徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

吉次峠 と 能「熊坂」

2021-03-08 18:33:43 | 歴史
 熊本から豊前街道を植木方面へ進んでいくと、北区徳王に追分石があり、「是より左きとめ通きちしこえたかせへのみち」と書かれている。つまり、「ここから左折すると、木留(植木町木留)を通って吉次峠(きちじとうげ)を越え、高瀬(玉名市高瀬)へ向かう道」という意味だ。この道はかつて「吉次往還」とも呼ばれていたそうだ。往時は多くの人馬が行き交ったことだろう。吉次峠は田原坂と並び西南戦争で多くの犠牲者を出した激戦地。
 吉次峠の名の由来は、昔、金売吉次という人物がここで盗賊に殺害されたという言い伝えからその名がついたといわれている。あの源義経との伝説が残る金売吉次がなぜここで、と思うのだが、一説では金商人のことを「金売吉次」と呼んでいて、特定の一人のことではないともいわれる。


吉次峠から田原坂方面を望む


 平安時代の盗賊・熊坂長範が金売吉次一行を襲い、逆に一行の中の牛若丸(源義経)に討ち取られたという伝説の後日談が能「熊坂」。旅僧の前に現れた熊坂長範の霊が薙刀を振るって舞う迫力ある能。


2013年熊本城薪能 金春流能「熊坂」