ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

ランチ あれこれ

2018-01-12 22:04:54 | 
 ▼ まずは、中学生の時の弁当である。
来る日も来る日も、おかずが煮豆とちくわの煮物だった。
 きっと今日は違うおかずだろうと期待して蓋をあける。
やっぱり煮豆とちくわの煮物。
 それでも、食欲には勝てず、空にして持ち帰った。

 次第に、疑問が広がった。
なぜ、同じおかずなのだろう。
 当時我が家は、貧しかった。
だから、これしかおかずに入れられないのだろう。
 そう考え、煮豆とちくわの煮物で我慢した。

 しかし、あまりにも長く続いた。
我慢も限界になった。
 若干怒りを抑えて、母に言った。
「いつもいつも煮豆とちくわの煮物だよ。
たまには、違うおかずにしてよ。」
 「だって、あんた、煮豆もちくわの煮たのも、
大好きって言ったでしょう。」

 確かに、そんなことを言った憶えがあった。
「そう言ったかも、でも・・・。」
 母は、少し不快な顔をしていた。

 今も、煮豆やちくわが食卓に上ると思い出す。
ランチに関する最初のエピソードかも知れない。

 ▼ 教職に就いてからのランチは、学校給食だった。
教員は早食いだと言われる。
 「それは、職業病です」と、よく私は言った。

 少しでも早く食べ終え、食の細い子を促したり、
お代わりの給仕をしたりする。
 その上、できれは連絡帳に目を通したり、
ノートの添削、テストの採点をしたりしたいのだ。

 だから、担任時代の私は、
給食をゆっくり味わったことがなかった。
 でも、年々給食が良くなり、
美味しくなっていったことだけは実感した。

 パン食一辺倒だった献立も、
米飯食や麺類などバリエーションが豊富になった。
 いち早く旬の果物が出ることも増えた。
パエリアやポルシチなどは、給食で初めて口にした。

 ▼ 校長として着任したS区は、
全べての小中学校に栄養士がいた。
 だから、学校独自の献立が可能だった。
さらに給食は充実した。

 ところが、『Oー157』が流行してからは、
校長に「検食」が義務づけられた。
 私は、出来立ての給食を、
学校で1番早く食べる役回りになった。
 言わば『お毒味役』なのである。
私が食べて、異常がないことを確認してから、
全校児童への配食が始まるのだ。

 それも仕事と思って、割り切っていたが、
それまでと違って、
美味しいと諸手を挙げてられなくなった。

 ▼ それはさておき、言うまでもないことだが、
安心、安全な給食を毎日提供することは、
学校の重要な役割だった。

 予定していた給食が作れず、
子どもを空腹のままにすることなど、
決してあってはいけないことだ。
 ところが、そんな危機を、2度経験した。

 ▼ 1つ目は、明らかな調理ミスだった。 
その日のメイン献立は、煮物だった。
 3つの大鍋で、低・中・高学年に分けて具材を煮て、
味付けを始めた。
 中学年の鍋を担当した調理師が、何を勘違いしたのか、
砂糖と間違って、大量の塩を投入してしまったのだ。

 栄養士が、顔色を変えて校長室に来た。
「今から作り直しは無理です。
校長先生、どうしますか。」
 このような事態を想定したことはなかった。
でも、こんな時、校長には即断即決が求められた。
 1分間ほどの静寂があった。

 「2つの鍋のものを、全校で分けましょう。
それでは、量が足りないでしょうから、
今からでも調達できるものはないかな。」

 校長室を飛び出した栄養士は、
すぐに出入り業者に電話をかけた。
 何軒か問い合わせた末だった。
「校長先生、ゆで卵なら人数分何とかできます。」
「それでいい!」

 ▼ 2つ目は、作業の油断が招いた。
調理室の脇には、小さなエレベーターがある。
 人を乗せるものではなく、
出来上がった給食と食器等を、
それぞれの教室階へ運ぶためのものだ。

 その日も順調に調理作業が進み、
エレベーターを使って各階へ、給食を上げる作業に移った。
 1番はじめに4階の高学年用を運び上げた。
少しの時間をおいて、ガタンという音と一緒に、
エレベーターが急停止した。

 原因はすぐに予想できた。 
エレベーター内で、何かが荷崩れしたのだ。
 その荷が、内部のどこかにはさまり、停止したようだ。
幸い汁物がこぼれている気配はなかった。
 
 エレベーターの上下ボタンをいくら押しても、全く動かない。
調理主任が顔色を変えて、校長室へ飛び込んできた。
 「4階以外は、階段を使って運びます。
校長先生、4階の給食はどうしますか。」
 主任は、経験したことない事態に、
常軌を逸した表情だった。

 私は、何の確信もなかったが、ゆっくりと言った。
「大丈夫だよ。何とかなるよ。
まずは、エレベータの点検業者に連絡して、
できれば、来てもらってください。」
 「でも、業者はどんなに早くても1時間はかかります。
それじゃ、給食時間が終わってしまいます。」
 「いいから、まずは連絡をしてごらん。」

 私の強い口調に折れて、主任は電話した。
事態の緊急性を理解した業者は、
その日の作業員の行動予定を調べた。
 すると同じ区内の学校で点検作業をしている社員がいた。
直ちに連絡を取り、10分後には駆けつけてくれた。

 彼は、事故の様子をすぐに把握し、
最上階の天井裏に潜り込んだ。
 そして、エレベーターを真上からのぞき込み、
手動でゆっくり1階の調理室まで下ろした。

 その後、もう1度積み直しをし、
給食は、無事4階まで上げられた。
 高学年は、20分ほど遅れて食べ始めることができた。

 ▼ 学校を離れてから、
1年間は教育アドバイザーとして研修室勤務となった。
 ランチは、給食でなくなった。
スタッフ6人の中には、
弁当やコンビニ物を持参する者もいたが、
多くは私と同じで、美味しいランチを求めて、
お店を歩き回った。

 ある日の昼休み、スタッフの1人が提案した。
「狭くて汚いんだけど、安くて美味しい店を見つけました。
そこへ行きませんか。」

 半信半疑で、案内してもらった。
ビックリした。
 カウンターの前に、椅子が7つだけ並んでいた。
しかし、奥の席に行くには、
座っている方に立ってもらわないと行けなかった。
 カウンター越しのこれまた狭い厨房には、
老夫婦が立ち働いていた。

 ランチは曜日ごとにワンメニューで、
その日は麻婆豆腐定食だった。
 店に入る時、外扉の脇にあったカゴに、
10数個の豆腐と長ネギがあった。
 その訳が分かったが、
食材が無造作に外に置かれていることに驚いた。

 しかし、それにしても店内は古くて汚い。
その壁の一角に、どこかのテレビ番組でやっていた
汚いけど美味しい店の『認定証』が貼ってあった。

 出てきた麻婆豆腐定食は、確かにいい味だった。
だが、隣の定食とは、まったく違う器に盛られていた。

 私たちが食べ始めると、客が途絶えた。
するとご主人は、ゆっくりと厨房を出て、
私たちの後ろにあるトイレに入って行った。

 狭い店である。
小用を済ましているのが分かった。
 それを聞きながらのランチだった。
「参った。」と思いながら、500円を払い店を出た。

 「あの店いいね。安いし、美味しい。また行こう。」
「そうしよう!」
 そんな感想を聞きながら、
私はどうしても同意できなかった。





  久しぶりの雪化粧 だて歴史の杜公園 
   

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