徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

玉名女子高校吹奏楽部 @ グレンミラー・フェスティバル

2018-06-12 23:06:25 | 日本文化


 玉名女子高校吹奏楽部は、熊本県玉名市から、第43回グレンミラー・フェスティバルに参加するため、6月6日にやって来ました。この数々の賞に輝く女子高校吹奏楽部は、これまでもグレンミラー・フェスティバルでいつも喝采を博しています。 このコンサートは、6月8日、グレン・ミラー生誕の地であるアイオワ州クラリンダのクラリンダ高校の体育館で開催されました。彼女たちの熱意と陽気な人柄、そして仲間とリーダーとの真剣なやりとりにひき込まれることでしょう。 もし、この吹奏楽団の演奏を一度も聞いたことがないなら、あなたはきっと彼女たちのトリコになること間違いありません!大いに楽しんでください!(下のYouTubeの映像の紹介文を和訳したものです)


妙解寺跡(北岡自然公園)の今

2018-06-11 21:43:52 | 熊本
 妙解寺跡(北岡自然公園:熊本市中央区横手2-5-1)が今どうなっているか気になって行ってみた。熊本地震後はもちろん、もう5年ほど行っていない。ちょうど復旧工事に携わっている人と出会ったので聞いてみたら、来年いっぱい復旧工事が続く予定であるが、それで終わるかどうかはわからないとのこと。公園入口に続く、かつて前を流れていた井芹川を渡る美しい石橋も崩壊した石が積まれたまま。早い復旧が待たれる。
 妙解寺は細川家の初代熊本藩主・忠利公が没した時に建立された。熊本城の天守から見ると南西の方向(裏鬼門)を守る位置にあり、反対側の北東(鬼門)を守る泰勝寺とともに細川家累代が祀られている。


崩壊した石橋


▼熊本地震の前


公園入口へ続く美しい石橋


細川忠利公夫妻と光尚公の霊廟、左奥には綱利公や重賢公などの御廟がある

早乙女の舞うや…

2018-06-10 15:55:25 | 熊本
早乙女の 舞うや神田に 三番叟

 今日は横手4丁目の熊本城稲荷神社神田地において御田植祭が行われた。毎年、早乙女を務める舞踊団花童は、神職の祝詞奏上に続いて舞踊「風流三番叟」を奉納、その後、御田植の儀で早乙女を務めた。













能に拍手は必要???

2018-06-08 18:20:18 | 音楽芸能
 能を観る度にとまどうのが終りの拍手だ。緞帳が下りるわけでもなく歌舞伎のように定式幕が閉まるわけでもないので、拍手のタイミングがわからない。そもそも拍手をしていいものかどうかもわからない。能楽通に言わせれば、もともと神事として始まった能に拍手はいらない、祝詞を奏上した神主さんに拍手をするようなもんだという。だが、能を観る観客のほとんどは他の舞台芸術と同様な見方をしているので、出演者をねぎらいたいし、また感動を表す意味でも拍手したいという気持もある。だから、いつもモヤモヤっとした感じで終わるのである。おそらくこれからも観る度にこのモヤモヤは続くのだろう。
 随筆家で自らも女流能楽師の先駆けとなった白洲正子は、50歳を過ぎてから10数年能から遠ざかっていたが、70歳近くになって、喜多流の友枝喜久夫の能に出逢い、惚れ込んで友枝の追っかけを始める。その白洲が友枝の能について語った随筆「老木の花」には、白洲と友枝の対談録が掲載されているが、その中に次のようなやりとりがある。

白洲:私はお能の後の、あの拍手というのが嫌いなんですけどどうにかなりませんか。
友枝:私も好きじゃないですね。特に曲によってはいけませんね。
白洲:せっかくいいお能を見て、余韻が残っているのに拍手をされるとブチ壊しですよ。
   大体、拍手はアンコールで、もう一度出て来いってするものでしょ。
友枝:そうらしいですね。
白洲:もう一度出て来るはずのないものに、アンコールってどういうことでしょう(笑)。
友枝:せめてシテが幕に入るまでは我慢していただかないと……。

【備考】
 友枝喜久夫:昭和期に活躍した喜多流の能役者。特に三番目物を中心としてすぐれた境地を見せ、「最後の名人」の名をほしいままにした。 熊本藩お抱えの能役者の家に生まれる。済々黌卒業。父友枝為城及び喜多流十四世宗家喜多六平太に師事。長男が人間国宝・友枝昭世


熊本地震義捐能(2018.3.31 水前寺成趣園能楽殿)「羽衣」

「埴(はに)」にまつわるはなし。

2018-06-06 14:20:40 | 日本文化
 先週放送されたNHKのバラエティー番組「日本人のおなまえっ!」では、フィギュアスケートの羽生結弦(はにゅうゆずる)と将棋の羽生善治(はぶよしはる)の二人の姓「羽生」について追究していた。ルーツの異なる二人の姓に使われている「羽」の文字がいずれも、もともと「埴」であったという興味深い事実が明らかにされた。
 実は5年ほど前、僕はこの「埴」について調べていた。その時、このブログにアップした記事を再掲してみたい。



