日本に来る前のラフカディオ・ハーンは、1877から87年までの10年間、新聞記者としてニューオーリンズに滞在した。彼は市中の阿片窟や売春宿を告発する記事を書いていたそうである。その一方、周辺地域の民謡や習俗の収集もしていたそうで、原初のジャズなどにも触れていたと思われる。ハーンがニューオーリンズにやってくる数年前まで実在していたという「朝日楼」という娼館を歌った「朝日のあたる家(The House of the Rising Sun)」という民謡がある。1960年代にアニマルズが歌って日本でも大ヒットした。苦界に身を沈めた女の悲しみの歌だが、19世紀から歌われていたというこの歌を、ハーンは仕事柄耳にする機会があったのではないかと思われる。ただ、この歌のもとになったのは16世紀から歌われているアイルランド民謡「The Unfortunate Rake」ではないかという説もある。ハーンが聴いた可能性がある「朝日のあたる家」はわれわれが知っているアメリカのカントリーやロックの影響を受けた「朝日のあたる家」とはだいぶ異なっていたかもしれないし、自らのアイルランドの血を感じさせる何かがあったかもしれない。
1937年アメリカで録音されたジョージア・ターナーが歌う「朝日のあたる家」とそのもとになった可能性があるアイルランド民謡「The Unfortunate Rake」を聴いてみた。
そして、これも聞かずばなるまい。
アイルランド民謡「The Unfortunate Rake」は多くのバリエーションを生んだが、その中に僕の大好きなカントリーソング「The Streets of Laredo」がある。この曲は多くの歌手に歌われ、映画にも使われた。1948年のジョン・フォード映画「三人の名付親」にアンダースコアとして使われている。そういえばフォード監督もアイルランド系だった。