徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

恋人の木(The Sweetheart Tree)

2017-06-14 17:03:45 | 音楽芸能
 今日のBSプレミアムシネマは「グレートレース(1965)」。
 奇しくも今日は、この映画の音楽を担当したヘンリー・マンシーニの没後23年にあたる日。
 ブレイク・エドワーズ監督とは、「グレートレース」の他にも、「ティファニーで朝食を(1961)」、「酒とバラの日々(1962)」、「ピンク・パンサーシリーズ(1963~1993)」など多くの作品でコンビを組み、数々の名曲を残した。なかでもこの「グレートレース」の主題曲である「The Sweetheart Tree」は代表的な名曲といっていいだろう。
 この映画は、1960年代半ば、アメリカン・ニューシネマが台頭する中、古き良きハリウッド映画が最後の炎を燃やしていた頃の作品。20世紀初頭の、ニューヨーク・パリ間の自動車大レースを題材としたスラップスティック・コメディー大作。ジャック・レモン、トニー・カーティス、ナタリー・ウッド、ピーター・フォークらが出演している。(右の写真はナタリー・ウッド)
 劇中、ナタリー・ウッドがギターをつま弾きながら「The Sweetheart Tree」を歌うシーンもある。
 下の映像は、ヘンリー・マンシーニのピアノ伴奏でパティ・ペイジが「The Sweetheart Tree」を歌う1972年のTVショーの場面。


They say there's a tree in the forest,
A tree that will give you a sign,
Come along with me to the sweetheart tree,
Come and carve your name next to mine. 
They say if you kiss the right sweetheart,
The one you've been waiting for,
Big blossoms of white will burst into sight,
And your love will be true evermore.

能舞台の「鏡板の松」

2017-06-13 19:37:15 | 音楽芸能
 能舞台でおなじみ、舞台正面の背景「鏡板の松」。原始の能舞台は、野外に土を盛り上げただけの簡素な舞台で、神社の境内などの大きな老松の下などが選ばれました。神事として始まった能は、まずこの自然木の老松に神を降ろすことから始まりました。この神が宿った松の木を「影向の松(ようごうのまつ)」と呼びます。奈良の春日大社の摂社若宮神社の祭祀として、毎年12月に行われる「春日若宮おん祭」の能が、そのおもかげを今に伝へているといわれています。
 つまり、もともと舞台のそばにあった天然の松の木を模して描かれたのが能舞台の「鏡板の松」なのです。
※参考文献:高野辰之「歌舞音曲考説」、折口信夫「能舞台の解説」


水前寺成趣園能楽殿の舞台。毎年8月に行われる金春流による出水神社薪能


 山形県酒田市松山の松山歴史公園(松山城跡)で先日行われた「松山城薪能」の様子を、ブログ「無題・休題-ハバネロ風味-」さんが紹介されていますが、まさに原始の能舞台さもありなんといった趣です。


羽州庄内松山藩、松山城の大手門を背景に設えられた能舞台


大きな老松を背景に古雅な趣きの舞台で演じられる能「屋島」


 さらに遡ると、能舞台は土壇だったのですが、水前寺成趣園の東側エリア、細川幽齋公、忠利公の銅像の近くに往時を再現した土盛りの能舞台があります。現在の能楽殿が八代松井家から移設されるまでは、この舞台で薪能が行われていました。


水前寺成趣園の土盛りの能舞台で行われた薪能

熊本城は残っても、城下町は消滅!

2017-06-12 21:27:08 | 熊本
 昨日の深夜放送された「JNN九州沖縄ドキュメント」は「変わる城下町 ~熊本地震から1年2か月~」と題して、熊本城の城下町、熊本市中央区の新町・古町地区のその後の経過と今を取り上げていた。
 この地区には築100年以上が経過する江戸時代の様式の木造家屋「町屋」や、 大正時代に建てられた歴史的建造物が、約300軒点在していた。しかし、熊本地震で壊滅的な被害を受け、住民が守り続けながら、観光資源としても活用してきた城下町の景観は消滅の危機を迎えている。赤紙が貼られた町屋の修復には莫大な費用がかかるが、熊本城などのような公共施設ではないので公的な支援が無く、地震から1年が過ぎた現在も修復の見通しが立たない。それでも住民は、その風情ある佇まいを、“地域の大切な財産”と位置付け、地道な保存活動を続けている。しかし、現実の生活も限界に近づき、泣く泣く解体を選ぶ人も増えてきた。はたして城下町の灯は消えてしまうのか。
 見ていてつらかった。われわれは外野から「城下町の景観を守れ!」などと軽々しく言っているが、いかに無責任なことを言っているか思い知らされた。住民の皆さん、景観保護に無理な使命感など抱かず、どうか、まず自らの生活を守ることを最優先にお考えいただきたい。

