徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

野林祐実さんの大学デビュー!

2014-04-15 15:15:55 | スポーツ一般
 九州学院高から京都の立命館大学に進学した女子短距離の野林祐実さんが、4月11日に行われた京都学生陸上で無事大学デビューをはたした。環境が変わり、まだレースに臨むに十分な体調ではなかったらしく、出場した女子オープン100mでは12秒32と平凡な記録に終ったが、当面の目標である5月7日から始まる関西学生陸上に照準を合わせているようだ。新しいステージでの彼女の活躍を祈りたい。
 立命館大学のスポーツサイトに紹介されていたので下にリンクを付した。

   ルーキーの活躍光る/男女陸上競技部(立命スポーツより

西村直子さんとポンポコニャ

2014-04-14 18:02:39 | 音楽芸能
 最近、舞踊団花童の公演で唄方としてよく参加される西村直子さん。ご実家の農園経営のかたわら、民謡歌手を始め、マルチタレントとして各方面でご活躍中である。随分前からお名前だけは存じ上げていたが、ご交誼を賜るようになったのは2年ほど前のことである。一昨年3月に他界されたわが家の家庭医、河野龍巳先生が、念願だった「田原の夢」の歌をCD化されたが、この歌を歌ったのが西村直子さん。この歌に映像を付けて河野先生の奥様にプレゼントしようとご相談したのが西村さんとのお付き合いの始まりだった。
 西村さんは昭和56年に恩師 本條秀太郎さんの作曲による「八代の花嫁唄」でビクターレコードよりプロデビューしたのだが、このレコードのB面が熊本民謡「ポンポコニャ節」(本條秀太郎編曲)。この西村さんの「ポンポコニャ」にまつわる面白い話を、郷土史家の鈴木喬先生が残している。以前にも紹介したことがあるが、再度ご紹介したい。

▼「熊本民謡『ポンポコニャー』と熊本名所地名考」(鈴木喬)より抜粋
 この唄は早くから熊本の芸妓連の間に歌い継がれ、祝事や宴席・酒席の演し物として好評を博していたが、第二次世界大戦中に戦意高揚につながらないことと曲のむずかしさから敬遠されて次第に歌われなくなってしまい、戦後になって民謡が歌番組として取り上げられるようになっても、なかなか表に出てこなかった。しかしたまたま昭和五十三年の日本民謡大賞の県予選を経て、中国九州予選で西村直子が全国大会の出場権を得、その年の全国大会で特別賞を授賞してからその存在がアピールされ、金沢明子と原田直之が中心となって全盛を極めたNHKの「民謡をたずねて」にも彼女が此の唄を携えて出演し、その後暫くこの番組のアシスタントとして勤めていた。
 ところがこの唄は声の高低・抑揚の変化が多く、相当の習練を積まないと容易には歌いこなせない。歌手として著名な水前寺清子が、西村直子よりあとに「民謡をたずねて」に出演してこの曲に挑戦したことがあるが、出だしの音の高さを間違えたために散々な結果に終わったことがある。歌の専門家でも歌い損なう位であるから、素人の歯が立たないのも当然であろう。そのせいか、いろんな会合の演し物に、芸者衆もなかなかこの曲を披露してくれないのである。

   ▼西村直子さんが歌う「水前寺成趣園」

夢千代日記 再び

2014-04-13 16:44:08 | テレビ
 BSプレミアムで「夢千代日記」を放送していた。1981年に放送された最初の5回シリーズだ。「夢千代日記」は人気を博し、翌年に「続・夢千代日記」、さらにその2年後「新・夢千代日記」と続いたが、僕はやっぱりこの最初の「夢千代日記」が一番好きだ。また、吉永小百合の出演作品の中でも、映画、テレビドラマを通じて最高傑作だと思う。今日放送された5回シリーズの第2回も、これまで何度も見ているのだが、やっぱり釘付けになってしまう。原作・脚本の早坂暁、演出の深町幸男、音楽の武満徹とくれば面白くないわけがない。また、夢千代の吉永小百合を始め、キャストが素晴らしい。今日出ていただけでも、樹木希林、楠トシエ、大信田礼子、秋吉久美子、中村久美、夏川静枝、加藤治子、緑魔子、あがた森魚、中条静夫、ケーシー高峰、村瀬幸子、田島令子、沢竜二、香山浩介、片桐夕子、林隆三ほかと実に多彩で、それぞれの役柄がピッタリはまっている。
 ところで「夢千代日記」といえば、はる屋の芸者たちが唄い踊る「貝殻節」が忘れられないが、「夢千代日記」の舞台となった兵庫県の湯村温泉あたりの民謡かと思いきや、実は「貝殻節」は、湯村温泉とは随分離れた鳥取県の鳥取港あたりで生まれた民謡だという。


「 2014熊本県陸上競技選手権 」 始まる!

