昨日は、忙しくウォーキングを休みました。
今日は、二俣川から緑園都市駅まで往復して歩きました。
途中聴いたのは、1885年生まれのエゴン・ヴェレスの交響曲。
CDの解説文によるとウィーン生まれの彼は、
1904年ウィーン大学に入学し、法律を学んでいたようだ。
それは家族の希望であったのだが、本人は1年後音楽に転向し、
グイド・アドラーに音楽学を学び、1904年から1905年の間には、
アーノルト・シェーンベルクにも個人的なレッスンを受けていたようである。
大学を出たあとは教育活動にも携わっていたが、
ユダヤ人であったため、ナチスがオーストリア併合の際にイギリスに移住した。
交響曲第1番作品62は1945年から1946年にかけて作曲されたようだ。
聴いたCDはゴットフリート・ラブル指揮、ウィーン放送交響楽団の演奏。
第一楽章ラルゴ-アダージョ-アレグロ・エネルジーコは、
低弦の音にヴァイオリンが呼応しながらゆったりと始まる。
それにオーボエやファゴットなど木管楽器群が絡んでいく序奏が続く。
主部に入り、金管楽器と木管楽器により力強く第一主題が奏される。
もう第二主題は弦楽器を中心に奏される叙情的な旋律である。
そして展開部に入り、第一主題がフーガ風に扱われていく。
このあたりは彼が若い時期に研究していたジュゼッペ・ボンノという
バロック作曲家の影響があるのか分からないが、バロック風である。
最後は金管楽器と打楽器を中心に盛り上がって力強く終わる。
第二楽章アレグロ・アジタート・クワジ・プレストは、不安定な感じであり、
せわしなく木管楽器と弦楽器で旋律が奏されていき、緊張感がある。
もう一つのおだやかな感じの旋律は対照的な感じである。
オスティナート風に繰り返される弦楽器の動きは印象的である。
中間部は対照的な感じの軽快な旋律であり、管楽器が活躍する。
再び冒頭の部分が繰り返され、オスティナート風に弦楽器が音型を繰り返し、
なかなか聴き応えのある音楽で、もう一つのおだやかな感じの旋律も繰り返され、
最後は管弦楽全体で盛り上がって力強く終わる。
第三楽章モルト・アダージョ・ソステヌートは、
弦楽器中心に重々しい感じで始まり、悲痛な感じでもある。
フルートに続き、ファゴットやオーボエなど木管楽器が絡み合い、
そのあと弦楽器が引き継ぎ、やがて金管楽器がコラール風の旋律を奏でる。
そして弦楽器中心に叙情的な旋律が奏でられ、金管楽器も加わり盛り上がる。
そのあと木管楽器中心に奏される部分を経て、
再びコラール風の旋律が金管楽器により奏される。
フルートやクラリネットなど木管楽器と弦楽器、
そして金管楽器がそれぞれ絡み合いながら、最後はおだやかに終わる。
この終わり方は、何となくマーラーの「大地の歌」のようでもある。
それにしても交響曲第1番作品62は、ロマン派的な部分があり聴きやすい。
カップリングされている交響曲第8番作品110と比較してみるといいが、
この変化は時代の流れとしてはそうなんだろうが、残念な感じもする。
今日は、二俣川から緑園都市駅まで往復して歩きました。
途中聴いたのは、1885年生まれのエゴン・ヴェレスの交響曲。
CDの解説文によるとウィーン生まれの彼は、
1904年ウィーン大学に入学し、法律を学んでいたようだ。
それは家族の希望であったのだが、本人は1年後音楽に転向し、
グイド・アドラーに音楽学を学び、1904年から1905年の間には、
アーノルト・シェーンベルクにも個人的なレッスンを受けていたようである。
大学を出たあとは教育活動にも携わっていたが、
ユダヤ人であったため、ナチスがオーストリア併合の際にイギリスに移住した。
交響曲第1番作品62は1945年から1946年にかけて作曲されたようだ。
聴いたCDはゴットフリート・ラブル指揮、ウィーン放送交響楽団の演奏。
第一楽章ラルゴ-アダージョ-アレグロ・エネルジーコは、
低弦の音にヴァイオリンが呼応しながらゆったりと始まる。
それにオーボエやファゴットなど木管楽器群が絡んでいく序奏が続く。
主部に入り、金管楽器と木管楽器により力強く第一主題が奏される。
もう第二主題は弦楽器を中心に奏される叙情的な旋律である。
そして展開部に入り、第一主題がフーガ風に扱われていく。
このあたりは彼が若い時期に研究していたジュゼッペ・ボンノという
バロック作曲家の影響があるのか分からないが、バロック風である。
最後は金管楽器と打楽器を中心に盛り上がって力強く終わる。
第二楽章アレグロ・アジタート・クワジ・プレストは、不安定な感じであり、
せわしなく木管楽器と弦楽器で旋律が奏されていき、緊張感がある。
もう一つのおだやかな感じの旋律は対照的な感じである。
オスティナート風に繰り返される弦楽器の動きは印象的である。
中間部は対照的な感じの軽快な旋律であり、管楽器が活躍する。
再び冒頭の部分が繰り返され、オスティナート風に弦楽器が音型を繰り返し、
なかなか聴き応えのある音楽で、もう一つのおだやかな感じの旋律も繰り返され、
最後は管弦楽全体で盛り上がって力強く終わる。
第三楽章モルト・アダージョ・ソステヌートは、
弦楽器中心に重々しい感じで始まり、悲痛な感じでもある。
フルートに続き、ファゴットやオーボエなど木管楽器が絡み合い、
そのあと弦楽器が引き継ぎ、やがて金管楽器がコラール風の旋律を奏でる。
そして弦楽器中心に叙情的な旋律が奏でられ、金管楽器も加わり盛り上がる。
そのあと木管楽器中心に奏される部分を経て、
再びコラール風の旋律が金管楽器により奏される。
フルートやクラリネットなど木管楽器と弦楽器、
そして金管楽器がそれぞれ絡み合いながら、最後はおだやかに終わる。
この終わり方は、何となくマーラーの「大地の歌」のようでもある。
それにしても交響曲第1番作品62は、ロマン派的な部分があり聴きやすい。
カップリングされている交響曲第8番作品110と比較してみるといいが、
この変化は時代の流れとしてはそうなんだろうが、残念な感じもする。