 明治19年に建造され、明治22年の熊本大震災も経て来た建物で、熊本市景観形成建造物に指定されていた鍛冶屋町の森本襖表具材料店さんもとうとう解体された。

肥後の苔寺 ~泰勝寺跡~

2017-06-11 20:09:57 | 熊本
 父は明治44年、熊本県飽託郡黒髪村大字下立田(現在の熊本市中央区黒髪4丁目)に生まれた。そこは立田山の麓、旧藩主細川家代々の菩提寺である泰勝寺のすぐ南側に隣接した地だった。当時は人家もまばらな寂しい山里だったが、四季を通じて美しい自然に囲まれていたと父が書き残している。この泰勝寺を管理していた長岡家に幼い頃から伺候していた父にとって、泰勝寺は遊び場であり、勉強の場でもあった。父は7歳になるまでこの地で暮らした。
 僕が父に連れられてこの地を初めて訪れたのは昭和26年、5歳の頃だったと思う。父が幼時を過した時分とは随分様子も変わっていたに違いないが、それでも今日とは全く異なる景色が広がっていたことはハッキリと覚えている。
 かつて泰勝寺は「肥後の苔寺」と呼ばれたほど、苔庭の美しい寺だったという。現在も立田自然公園となった一画に苔庭が残っているが、おそらく規模も美しさも往時とは比べものにならないだろう。僕が5歳の時に見た父の生家跡も鬱蒼とした木立と美しい苔庭があったと記憶している。数年前、京都市右京区にある祇王寺の苔庭の写真を見て、僕の記憶に残る父の生家跡とそっくりで驚いたことを思い出す。


泰勝寺跡(細川家立田別邸)山門


父が毎日通った境内への虎口


苔庭

ちょっと気になるニュース

2017-06-10 23:36:15 | イベント
◆熊本市の中西さん、「近江八幡の歴史」を刊行
 熊本市在住の中西竜男さんは、故郷の滋賀県近江八幡市の歴史をまとめ、このほど刊行したそうです。近江八幡は僕にとっても懐かしい町。ぜひ拝見したいと思います。熊本市の男女共同参画センターはあもにい(中央区黒髪)に寄贈されていて、だれでも閲覧できるということです。


近江八幡の水郷


◆「俳句フォト夏目漱石の旅」の作品募集
 夏目漱石生誕150年・「草枕」の旅120年記念事業の一つとして、標記の作品募集が行われています。
 春の旅の部は終わりましたが、夏の旅の部、秋の旅の部、冬の旅の部がまだ残っています。
 漱石ゆかりの地を詠んで、写真を添えて、電子メールで応募しましょう。
 ※詳細は下記募集サイトへ
  http://www.kusamakura.jp/web/kouryukan/haiku-photo.html


石畳の道

熊本城本丸御殿 思い出の宴(3)

2017-06-09 10:16:41 | 音楽芸能
 2012年5月26日、この夜は「春の宴」の千秋楽。立方・地方とも気合が入り、それに呼応するように客席の雰囲気もいつにも増して盛り上がった。
 この年の「春の宴」は、「響と舞」と題して、4月13日から5月26日までの7週にわたり、毎週末、中村花誠さん率いる花と誠の会による新しい和楽芸が繰り広げられた。
 ちょうどこの頃、ザ・わらべの三人は高1と中3。第一期のザ・わらべが完成しつつあった時期だったのではないかと思う。この夜の出色の演目は「伊勢音頭」と「品川甚句」という、いずれも江戸時代から歌い継がれる俗謡。中村花誠さんが現代的な感覚で振り付け、それに、本條秀美とその社中、藤本喜代則とその社中による唄と三味線、そして中村花誠と花と誠の会のお囃子が相俟って素晴らしい舞台が展開された。ザ・わらべの代表作にあげられるであろう名作舞踊が演じられたこの夜の宴は特に忘れられない。


