父は明治44年、熊本県飽託郡黒髪村大字下立田(現在の熊本市中央区黒髪4丁目)に生まれた。そこは立田山の麓、旧藩主細川家代々の菩提寺である泰勝寺のすぐ南側に隣接した地だった。当時は人家もまばらな寂しい山里だったが、四季を通じて美しい自然に囲まれていたと父が書き残している。この泰勝寺を管理していた長岡家に幼い頃から伺候していた父にとって、泰勝寺は遊び場であり、勉強の場でもあった。父は7歳になるまでこの地で暮らした。
僕が父に連れられてこの地を初めて訪れたのは昭和26年、5歳の頃だったと思う。父が幼時を過した時分とは随分様子も変わっていたに違いないが、それでも今日とは全く異なる景色が広がっていたことはハッキリと覚えている。
かつて泰勝寺は「肥後の苔寺」と呼ばれたほど、苔庭の美しい寺だったという。現在も立田自然公園となった一画に苔庭が残っているが、おそらく規模も美しさも往時とは比べものにならないだろう。僕が5歳の時に見た父の生家跡も鬱蒼とした木立と美しい苔庭があったと記憶している。数年前、京都市右京区にある祇王寺の苔庭の写真を見て、僕の記憶に残る父の生家跡とそっくりで驚いたことを思い出す。
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泰勝寺跡(細川家立田別邸)山門
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父が毎日通った境内への虎口
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苔庭
僕が父に連れられてこの地を初めて訪れたのは昭和26年、5歳の頃だったと思う。父が幼時を過した時分とは随分様子も変わっていたに違いないが、それでも今日とは全く異なる景色が広がっていたことはハッキリと覚えている。
かつて泰勝寺は「肥後の苔寺」と呼ばれたほど、苔庭の美しい寺だったという。現在も立田自然公園となった一画に苔庭が残っているが、おそらく規模も美しさも往時とは比べものにならないだろう。僕が5歳の時に見た父の生家跡も鬱蒼とした木立と美しい苔庭があったと記憶している。数年前、京都市右京区にある祇王寺の苔庭の写真を見て、僕の記憶に残る父の生家跡とそっくりで驚いたことを思い出す。
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泰勝寺跡(細川家立田別邸)山門
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父が毎日通った境内への虎口
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苔庭