Mars&Jupiter

おおくぼっちの屋根裏部屋へようこそ!

グレツキの「主を信ずる者は幸いなり」を聴きながら二俣川から鶴ヶ峰まで歩く

2008-02-24 09:35:58 | 古典~現代音楽ポーランド編
昨日は二俣川から鶴ヶ峰駅まで歩く。
一日強風のため歩きにくく思われたので、
比較的風が弱まった夕方に歩きました。
途中聴いたのはグレツキの「主を信ずる者は幸いなり」。
1933年ポーランド生まれのグレツキが、
「主を信ずる者は幸いなり」は、バリトンと、
合唱団と管弦楽のための作品で、1979年に初演された。
ラテン語による詩篇から選ばれた歌詞が歌われる。

それにしても不思議な曲である。
単純な和音の繰り返しが、30分以上続くのだが、
それが癒しの音楽のように聴こえ、
不思議に優しく、穏やかな響きをもっている。
冒頭は単純な旋律を全合奏で、
管弦楽は3分半近く繰り返すだけである。
合唱はそれにあわせ「主よ(Domine)」を歌う。
CDの解説によるとこの曲の特徴的なところは、
鐘の音と鉄琴の音が単純な和音の繰り返しの中で、
聴こえてくるということだろう。
全合奏が終わると音楽は静かになり、
また単純な和音の繰り返しの中、
詩篇第142篇の神への祈りのような歌が、
バリトン独唱により15分近くまで続き、
徐々に音楽は厚みを増し、感動的な音楽になり、
クライマックスを築き上げていく。

それが、終わると音楽は静まり、
今度は詩篇第30篇を歌う。
「主よ、あなたは私の神であり、
私の運命はあなたの御手の中に」
というような意味の歌である。
その後も詩篇のいつくかの部分が歌われる。
しかし、最後までは新たな盛り上がりはなく、
静かに曲は閉じていくのである。
グレツキらしい感動的な曲なのである。

なお、前までにとりあげたの声楽曲・合唱曲中南米編、
その他の地域編、日本編に関するCD等の情報は、
私のHPの以下のアドレスに載せてあります。
http://www1.ocn.ne.jp/~bocchi07/vocal-music-cd-shoukai.html

を参考にしていただければ幸いです。
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ヤナーチェクの「グラゴル・ミサ」を聴きながら横浜から和田町まで歩く

2008-02-23 13:46:02 | 古典~現代音楽チェコ編
昨日は横浜から和田町まで歩く。
途中聴いたのはヤナーチェクの「グラゴル・ミサ」。
今回からは東ヨーロッパ編に入る。
1926年に作曲された「グラゴル・ミサ」は、
ソプラノ、アルト、テノール、バスの独唱と
混声合唱、管弦楽とオルガンのための作品で、
序奏は管弦楽とオルガンのみによる音楽だが、
そのスケールの大きさを感じさせる曲に魅せられ、
色々な演奏家のCDをつい買ってしまう。
昨日聴いたのはルドルフ・ケンペ指揮
ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団による盤。

歌詞は、ミサで使われるラテン語の通常文を
古代スラヴ語に訳したものを使っている。
9世紀頃にあった大モラヴィア王国において
布教活動を行った兄弟の宣教師、
キリールとメトディウスが考案した文字を
「グラゴル」というところからとっている。
そのことを知らないで曲を聴くと、
ミサの通常文によるものとは思わないだろう。
スラヴ主義的な部分が強く出ているのは、
音楽だけではなく、歌詞にも関係している。

その曲の中で、印象的なのは、
第4曲の「信仰告白」ではないだろうか。
全曲の中で特に長いこの曲に、
スラヴ的な部分、そして美しさと荒々しさ、
ヤナーチェクらしい独創的な音楽の世界がある。
こんな音楽は他の作曲家にはできないだろう。
それほど強烈な個性を持った作品である。
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山田耕作の「この道」「からたちの花」「ペチカ」などを聴きながら和田町から横浜まで歩く

2008-02-22 08:28:44 | 古典~現代音楽日本編
昨日は和田町駅から横浜まで歩く。
途中聴いたのは山田耕作の「この道」など日本の歌曲集。
多くの歌曲は懐かしく、ほっとさせるものばかりだ。
ベストアルバムの作曲家陣をみると、
山田耕作、滝廉太郎、中田喜直、中山晋平、
そして團伊玖磨と、有名な人物が続く。
それに、作詞家とみると、北原白秋、島崎藤村、
野口雨情、石川啄木、サトウハチロウ、土井晩翠、
それから竹下夢二と有名な人物ばかりがいる。

