても店内は古くて汚い。
その壁の一角に、どこかのテレビ番組でやっていた
汚いけど美味しい店の『認定証』が貼ってあった。
出てきた麻婆豆腐定食は、確かにいい味だった。
だが、隣の定食とは、まったく違う器に盛られていた。
私たちが食べ始めると、客が途絶えた。
するとご主人は、ゆっくりと厨房を出て、
私たちの後ろにあるトイレに入って行った。
狭い店である。
小用を済ましているのが分かった。
それを聞きながらのランチだった。
「参った。」と思いながら、500円を払い店を出た。
「あの店いいね。安いし、美味しい。また行こう。」
「そうしよう!」
そんな感想を聞きながら、
私はどうしても同意できなかった。
久しぶりの雪化粧 だて歴史の杜公園
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