
七月二〇日の早朝、私は、一人、熊本を出発し、百貫(ひゃっかん)経由で長崎へ向かうつもりでした。熊本から百貫までは人力車で一時間半あまりの距離でした。百貫は水田の中の、くすんだ小さな村です。土地の人たちは淳朴で善良です。そこで、漢文を勉強している生徒の一人に会いました。そこからは、小舟で蒸気船に向かいます。この舟の舳先へさきは壊れていました。コールリッジの詩にあるような静かな海をゆらりゆらりと四里ばかり進んで行きました。それは退屈でした。そして、停泊して一時間以上も待たされましたが、海面をじっと見ていると、さざ波が繰り返し/\押し寄せて来るので、まるで反対方向に引っ張られて動いているような、奇妙な錯覚を覚えました。他には見るものとてありません。ついに、私は、はるか水平線上にコンマを逆さまにしたような船影を見つけました。それが近づいて来ます。ついに、ボーッという汽笛を聞いたときは、嬉しくなりました。けれどそれは別の船でした。先の小舟に乗ったまま、さらに一時間も待たされたあげく、やっと目当ての船が現れたのです。

百貫港灯台
T県には海がない。山里暮らしの私は、ときおり海が観たくてたまらなくなります。ふるさとの海と言えば、伊勢と難波や紀伊の海でした。大阪湾は六十年前のようにきれいではありませんしね。
こちらは水戸。大洗海岸、それにこの五月に出かけた北茨城の海。福島原発が大津波で破壊され、その風評被害によって福島から茨城、海岸べりの方々が立ち直るのは容易ではないでしょうが、がんばってほしい。高戸の小浜海岸を観て、そう感じたことです。野口雨情の記念館に立ち寄り、シャボン玉飛んだの童謡を聞き、子どものように喜んだことです。
福島の原発事故は海岸べりの人たちに未だに災難を与え続けていることに心が痛みます。町や村が住めなくなるということだけでも原発はアウトだと思います。