2014-04-12 20:03:13 | スポーツ一般
 今日から熊本県民総合運動公園陸上競技場で「 2014熊本県陸上競技選手権 」 が始まった。今年は江里口匡史や末續慎吾といった大物選手も出場しなかったし、女子の野林祐実を始め、進学や就職などにより出場選手名簿から名前の消えた有力選手も多かったようで、1日目を見た限り、盛り上がりに欠けた。そんな中で女子100m障害で優勝した吉良愛美(アットホーム、熊商-中大卒)や女子400mで大会新で優勝した新宅麻未(中大、熊商卒)らがその実力を見せてくれて救われた。


東京オリンピック あの日あの時

2014-04-11 20:49:53 | スポーツ一般
 1964年10月18日。東京オリンピックの水泳競技最終日、僕は会場となっている代々木競技場のプールで大会スタッフのアルバイトとして働いていた。この日まで日本は1個のメダルも獲れないでいた。いよいよ最終種目の男子800mリレー。日本にとってはまさにラストチャンスだ。スタートの号砲が鳴る。最終種目とあってか、会場はもの凄い声援の嵐。僕ももう仕事なんかそっちのけ、仮設スタンド脇の黒山の人だかりのすき間からレースを覗き見る。日本は福井、岩崎、庄司と繋ぎ、アメリカ、ドイツ(東西連合)に続き3番手でアンカーの岡部へ。悲願のメダルへ手が届きそうだ。その時だった。誰かが仮設スタンドの上から僕を呼んでいるのに気付いた。見ると外国人の男性客が僕にスタンドに上がって来いと言っているらしい。そして僕に手を差し伸べた。僕も躊躇している場合ではないと思い、手を差し出し、仮設スタンドの鉄パイプをハシゴがわりにして客席まで引っ張り上げられた。男性は何かしきりに英語でまくしたてたが、どうも「日本がメダルを獲りそうだから、ここからしっかり見ていろ!」と言っているらしかった。僕は「サンキュー」とだけ言ってレースに集中した。岡部は3番手の位置を保ったまま、最後のターンを終えた。するとそれまでにも増してもの凄い声援と指笛が大音響となって会場を包んだ。日本人、外国人関係なく会場すべてが日本を応援しているようだった。そして日本は3位でゴールインした。引っ張り上げてくれた男性やその周囲の観客たちが、僕に「コングラチュレーション!」の嵐。僕はその人たちと握手しながら「サンキュー!サンキュー!」というのが精一杯だった。そして僕はその時、スポーツの存在意義を実感した。

鎌研坂(かまとぎざか)のはなし。

2014-04-10 17:26:51 | 文芸
 4月5日の熊日新聞に、夏目漱石の「 草枕 」の舞台となった「 鎌研坂 」を、城西校区住民が本格的に整備を始めたという記事が載っていた。現在、草枕の道(草枕ハイキングコース)の一部となっている「 鎌研坂 」は漱石が歩いた頃に比べると後半の一部に過ぎない。
 昨年5月、現在は草枕ハイキングコースに入っていない「 旧鎌研坂 」がどうなっているのか見てみたいと思い、中学時代以来、55年ぶりに分け入ってみた。それはそれは酷い状態だった。竹藪は荒れ放題、ところどころには家電製品や使用済みタイヤなどの不法投棄も目についた。今回、城西校区住民の皆さんによって整備していただくことは本当にありがたく敬意を表したい。近い将来、漱石が歩いた道と同じ「 鎌研坂 」が復活することを願ってやまない。

▼画像はいずれもクリックすると拡大します。



現在、草枕の道(草枕ハイキングコース)の中で「鎌研坂」とされている坂の登り口


新道を登る途中に「旧鎌研坂」への入口の標柱がある。


旧鎌研坂の竹藪は荒れ放題

伝統芸能で水前寺の再興を!