 玉名は母と妻の生まれた地でもあり、僕にとっても10年ほどを過ごしたほとんど故郷と言っていい。その玉名に関してずっと前から気になっていたことがある。それは「繁根木(はねぎ)」という地名の由来だ。繁根木は昔は繁根木村といって、今の玉名市のほぼ中央部、現在、市役所も置かれているところである。繁根木と名のつくものでよく知られているのは、繁根木八幡宮、繁根木川、繁根木古墳などがある。昨年、玉名市の歴史博物館「こころピア」にも聞いてみたのだがよくわからないという。そんならというわけで自分で古文書などを調べ始めた。
 最初の手がかりとしたのは同じ地名が他にあるのかどうか。まず、東京都世田谷区に羽根木という地区があることがわかった。羽根木神社という神社もあるという。その地区では「羽根木」という名前の由来は次のように伝えられているそうだ。羽根木の「羽根」は埴(ハニ)が訛ったもの。埴輪(はにわ)の「埴」。埴とは質の緻密な黄赤の粘土のことを言い、昔はこれで瓦・陶器をつくり、また衣に摺り付けて模様をあらわしたという。そして「羽根木」は「埴黄(ハニギ)」から変化したものと言われているそうだ。「繁根木」と「羽根木」はおそらくもとを辿れば同じ語源だろうと睨んだ。案の定、「肥後國誌」の中には玉名の「繁根木」を「羽根木」と表記したものも散見される。
 その後、まさに灯台下暗しで、熊本でも近い所に同名の「羽根木」という地区があることに気付いた。なんと菊池市七城町にあった。しかも僕は一昨年そこに行っていたのだ。そこは西郷隆盛の祖先の発祥の地として知られる旧西郷村、その西郷のすぐ隣りだったのである。ここでは「羽根木」の由来について、「刎木説」(下記参照)と世田谷と同じ「埴黄説」の二つがあり、結論は出ていないという。
 さらにもう一つ、古文書の中に気になる言葉を発見した。それは「埴木(ハニキ)」。これは櫨(ハゼノキ)のことで、江戸中期に熊本藩主細川公が殖産のため菊池川の堤防沿いなどに盛んに櫨を植樹する以前から、九州各地には原生の櫨が多く、「埴木(ハニキ)」とも呼ばれていたという。
 そこで各説をあらためて整理してみると
1.刎木(ハネキ)説…川などの水量調節をする木製の治水の仕掛けのこと。
2.埴黄(ハニギ)説…質の緻密な黄赤の粘土のこと。
3.埴木(ハニキ)説…黄色の木、すなわち櫨(ハゼノキ)のこと。


繁根木川(はねぎがわ)
 繁根木川の河口に近い高瀬の辺りは西南戦争時、乃木希典隊と桐野利秋隊が川をはさんで激突した激戦地。この戦いで西郷隆盛の末弟・小兵衛が戦死した。

逸材の片鱗!?

2018-06-05 15:24:24 | スポーツ一般
 今年は県高校総体の陸上を見に行かなかったが、熊本陸上競技協会のリザルトはしっかりチェックしている。そのなかで「おや!」と注目したのは女子七種競技の熊本西高の門池愛選手。県高校記録に肉薄する好記録で優勝していた。早速、今朝の熊日新聞で紹介されていた。彼女の名前は中学時代から知っていた。わが家の近くの京陵中学の出身で、全国レベルの大会に出場した時、道路に面したテニスコートのフェンスに名前の入った横断幕が掲示されていたからだ。昨年の高校総体は見に行ったので、専門種目の走幅跳の時は砂場の真横のスタンドからじっくりと観戦した。たしか2位だったと思うが、体幹のしっかりしたポテンシャルを感じさせる選手だなぁという印象が残っている。この後の南九州高校総体、全国高校総体、そして秋の国体と高校最後のシーズンに「熊本に門池あり!」と全国に認められるような活躍を期待している。


2017年熊本県高校総体・走幅跳の時の門池愛選手(当時熊本西高2年) 


第24回くまもと全国邦楽コンクール ~結果~

2018-06-04 09:04:16 | 音楽芸能


≪コメント≫
 今年は上田涼花さん(筝)かなぁ、などと漠然と思っていた。確たるものがあったわけではない。「にっぽんの芸能(Eテレ)」などで見ていたしね。でも、最優秀賞の大萩康喜さん(尺八)はじめ、入賞者はほとんど再挑戦、再々挑戦の方たち。やっぱり初挑戦には厳しいのだろうか。

