Mars&Jupiter

おおくぼっちの屋根裏部屋へようこそ!

エリック・サティの「馬の装具で」を聴く

2011-01-26 05:10:29 | 古典~現代音楽フランス編
昨日は、一日忙しく、ウォーキングを休みました。
昨日聴いたのは、1866年生まれのサティの作品。
「馬の装具で」は、1911年に作曲された。
4手のピアノのために作曲された作品を、
サティ自身が室内オーケストラ用に編曲したものである。
聴いたCDは、ミッシェル・プラッソン指揮、
トゥールーズ・カピトール国立管弦楽団の演奏によるものである。
第1曲「コラール」は、悲しみをたたえたコラールである。
弦楽器とトランペットが響き、そのコラールの旋律を繰り返し終わる。
第2曲「連禱風のフーガ」は、弦楽器のみで始まる。
素朴な宗教的な旋律をフーガ風に展開していき、
木管楽器と金管楽器がそれに絡んでいく。
第3曲「他のコラール」は、ゆったりとした旋律を低弦が奏して始まり、
木管楽器と他の弦楽器が加わり、展開する短い曲である。
第4曲「紙のフーガ」は、弦楽器が奏する主題を、
他の弦楽器が繰り返し、管楽器も加わり、フーガ風に展開していく。
最後はオーボエの音が響く中、あっけなく終わる。
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ジュール・マスネの組曲第7番「アルザスの風景」を聴きながら、鶴ヶ峰から二俣川まで歩く

2011-01-25 05:16:51 | 古典~現代音楽フランス編
昨日は、鶴ヶ峰から二俣川まで歩きました。
途中聴いたのは、1842年生まれのマスネの作品。
ロワール県モントーで生まれ、1848年パリに一家で移り住んだ。
そのあと、パリ国立高等音楽学校へ入学し、にちに教授となった。
オペラ作品で当時人気を得たが、合唱作品や管弦楽曲も残している。
組曲第7番「アルザスの風景」は、1881年に作曲された。
アルザスの民謡やコラールを用い、ある日曜日のようすを描いた作品である。
聴いたCDは、ジョン・エリオット・ガーディナー指揮、
モンテ・カルロ国立歌劇場管弦楽団の演奏によるものである。
第1曲「日曜の朝」は、木管楽器中心に軽快に始まる。
やがて弦楽器が入り、のどかな感じの素朴な旋律が奏でられる。
中間部では弦楽器中心に優しい牧歌風の旋律が奏でられ、
再び冒頭の旋律が現れ、最後はその牧歌的な感じの中で静かに終わる。

第2曲「酒場で」は、ティンパニが最初荒々しくリズムを叩き、
そのあと弦楽器は舞踏風の旋律やリズムを奏で、
打楽器と管楽器がそれに華やかさを加えていく。
その冒頭の部分が繰り返され、中間部ではホルンの吹奏と、
オーケストラとの掛け合いが続き、山岳的な部分をみせ、
そのあと冒頭の舞踏風の旋律が再び現れて、軽快に終わる。
第3曲「菩提樹の下で」は、弦楽器が流れるようなのどかな旋律を奏で、
チェロが歌うような旋律を奏で、クラリネットがそれに応える形を繰り返す。
牧歌的で平和な感じの美しい旋律の曲で、最後は両者が絡み合って終わる。
第4曲「日曜日の夕方」は、軽快な旋律がオーケストラ全体で奏される。
金管楽器や打楽器も加わり、華やかさを加えている。
途中でトランペットと太鼓の行進風の曲が現れる。
そして、チェロが悩ましいような旋律を奏で、
繰り返し行進曲風の曲が現れ、突如第2曲の舞踏風の旋律が登場する。
最後は冒頭の旋律が現れ、盛り上がりをみせ、華々しく終わる。
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シルヴィオ・ラザーリの交響的音画「夜の印象」を聴きながら、二俣川から三ツ境まで歩く

