今日、京町の熊本地方裁判所近くの掲示板に気になる通知書が貼ってあった。発信者は京町拘置支所で「観音坂の途中にある地蔵尊を移転または供養(撤去?)を検討しているので、設置の経緯をご存じの方、日頃お世話をされている方はご連絡をお願いします。」というものだ。京町拘置支所は昨年渡鹿の熊本刑務所に移転したのだが、跡地利用の問題があるのだろう。地蔵尊の坐す場所が京町拘置支所の石垣に掛かっているからかもしれない。

観音坂の途中にある地蔵尊
そもそもこの観音坂の名前の由来は、加藤清正公によって茶臼山に熊本城築城の際、本丸建設地にあった観音堂を京一丁の坂下に移した。その後、その坂は観音坂と呼ばれるようになったもの。観音坂は豊後街道の一部として参勤交代の道となった。その後、観音堂は廃されたが、その際、この地蔵尊が観音坂の途中に置かれたものと思われる。

熊本城築城前の茶臼山の絵図(上の方にクアンノン堂という文字が見える)
通知書には今月末を期限とすると記載されているが、どういう帰結を見るのだろう。場合によっては四百年の歴史の証がまた一つ失われるのかもしれない。

観音坂の途中にある地蔵尊
そもそもこの観音坂の名前の由来は、加藤清正公によって茶臼山に熊本城築城の際、本丸建設地にあった観音堂を京一丁の坂下に移した。その後、その坂は観音坂と呼ばれるようになったもの。観音坂は豊後街道の一部として参勤交代の道となった。その後、観音堂は廃されたが、その際、この地蔵尊が観音坂の途中に置かれたものと思われる。

熊本城築城前の茶臼山の絵図(上の方にクアンノン堂という文字が見える)
通知書には今月末を期限とすると記載されているが、どういう帰結を見るのだろう。場合によっては四百年の歴史の証がまた一つ失われるのかもしれない。