振付:中村花誠
立方:ザ・わらべ(くるみ・あやの・かえ)
地方:[唄]本條秀美 [三味線]本條秀美社中 [囃子]中村花誠と花と誠の会



振付:中村花誠
立方:ザ・わらべ(くるみ・あやの)
地方:[唄]藤本喜代則 [三味線]藤本喜代則社中 [囃子]中村花誠と花と誠の会

熊本城本丸御殿 思い出の宴(2)

2017-06-08 11:27:29 | 音楽芸能
 2014年10月11日、この日は「秋のくまもとお城まつり」の目玉行事の一つ「熊本城薪能」が熊本城二の丸広場特設ステージで行われる予定だった。ところが折悪しく台風が接近中。僕が二の丸広場に着いた時、既に特設ステージは撤去作業中。薪能は急遽、本丸御殿に会場を移して行うという案内があった。本丸御殿は入場者数が限られるので整理券をもらって本丸御殿へ。本丸御殿入口前に整列して待った後、整理券番号順に中へ誘導される。大広間はあっという間に満杯状態。急遽の会場変更で、設営などに少々不手際はあったものの無事開演。この日の番組は、舞囃子「高砂」、狂言「入間川」、能「枕慈童」。特に注目は喜多流初の女性能楽師・大島衣恵さんがシテを務める「枕慈童」。窮屈で見づらかったが、それなりに見ごたえのある演能だった。この日は撮影NGだったので映像記録が残っていないのが残念でならない。
 昨年他界されたシテ方喜多流能楽師で、熊本の能楽をけん引して来られた狩野琇鵬さんが舞囃子「高砂」を舞われたが、僕にとっては琇鵬さんの最後の舞姿となってしまった。
 下の写真は2010年10月に本丸御殿で仕舞を披露される狩野琇鵬さん。山口りえこさんにお借りした写真です。


漱石が大江村にいたころ

2017-06-07 21:05:57 | 
 夏目漱石の熊本五番目の旧居である内坪井旧居(漱石記念館)がいまだ地震被害からの修復のメドが立たず、閉館が続く中、水前寺成趣園東隣に移築されている三番目の旧居である大江旧居は健在で公開が行われている。この大江旧居があったのは現在の熊本市中央区新屋敷1丁目で、白川小学校の東側である。当時はここら辺は大江村の一角で、漱石がここに住んだのは明治30年9月から31年4月までのわずか8か月に過ぎないが、30年暮れの小天旅行が「草枕」の題材となった。
 実はこの頃、期間は正確には不明だが、わが祖母方の曽祖父が大江村の村長をやっていたらしい。その頃が、祖母の実家の一番羽振りが良かった時期で、屋敷では度々盛大な宴会が行われていたという。後年、水道町一帯の持ち家十数軒が大火で烏有に帰してしまい、徐々に傾いていくのだが。
 それはさておき、漱石が大江村にいた時期と曽祖父が大江村村長だった時期が重なるとすれば、ひょっとしたら、曽祖父は漱石と面識があったのかもしれない。


夏目漱石第三旧居(大江旧居)

熊本城本丸御殿 思い出の宴(1)

2017-06-06 20:09:42 | 音楽芸能
 熊本城観光の目玉だった本丸御殿。熊本地震で甚大な損傷を被り、昨年10月、メディアに内部の被災状況が公開されたものの、まだ修復方法もアナウンスされていない。本丸御殿が復元された2008年当時の姿に戻るのは随分先のことになるだろう。
 本丸御殿大広間すなわち御殿南側の、桐の間、桜の間、梅の間をぶち抜き、若松の間の障壁画を鏡板に見立てた大広間で、イベントが行なわれるようになったのは2009年のこと。これまで伝統芸能を中心に、実に様々な芸能が演じられた。僕が生きているうちに再び見ることは出来ないかもしれない。これまで見た中で、特に思い出深い回をいくつか振り返ってみたい。