2011-01-24 06:03:05 | 古典~現代音楽フランス編
昨日は、二俣川から三ツ境まで往復して歩きました。
途中聴いたのは、1857年生まれのラザーリの作品。
オーストリア帝国出身の彼は、フランスに帰化した作曲家である。
イタリア人の父とオーストリア人の母の間に生まれた彼は、
最初法学を学び、弁護士となったが、ショーソンなどと親交を深め、
グノーに才能を認められ、パリ音楽院に入学し、作曲科で学んだ。
既に歌曲や室内楽曲などの作品を発表し、成功を収めていたが、
やがてフランクの影響を受けつつ、管弦楽曲でも様々な作品を残した。
交響的音画「夜の印象」は、1904年に作曲された。
聴いたCDは、ミッシェル・プラッソン指揮、
トゥールーズ・カピトール国立管弦楽団の演奏によるものである。
最初は夜の雰囲気を感じさせるような雰囲気が管楽器と低弦で表現される。
やがて堂々としたコラール風の主題が弦楽器により奏され、繰り返される。
うねるような弦楽器の音型は彼が影響を受けたワグナーの音楽を思わせる。
金管楽器も加わり、華やかさも加わるようになり、
弦楽器が繰り返す主題は徐々に勢いをつけていくようになる。
他の不安な感じを思わせる不気味な旋律も奏されるが、
やがて、トランペットがファンファーレのように輝かしい旋律を奏で、
そのあと軽快な行進曲風の音楽となっていき、金管楽器が活躍する。
それが盛り上がったあと、静まって冒頭の夜の情景が再び描写されるが、
それが終わったあと行進曲風の旋律が繰り返され、いったん静まり、
そのあと管弦楽全体で再び盛り上がりをみせて、最後静かに終わる。
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アンリ・ソゲ(ソーゲ)のバレエ音楽「旅芸人たち」を聴きながら、星川から横浜まで歩く

2011-01-23 07:08:32 | 古典~現代音楽フランス編
昨日は、星川から横浜まで歩きました。
途中聴いたのは、1901年生まれのソゲの作品。
5歳の頃からピアノを学び、オルガンをルロー夫人に師事した。
交通事故で父を失う不運にも見舞われたが、「三人組」を結成し、
作品を発表し、ケクランに師事し、様々な作品を残した。
バレエ音楽「旅芸人たち」は、1945年に作曲された。
彼が幼い頃から親しんだ旅芸人たちやサーカスなど、
大道芸を演じる人たちの記憶を音楽化したバレエ音楽である。
このバレエは1945年3月2日シャンゼリゼ劇場で初演され、大成功をおさめた。
聴いたCDは、作曲者自身であるアンリ・ソゲの指揮、
コンセール・ラムルー協会管弦楽団の演奏によるものである。
第1曲「プロローグ」は、アレグロの曲で行進曲のテンポで、
トランペットなど金管楽器により、軽快に華々しく始まる。
旅芸人たちが人々に自分たちの芸をみせようと、
勢いこんでいる感じの楽しい音楽である。
第2曲「旅芸人たちの入場」は、ワルツ風の音楽であり、
優雅な感じの音楽が金管楽器中心に華々しく展開されていく。
終わりの方で徐々にその主題は弱々しくなっていく。
第3曲「下準備」は、アダージョの部分で弦楽器中心に叙情的な旋律が、
ゆったりとしたテンポで演奏され、木管楽器が軽快に活躍する。
部分的にはプロコフィエフを感じさせるところもあり、
最後は金管楽器を中心に盛り上がり、次の曲に入る。
第4曲「客の呼び込み」は、第1曲アレグロの旋律が、
金管楽器と打楽器中心に現れて、繰り返される。

第5曲「本番」は、5つつの部分に分かれている。
「椅子を操る少女」、「幻燈」、「道化師」、「シャムの双子」、
「手品師」、「人形を操る手品師」という構成になっている。
アレグロ・ジュストで始まる軽快な「椅子を操る少女」のあと、
ヴィヴァーチェの「幻燈」が続き、ヴァイオリン独奏が活躍する。
現れて舞踏風の音楽が展開されたあと、ヴィヴァーチェの「道化師」の音楽となる。
騒がしい感じの音楽がピアノなども活躍し奏され、道化師の滑稽な感じが描写される。
次のバルカレーロ(舟歌)の「シャムの双子」は、ゆったりとした舞踏風の曲で、
この旋律にクラリネットやフルートなど木管楽器が絡んでいく。
それが終わると軽快に奏されるヴィヴァーチェの「手品師」の音楽になる。
トランペットなど金管楽器も活躍し、華々しい感じの曲である。
アンダンティーノの「人形を操る手品師」はゆったりとしたテンポの曲で、
フルートやクラリネット、オーボエなど木管楽器が活躍し、
徐々にワルツ風の曲になって、盛り上がって終わる。
第6曲「フィナーレ」は、アレグロ・ヴィヴァーチェのギャロップで、
明るく楽しい音楽で、旅芸人たちのみせる芸が終わることを示している。
第7曲「集金と旅芸人たちの出発」は、第1曲の行進曲風の音楽が繰り返される。
しかし、第1曲とは違って音楽に溌剌とした元気な感じはみられない。
これは客の入りが思ったほど少なく、気を落としている様子を描写しているようだ。
続く第2曲「旅芸人たちの入場」のワルツ風の曲も繰り返されるが同様に勢いはない。
木管楽器中心にその旋律が繰り返され、最後は静かに終わっていく。
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ジョゼフ・ギー・ロパルツの独唱、合唱と管弦楽のための交響曲第3番ホ長調を聴き、三枚町から西谷まで歩く