2014-04-09 15:33:16 | 音楽芸能
 かつてピーク時には年間189万人もの入場者があった水前寺成趣園も、その数は減少し続け、昨今ではその6分の1の30万人を割り込むところまで落ち込んでいる。水前寺にかつての賑わいを取り戻そうと、現在、地域住民を中心とした「水前寺活性化プロジェクト」が展開されている。先日の「水前寺まつり」もその一環として行われたものだが、1日目が雨に見舞われる不運はあったものの、2日間で1万7千人を集めたそうだ。これからも積極的に「しかけ」を講じていけば、少しずつ客は戻ってくるような気がする。また成趣園にはせっかく立派な能舞台や流鏑馬馬場がある。能楽や流鏑馬では歴史的に日本をリードしてきた熊本という土地柄を活かし、「伝統芸能」をキーワードに再興を図ってほしいものだ。

▼長唄・舞踊 春の調べ
 三世杵屋勝三郎 1865年の作。春霞、鶯の初音、雪どけの山などのどかな早春の情景を描き、いつまでも泰平の御世が続いてほしいと願う。






舞踊 「 細川ガラシャ 」 は夢幻能!?

2014-04-08 13:51:38 | 音楽芸能
 中村花誠先生がどんなストーリーをお考えになってこの振付をされたのかはわからない。一度お聞きしてみたいと思うが、僕の目には次のように映った。
 ビエントの吉川万里さんの鋭いケーナの響きで曲が始まる。場所が能楽殿ということもあり、まるで能管の出端にも聞こえる。若いガラシャと後年のガラシャが細川忠興をはさんで登場するのだが、おそらくこの舞踊劇には前段があり、今から始まるのはそのクライマックスなのだろうという気がした。そこで気付いたのだが、二人のガラシャが同時に登場する時点で、これは現実のものではない、つまり夢幻能のようなものなのだと理解した。二人のガラシャと忠興が絡む舞には、仲睦まじく見えるところもあれば、埋めがたい溝を感じさせるところもある。つまりガラシャと忠興の関係というのはそんな微妙なものだったのだろう。忠興との愛を貫いたガラシャだったが、結局、キリシタンの信仰も貫いた。それを象徴するのがエンディング近く、二人のガラシャが懐から取り出したロザリオを高く掲げる場面だ。ここで感動が最高潮に達する。おそらくこれは83歳まで生きた忠興が余命いくばくもない最晩年になって見た夢だったのだろう。

▼画像をクリックすると動画を再生します。

嗚呼 細川ガラシャ

2014-04-06 22:30:21 | 音楽芸能
 水前寺成趣園で行われた「水前寺まつり」2日目の今日、能楽殿において、新作舞踊曲「細川ガラシャ」が初めて生演奏で披露された。
 この曲は阿蘇を拠点に活動するデュオグループ、ビエント(Viento)の作曲。中村花誠さんが作調を担当。
 今夜はビエントの生演奏で、ガラシャの幼少時を上村文乃さん、成人後を中村くるみさん、夫の細川忠興公を黒木界成さんが演じた。
【振 付】中村花誠
【演 奏】Viento(ケーナ/吉川万里、シンセサイザー/竹口美紀)
【囃子方】中村花誠、今村孝明



≪備 考≫
 水前寺は肥後細川藩初代、忠利公がこの地に御茶屋を設けたのが始まり。その忠利公の母が玉(ガラシャ)である。

梅鉢の紋

2014-04-04 21:50:58 | 歴史
 防府天満宮のFacebookに、3月31日の御正祭(ごしょうさい)のことが書いてあった。御正祭というのは防府天満宮の主祭神である菅原道真公のご命日の祭のことである。40年程前に、防府天満宮最大の祭「裸坊祭(御神幸祭)」に初めて参加した時のことを思い出した。「裸坊祭」というのは、毎年11月下旬に行われる祭で、道真公が大宰府へ下る途中、勝間の浦に上陸して立ち寄られた際の送迎の古式を伝えたものといわれる。数千人もの白装束姿の男衆(裸坊)が寒空の下、御神体を奉じた御網代(おあじろ)を「兄弟ワッショイ」のかけ声も勇ましく、防府天満宮から菅公上陸の地、勝間の浦の御旅所まで運び練り歩く。
 天神さんと言えば「梅鉢の紋」。裸坊の白装束に、縁起物の赤い梅鉢の紋のスタンプを押してもらう。いかに多くの梅鉢の紋を押しているかを競い合ったものだ。中にはほとんど赤装束にしか見えない人もいたほどだ。あれから40年近く。僕の後輩たちはいまだにこの祭に参加し続けているようだ。