手前から梅の間、桜の間、桐の間そして最奥部に見えるのが若松の間の障壁画

 2011年11月25日の夜、行われた「秋夜の宴」。この夜はザ・わらべの最終出演日ということもあって大広間はわらべファンが大勢詰めかけ、前月に続き、大阪のわらべファン志場さんが再び日帰りでやって来られたりで大いに盛り上がった。

振付:中村花誠
立方:ザ・わらべ
地方:藤本喜代則社中/中村花誠と花と誠の会

孫娘の陸上競技大会

2017-06-05 21:13:05 | ファミリー
 久留米市内の中学校で陸上部に入っている孫娘みわが出場する大会があるというので、今日は朝から久留米総合スポーツセンター陸上競技場へ。「久留米市中学校夏季陸上競技大会」というのが正式名称。みわのエントリー種目は100走と80㍍障害、それと4×100㍍リレーのメンバー。いずれも決勝に残り、みわは結局6本走った。中学校に入学してから陸上部に入ったと聞いて、はたして練習についていけるのだろうかと心配になったものだが、今日初めて競技会で走るみわを見てそんな心配が杞憂だったことがわかりホッとした。幼い頃から習っていたバレエの効果なのだろうか、ハードリングが意外と上手いのには驚いた。


3レーンがみわ

最近のテレビから

2017-06-04 20:33:13 | テレビ
◆NHKスペシャル「祇園 女たちの物語」
 これまで祇園を題材にしたドキュメンタリー番組は何本も見たが、お茶屋の女将にスポットを当てた番組は初めて見た。江戸時代から200年間続く老舗のお茶屋「富美代」の暖簾を守ってきた8代目の女将・太田紀美さん77歳。多忙を極める紀美さんの体力的な限界も近い。後を継がせたい娘・直美さんは、紀美さんから見ればまだスキルも心構えも心もとない。ある日、とうとう紀美さんは持病が悪化して手術を受けざるを得なくなる。さて、女系で連綿と受け継がれてきた老舗の運命は・・・。

◆ブラタモリ「倉敷」編
 これまで僕は2回倉敷に行ったことがあるが、一度は三菱自動車水島製作所、もう一度は倉紡記念館と、いずれも仕事の旅。多くの観光客が訪れる美観地区をじっくりと見たことはない。なぜ紡績工業が盛んになったのか、なぜ歴史的景観が多く残ったのか等、初めて知ることばかりで、ほとんど行ったことがない街に等しかった。
 タモリの推測力は相変わらず絶好調。もともと有している地形地質の知識に加えて、全国各地のブラタモリ経験によって蓄積された知識が相俟って、案内人たちもお手上げ状態のようだ。

シン・ゴジラ と まれびと

2017-06-02 22:06:44 | 音楽芸能
 先日、フジテレビのトーク番組「トーキングフルーツ」に狂言の野村萬斎が登場し、MCの古舘伊知郎とトークを展開した。話題は映画「シン・ゴジラ」へ。実は「シン・ゴジラ」の動きは萬斎の動きをモーション・キャプチャーを駆使してデジタルデータ化したものがベースとなっているそうだ。古舘はその動きに込められた深奥な意味を問う。だが、萬斎はその動きよりも、「シン・ゴジラ」の存在そのものが「まれびと」と考えられると答える。「まれびと」とは、折口信夫が「翁の発生」等において使った用語。古来、日本には「まれびと信仰」が存在するとし、異界から来訪する霊的存在のことをいう。この霊的存在を、老人すなわち翁が擬して「神のもどき」の存在となる。能楽の世界で最高の存在である「翁」は、まさにそれを演劇化したものである。萬斎はこうした「神さび」が怪物の姿となって現れたとも解釈できると言いたかったのだろうが、古舘の理解がそこまで深くないことを察してか、それ以上説明することはしなかった。


「翁」で狂言方の役割となっている「三番叟」を演じる野村萬斎


「翁」の白色尉の舞(観世能楽堂開場記念公演より、シテ:観世清和)