昨日のRKKの情報番組「WELCOME!」では、「熊本の茶の湯・肥後古流」について江越哲也がリポートしていた。要点のみ下記まとめてみた。
利休七哲の一人、細川三斎(忠興)の「利休の作法を変えてはならぬ」という遺訓を守り、「利休の茶の精神と手前」を今に伝える肥後古流。肥後古流は信長や秀吉に点てていた時のまゝの作法が残っている。肥後古流宗家小堀家は現在、十三代小堀俊夫氏が当主を務める。茶の湯は個人の創意工夫を重んじ、時代とともにそれぞれ進化・変化して来た。しかし、肥後古流は「利休の茶の精神と手前」を頑なに守ってきた。
その細川三斎が残した設計図をもとに大正12年(1923)に復元されたのが、立田自然公園(泰勝寺跡)内に建てられている茶室「仰松軒(こうしょうけん)」。もと京都の天龍寺塔頭真乗院に建てられていた三斎好みのものを復元したもの。躙り口はなく、上り口は入り込んだ土間の奥にあり、向かって右手の口を入ると客座になり、正面の口から入ると点前座になるという独特の造り。
最近の研究では、利休は切腹しておらず、九州へ逃れて三斎に匿われていたという新説もあるらしい。
利休七哲の一人、細川三斎(忠興)の「利休の作法を変えてはならぬ」という遺訓を守り、「利休の茶の精神と手前」を今に伝える肥後古流。肥後古流は信長や秀吉に点てていた時のまゝの作法が残っている。肥後古流宗家小堀家は現在、十三代小堀俊夫氏が当主を務める。茶の湯は個人の創意工夫を重んじ、時代とともにそれぞれ進化・変化して来た。しかし、肥後古流は「利休の茶の精神と手前」を頑なに守ってきた。
その細川三斎が残した設計図をもとに大正12年(1923)に復元されたのが、立田自然公園(泰勝寺跡)内に建てられている茶室「仰松軒(こうしょうけん)」。もと京都の天龍寺塔頭真乗院に建てられていた三斎好みのものを復元したもの。躙り口はなく、上り口は入り込んだ土間の奥にあり、向かって右手の口を入ると客座になり、正面の口から入ると点前座になるという独特の造り。
最近の研究では、利休は切腹しておらず、九州へ逃れて三斎に匿われていたという新説もあるらしい。
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