【防府天満宮のサイトより】
 防府天満宮は学問の神様、菅原道真公を始め公の御祖先である天穂日命・武夷鳥命・野見宿禰の四柱をお祀りしています。
 菅公は、九州の太宰府に下られる途中、船を当地勝間の浦におつけになり暫くご滞在になりました。ご滞在中、酒垂山にお登りになり、「身は筑紫にて果つるとも、魂魄は必ずこの地に帰り来らん」とお誓いになり、周防国分寺にて家宝の金の鮎12尾を国司土師信貞に託して寂しく旅立たれました。
 延喜3年(903年)公のお亡くなりの日、勝間の浦に神光が現れ、酒垂山に瑞雲が棚引きました。国司は公の御霊がお帰りになられたと、翌延喜4年(904年)この地の酒垂山に社殿を建立して松崎の社と号しました。
 菅公をお祀りしたお社は日本全国津々浦々に至るまで約1万2千社もありますが、当社の創建をもって日本最初の天満宮とし、北野天満宮(京都市)、太宰府天満宮(太宰府市)と共に日本三天神と称せられております。
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 天神さんの「梅鉢の紋」を題材にした古典落語が「たぬさい」。この「たぬさい」をモチーフにした長唄舞踊が下の「天神さん」である。



目尻にさした紅

2014-04-03 21:04:01 | 文芸
 川端康成の「伊豆の踊子」第四章に次のような一節が出てくる。


 「伊豆の踊子」は川端康成の若い頃の実体験に基づく小説といわれるが、川端は映画化にあたり、このシーンについて手記で次のように述べている。

「思い出になによりあざやかに浮かぶのは、踊子の寝顔の目尻にさした、古風な紅である。目と口、また髪や顔の輪郭が不自然なほどきれいだった。なのに、鼻だけはちょぽんといたずらにつけたように小さかった。」


 僕は、舞踊団花童の子たちの目じりにさした紅色を見ると必ず、「伊豆の踊子」のこの一節と川端の言葉を思い出し、胸が熱くなるのである。


HIROさん撮影写真より

最近観たテレビの話

2014-04-02 19:37:10 | テレビ
 テレビ番組の録画は極力避けるようにしている。後で見るのが結構大変なことになるからだ。それでもやっぱり溜まってしまう。そんな中から、最近、気になっていた録画番組を2本観た。

■にっぽんの芸能「創国記」(NHK-Eテレ)
 昨年見逃した番組の再放送。出雲大社や伊勢神宮の「遷宮」にちなみ、古事記に描かれる「国造り」をテーマに、主人公・オオクニヌシの不屈の精神と生きるエネルギーを力強く描き出した舞踊劇。というふれこみだが、僕の注目はヒロインのヤガミヒメを演じる尾上京。3年ほど前にこの番組で同世代の尾上紫とともに取り上げられ注目していたのだが、その後、尾上紫の方はテレビで何度か見る機会があったものの、尾上京は見る機会がなくどうしているのだろうと気になっていた。久しぶりに艶やかな踊りが見られて満足した。今度は素踊りではなく衣装付きで見てみたい。

■プレミアムシネマ「伊豆の踊子」(BSプレミアム)
 1963年の日活映画吉永小百合版。小百合版だけでも既に5回以上は見ているが、テレビで放送されると知れば見逃すわけにはいかない。この映画が公開されたのは僕が高校3年の時、小百合さんは1級上なので、はたして14歳の踊子・薫の役はどうなの?と思ったりしたものだが、実際映画を見たら全然違和感がなかった。「伊豆の踊子」の映画で、この小百合版が一番、踊るシーンが多かったような気がする。 

男の女々しさは昔から?

2014-04-01 20:07:26 | 文芸
契りきな かたみに袖をしぼりつつ
        末の松山 波越さじとは


 最近、女性からフラれた男が逆恨みして、ストーカー行為に及んだり、最悪のケース、女性を殺害したりという事件が後を絶たない。これらの事件を取り上げたテレビ番組などでは「最近の男はあきらめが悪い」とか「女々しくなった」とかいう話をよく聞く。
 そうだろうか。もともと女性より男性の方があきらめが悪く、女々しいのだという説もある。

 実はこの歌、別れたくない男ごころの歌である。詠んだのは平安時代中期の歌人で肥後の國司も務めた清原元輔(きよはらのもとすけ)、清少納言のお父さんでもある。この歌を現代風に訳すと

 約束しましたよね。お互いに袖を絞るほど泣き濡れて。永遠の愛を誓ったあなたが心変わりするなど、まるで末の松山を波が越えるような、あり得ないことだと。

 女性から別れを告げられ、別れたくない男の切々たる想いが伝わってくる。つまり、男は平安時代の昔からちっとも変わらないのだという気もするのである。もっとも清原元輔のような大歌人ともなると、口から出まかせで詠むこともあったらしいから、清原元輔にこの歌のような状況があったかどうかはわからない。