今日はやっと秋らしい天気になったので、僕のお気に入りのコースを歩くことにした。猛暑が続いていた間は、歩く気分にもなれず、もう随分歩いていなかったので疲れたが、ここちよい汗をかいた。コースは立田自然公園とその周辺に散在する歴史に名を残す人々にまつわるポイント巡り。我が家までの往復は約7kmほどか。前回まわったのはもう1年以上前だが、何度まわっても新しい発見がある。
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わが母黌。この門を出て、あっという間に46年の月日が流れた。
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鼻欠け地蔵(小峰墓地)。小泉八雲が五高教師時代こよなく愛した。周囲には池田屋事件で命を落とした幕末の志士宮部鼎蔵や母黌の創始者、佐々友房などのお墓がある。
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細川ガラシャの御廟。園内には細川忠興・玉子(ガラシャ)夫婦とその父母が眠る四つの御廟や宮本武蔵の供養塔などがある。来年の大河ドラマには、また細川ガラシャが登場する。観光客が増えれば良いが。
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茶室・仰松軒(こうしょうけん)。細川忠興は茶人でもあった。
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宮本武蔵の引導石。正保2年(1645)、武蔵が亡くなった時、この石に遺体を乗せて経を唱え、最後の引導を渡したと言われる。
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リデル・ライト記念碑。リデルライト記念老人ホームの脇には、日本におけるハンセン病救済のさきがけとなったハンナ・リデルとエダ・ライトの記念碑がある。
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熊本大学五高記念館。明治22年に完成した旧制第五高等学校の赤煉瓦の本館は、今なお嘉納治五郎、小泉八雲、夏目漱石らが教鞭をとった時代の面影を残す。
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わが母黌。この門を出て、あっという間に46年の月日が流れた。
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鼻欠け地蔵(小峰墓地)。小泉八雲が五高教師時代こよなく愛した。周囲には池田屋事件で命を落とした幕末の志士宮部鼎蔵や母黌の創始者、佐々友房などのお墓がある。
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細川ガラシャの御廟。園内には細川忠興・玉子(ガラシャ)夫婦とその父母が眠る四つの御廟や宮本武蔵の供養塔などがある。来年の大河ドラマには、また細川ガラシャが登場する。観光客が増えれば良いが。
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茶室・仰松軒(こうしょうけん)。細川忠興は茶人でもあった。
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宮本武蔵の引導石。正保2年(1645)、武蔵が亡くなった時、この石に遺体を乗せて経を唱え、最後の引導を渡したと言われる。
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リデル・ライト記念碑。リデルライト記念老人ホームの脇には、日本におけるハンセン病救済のさきがけとなったハンナ・リデルとエダ・ライトの記念碑がある。
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熊本大学五高記念館。明治22年に完成した旧制第五高等学校の赤煉瓦の本館は、今なお嘉納治五郎、小泉八雲、夏目漱石らが教鞭をとった時代の面影を残す。