徒然なか話

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白洲正子 「近江山河抄」 そして 「能」

2014-02-06 20:19:37 | 文芸
 僕の愛読書の一つが白洲正子の「近江山河抄」。最近また引っ張り出して読み始めた。僕は彦根にいた2年間、滋賀県内の高校をリクルーティングしながら琵琶湖を何周も回ったが、いかんせんビジネスの旅。観るべきところを観ていない。最初に「近江山河抄」を読もうと思ったのも、白洲正子の近江紀行を追体験することによって、自分自身の貧弱な近江知識を補うことにあった。読み始めてあらためて気づくのは「能」にまつわる記述の多いことだ。女性能楽師の先駆者でもある正子には、いにしえの近江文化の中に「能」に通じるものを感じたのだろう。
 正子と「能」の出会いは4歳の時、靖国神社の能舞台、松明の灯りで観た「猩々」が、正子にとって原体験となったようだ。観世流 二世梅若実に弟子入りし、14歳にして女性として初めて能舞台に立った。女人禁制だった能舞台に立ったことで、奇異の目で見られたこともあったようだが、能楽師としての技量は高く評価されていたらしい。ところが、正子は50歳で梅若家から免許皆伝を受けた直後、打ち込んでいた能をやめてしまう。その理由が「女性に能は表現できない」というもの。「男の能は自分でもできるが、女の能は女が演じると生々しくていけない」ということだったという。「能」を知り尽くし、好きでたまらなかっただけに妥協できなかったのだろう。
 「近江山河抄」は、これからも読む度に何か新しい発見がありそうだ。


琵琶湖岸(彦根市)


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