徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

錦坂余情

2021-03-19 19:20:07 | 熊本
 僕の散歩コースの一部でもある「錦坂(にしきざか)」。今では坪井方面と京町台を往来する人の近道となっている急坂だが、かつて京町台に沿って流れていた坪井川を舟で遡上して来た加藤神社の参詣客をここから登らせるために出来た坂なのである。明治に入り陸軍が熊本城本丸に鎮台を構えたため、明治7年に錦山神社(加藤神社)が城内から新堀に遷座した。下を流れる坪井川の船着場には、天草、島原を始め九州各地から錦山神社の参詣客が次々と舟付けし、錦坂を登ったのである。そして、京町の本通りには公許の遊郭が出来、妓楼は20余軒に及んだ。西南戦争の戦火で焼失する明治10年までのわずか3年余の間、京町・新堀は港町、門前町、商業の町、そして遊郭の町として栄えたのである。なお、錦山神社が加藤神社に改称されたのは明治42年。

 また、ここは僕が幼い頃の思い出の場所でもある。千葉城町の幼稚園の帰りにこの坂を登った。当時すでに坪井川は流路が変わっており、小さな泥川が残っていた(現在は暗渠化されている)。今日のようなきれいに舗装された坂道ではなく、土が踏み固められた山道だった。道幅も今の半分くらいだったと記憶している。坂を登りきると右手に加藤神社の石段があり、そこを上って境内を通り抜け、裏口から裁判所の前へ出るのがいつものコースだった。


今日の錦坂




かつては錦坂の下を坪井川が流れていた