日本のこれらの歌曲を聴くと、
歌詞そのものは、ある情景を描写しつつ、
その中に情感が込められている感じがする。
曲はそのしみじみとした感じを出すため、
伴奏はあくまでも歌の部分を損なわないよう、
ピアノの技巧的な部分を出すことなく、
和声的な調和を保つのみの伴奏に徹していると思う。
逆に言えば、歌詞を歌う歌手の歌い方に、
その曲が生きるか死ぬかのウェイトがかかり、
その歌詞の意味や描写しようとしているものを感じ、
どう歌うかに神経を配らないといけないだろうし、
それを過度に意識して歌っても、
いけない難しさがあると思う。

それにしても「ペチカ」や「雪の降る街を」を聴くと、
信濃の厳しい冬の季節を思い出してしまう。
どこまで降るんだろうと思うくらいに降り積もる雪、
寒くて帰ってくるとすぐストーヴの前で手をかざし、
暖まらないではいられない寒さ。
(もちろん、「ペチカ」はありません)
それを思い出すと、横浜って暖かいよなあ。
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裁判とハーバーフェルトトライベン、そして三善晃の「響紋」

2008-02-21 07:19:49 | 古典~現代音楽日本編
裁きというものは難しいものだ。
現代では裁判というものにより、
犯罪人が裁かれるのだが、
それが犯罪人にとって本当に裁いたことになるのか?
ハーバーフェルトトライベンの場合には、
地域の住民が制裁する対象を裁くという形式になっているが、
(とはいえ、ある意味では間接的であるのだが)
現代は被告人とは関係のない第三者が裁くことになっている。
それが本人にとってどれだけ精神的に裁かれている感覚を
持たせることになっているかどうかは難しい。
現代の裁判システムの限界ではあるが、
陪審員制度になってそれが解決するものともいえない。
中世から近代にかけて、裁判制度に関しても
大きな変化があったことは確かである。

さて、昨日は二俣川から鶴ヶ峰駅まで歩く。
昨日聴いたのは三善晃の作品で、
「オーケストラと童声合唱のための〈響紋〉」。
1984年に作曲されたこの作品は、
児童合唱団がかごめかごめの唄を歌い続け、
中間部から出てくる骨という言葉が、
とても印象的ではあるし、気になる。

三善自身の解説からうかがえるのは、
戦争の影と記憶と忘却である。
かごめかごめの唄は幻のようにも見え、
生きるものと死者とをつなぐもののように
見えたりもするので、効果的である。
人間は記憶する動物であるとともに
忘却する動物でもある。
「響紋」という作品にあるメッセージは、
見えたもの、見えなくなってしまうもの、
聞こえたもの、聞こえなくなってしまうもの、
知っているもの、忘れてしまったものの、
境界のようなものを感じさせる部分に
何かを感じてほしいということにあるかもしれない。
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團伊玖磨の歌劇「ひかりごけ」の第2幕を聴きながら横浜から星川まで歩く

2008-02-20 08:07:02 | 古典~現代音楽日本編
昨日は横浜から星川駅まで歩く。
さすがにその前の日が歩きすぎたので、
無理のない短い距離にしました。

昨日は團伊玖磨の歌劇「ひかりごけ」の第2幕を聴いた。
CDは神奈川フィルハーモニーの演奏でなかなかいい。
第2幕は法廷の場で、船長が裁かれる場面である。
被告として裁かれる船長は、発言を求められるが、
なかなか、発言しようとしない。
何とか発言させようとしても出てくる言葉は、
「私は我慢しています」という言葉であり、
何を我慢しているのかを問い詰めると、
「裁判を我慢している」と船長は答える。

何で我慢しているのかを検事が聞き出そうとしても、
船長はなかなか答えようとしない。
しまいには、私にはあなたがたに裁かれても、
何も感じないといい、検事たちを怒らせる。
つまり、事件の当事者がいない中で、
誰も洞窟の中の状況を知らない人たちの中で、
裁かれても彼は裁かれているとは思えないのだ。
もちろん判決には従うというが、
当事者に裁かれない限り、意味がないと考える。
もちろん、事件の当事者たちは船長を残し、
亡くなっているのだから、
検事者たちには理解できない発言である。
だからこそ、彼は弁護を破棄する弁護士に対し、
自分を食べてほしいとまでいう。
彼は自分の首に自分がやったことの証拠として、
光の輪が見えるはずだと訴え続ける。
そして、その輪が見えるはずだから
「私を観てください」を叫ぶ中作品は終わるのである。

ところで、実際のモデルとなった船長は、
一生涯、この事件に対しての真実を
一言も語ることなく亡くなったらしい。
脚色された想像の世界である物語は、真実ではない。
真実は沈黙の中、別のところにある。
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