2011-01-22 08:14:16 | 古典~現代音楽フランス編
昨日は久しぶりに、ウォーキングをしました。
三枚町から西谷駅まで歩く間に聴いたのは、1864年生まれのロパルツの作品。
ブルターニュのガンギャン(ガンガン)に生まれた彼は、
パリ音楽院でマスネに作曲を師事し、のちフランクにも師事した。
1894年から1919年の間はナンシー音楽院の院長を務め、
その後ストラスブール音楽院の院長に就任し、1929年まで務めた。
交響曲第3番ホ長調は1905年に作曲され、1906年初演された。
独唱、合唱と管弦楽のための交響曲で、ユニークな作品である。
聴いたCDは、フランソワ・ポレのソプラノ、
ナタリー・シュトゥッツマンのアルト、ティエリー・ドランのテノール、
フレデリク・ヴァサールのバス、オルフェオン・ドノスティアッラ、
ミッシェル・プラッソン指揮、トゥールーズ・カピトール国立管弦楽団の演奏による。
第一楽章「ゆっくりと、次いで生き生きと」は、
弦楽器中心に淡い感じで始まる前奏に続き、
合唱が「夜が明け始まる」と歌い、朝の情景を管弦楽が描写する。
合唱は、太陽が昇り、その光が田畑や森などに注がれ、
自然が目覚める様子を歌い、そのあとは管弦楽だけの部分となり、
その輝かしい太陽の光と、森や田畑の様子が描写されていく。
生命感・躍動感あふれる音楽で、最後も金管楽器により華やかに終わる。

第二楽章「ゆっくりと、次いで極めて速く」は、合唱が最初に歌い始める。
第一楽章で美しい自然の姿を描いたところで、自然に対して、お前の喜びも、
人間たちの苦悩にとってどんな意味があるのかという疑問を投げかける。
生きる理由を求める人間にとっての苦悩が合唱によって歌われていく。
やがて、人間の苦悩が哲学的な思索を思わせるフガートによって示される。
人間の世界における現実と苦悩、そしてそこからの救いを求めて合唱は歌う。
盛り上がりをみせたあとは、スケルツォの部分となり、軽快に旋律が奏でられる。
しかし、そのスケルツォも苦悩に満ちた断片を見せながら、展開していく。
このあたりの主題を扱い方はフランクの影響を受けたこともあってか、
なかなか素晴らしいものであって、フランス的というよりはドイツ的である。
第三楽章「全般的にゆっくりと」は、管弦楽の伴奏にのり4人の独唱で始まる。
気の毒な人間たち、その彼らの悪が自分たちの中にあることを歌い、
憐れな心であることをいい、「お互いに愛し合おうではないか」と訴える。
この「愛し合おうではないか」という言葉は、終楽章の中で何度か繰り返される。
4人の独唱が終わったあとはしばらく管弦楽による優しい音楽が続く。
絶望を思わせる前楽章とは違って、ここではその解決を求めようとする
作曲者の真摯な姿勢を感じ取ることができ、クラリネットやホルンなど、
管楽器が美しい旋律を奏で、明るい希望を予感させてくれる。
弦楽器中心に盛り上げる部分は、確固たる信念、真実と正義を感じさせる。
再び4人の独唱が歌い始め、合唱も加わり高揚感が増していく。
そして愛し合うこと、自然の素晴らしさと真実と正義が歌われ、
金管楽器が輝かしさを加え、最後は管弦楽のみで盛り上がって終わる。
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