熊本県高校総体 ~新体操~

2018-06-03 15:56:03 | スポーツ一般
 毎年、高校総体の陸上を見に行っていたのだが、今年は短距離陣に期待の持てる選手がいそうもないし、県民運動公園まで行くのも億劫なのでやめて、昨日はわが家から一番近い県立体育館へ新体操を見に行った。新体操を見るのは6年ぶりくらいか。行ってみるとちょうど女子の個人の部をやっていた。テンションの低い男声のアナウンスは、選手がひとりづつ登場する毎に名前と種目名(ボールとかフープとか)しか言わないので学校もわからない。知っている選手もいないので、ただただ順番に演技を見続けた。その中にひと際小さな選手が登場した。一瞬「エッ!小学生?」と思ったほどだ。しかし誰よりも堂々としているし、ボールの演技を始めたとたん、その流れるようなしなやかで正確な演技にひき込まれた。後で知ったのだが、信愛女学院の1年生で有村文里さんという選手だった。結局、彼女が個人総合で優勝したが、優れた選手というのは、僕のような新体操ドシロウトでも見てわかるものなんだなぁと感心した。


辰次さんのカフェ グランドオープン!

2018-06-02 22:38:34 | ニュース
 熊本県御船町出身の幇間(ほうかん)辰次こと橋嶋直人さんが経営する、岐阜県美濃加茂市の旧伊深村役場庁舎(国登録有形文化財)を改修して開設されるカフェが、6月1日グランドオープンしました。中日新聞は次のように伝えています。

▼気軽に集えるカフェに 美濃加茂・旧伊深村役場改装(中日新聞プラス)
 美濃加茂市伊深町の国登録有形文化財「旧伊深村役場庁舎」で25日、6月1日のリニューアルオープンを前に、記念イベントが始まった。27日まで、カフェのプレ営業をはじめ、舞と邦楽の上演やマルシェなどが開かれる。
 旧庁舎は、市が昨年度に改修して1936(昭和11)年の創建当時の外観を復元。内装は、早稲田大創造理工学部の古谷誠章教授と学生らが住民ワークショップを開いてデザイン、監修した。岐阜市の鳳川(ほうせん)伎連の幇間(ほうかん)、鳳川辰次(たつじ)(本名・橋嶋直人)さん(24)が市の委託を受けてカフェ「茶霞(さか)オキャレ」を運営し、抹茶やかき氷などを提供する。
 この日は玄関前で記念式典があり、関係者や地域住民ら約50人が集まった。伊藤誠一市長は「地域の新しい動きの重要な拠点となる。世界に向けて歴史や文化を発信したい」とあいさつ。地元の正眼寺の山川宗玄老師が書いた旧庁舎の看板をお披露目し、復元された門柱に掲げた。
 その後に施設内で、辰次さんらが祝儀の曲「雛鶴三番叟(ひなづるさんばそう)」や舞を披露。来場者に抹茶も振る舞い、辰次さんは「子どもたちにも気軽に来てもらえるように地域の人に溶け込み、まちづくりに貢献していきたい」と意気込んだ。
 26日は午前10時〜午後9時、27日は午前10時〜午後4時に開館。両日とも地元の伊深まちづくり協議会が野菜や手作り雑貨を販売するマルシェを開き、早大の学生らが施設改修の見どころを随時案内する。26日は地元の伊深小学校が作った絵本「えげんさん」の増刷販売、27日は日本茶のおいしい入れ方講座などもある。
 6月1日からのカフェの営業時間は午前11時〜午後5時で、木・金曜日は午後6時〜8時半にも開く予定。水曜休み。

長谷検校記念 ~第24回くまもと全国邦楽コンクール~

2018-06-01 15:24:22 | 音楽芸能
 熊本市鍛冶屋町に生まれ、九州系地歌を全国に普及させた地歌三弦の名手・長谷幸輝(ながたにゆきてる)を記念して平成5年から始まったこのコンクールは、今年、第24回を迎えます。今や若手邦楽演奏家の登竜門となっている極めてレベルの高いコンクールです。
 僕がこのコンクール本選を見るのは今回で8回目。当初、僕が抱いていた地歌の大会のイメージとは大きく異なり、極めて現代的な音楽の世界が繰り広げられます。気鋭の若手邦楽家たちが次々と披露する器楽演奏のテクニックも素晴らしいのですが、心に染み入るような謡いものなどにも、もっとチャレンジしていただければと思っています。


くまもと全国邦楽コンクール 新鋭展(2015.2.22 くまもと森都心プラザ)


日 時:6月3日(日)
      10:00~12:00  コンクール本選
      12:50~    第4回 くまもと子ども邦楽祭
      14:10~    結果発表・表彰式、コンクール受賞者演奏

会 場:熊本市民会館大ホール ※入場無料




小峰墓地にある長谷幸輝の墓(熊本市黒髪)