京の走り坊さん/文・東義久 画・無㠯虚几/赤平覚三/1995年
京のふるいお寺で修行中のお坊さん。お寺ではたいへん重宝がられていました。たくさんの檀家に、ありがたいお札や、和尚さんのことづけをくばっていたからでした。
京の端から端まで、雨の日も雪の日も一年中、一日200軒以上の檀家を、タッタッタッタ タッタッタッタ。
その姿から、だれがということもなく走り坊さんとよばれ、ほとけさまの生まれかわりやと いう人もいました。
走り坊さんの楽しみは、一日走ったあとの、いっぱいのお酒。
ある日、殿さま同士の自慢話のため、尾張の国のはやあしと、はやあし比べをすることになりますが、走り坊さんは、褒美にも目もくれず、尾張のはやあしをふりきって、そのまま都にもどります。
うわさはうわさをよんで、走り坊さんを、ひとめみようと見物人が都にあふれ、おかげで走り坊さんは夜におふだをくばることに。
ある夏の日、大きな台風がやってきて、川が氾濫して家が流されたり、山がくずれたり、それはそれはたいへん。薬もなく食べ物や飲み水もなく、病人もではじめます。
走り坊さんは寺の仕事のほかに、薬や食べ物を困っている人たちのもとへとどけはじめます。だれに遠慮することなく、おもいきり走れ回れるのが、うれしかったのです。献身的な姿に、京のひとたちは、走り坊さんを見かけると、自然と手を合わせるようになりました。
ある日、村のきたはずれの村に、薬をもっていったとき、地酒を振る舞われます。それでなくともお酒のすきな坊さん。すすめられまま。いつも以上にいただいたお坊さん 「一晩とまっていきなはれと」というのもふりきり、くらがりの道を、ほたるのあかりをたよりに、またタッタッタッタ タッタッタッタと、はしっていきましたが、それが、走り坊さんをみたさいごでした。
そして しばらくたったある日 村人が見つけたのはおおきな岩陰で、口にお札をくわえた赤いかおの鬼。死んでいました。
村人は 走り坊さんは、お釈迦さんの歯を盗んで逃げた鬼、韋駄天という足の速い神さまにおいかけられた鬼とうわさします。
つみぼろし、のため 走り坊さんになり ありがたいお札を配っていたのだという人もいました
墨絵風のやわらかい感じがする絵で、昔話と言ってもいいのでしょうが、実は、明治から大正にかけて、京の町を走り回っていた実在の人物がモデルになっているようです。
お釈迦さんの歯を盗んで逃げた鬼は、捷疾鬼というのですが、なぜ歯を盗んだのか、気になりました。