ドアをめぐって

2018-10-30 21:52:12 | 旅行記


住宅には玄関ドアが必要になりますが、思い返してみるとぼくの場合、防火規制が避けられないときを除いてほとんど、木製の玄関ドアをデザインしてきました。
防火用の既製品の木製ドアも発売はされていますが、できれば、自分で図面をひいて建具屋さんに造ってもらうオリジナルのドアがいいなと思います。

写真は、遠くリスボンの街にある、とある教会のドア。
教会ですから「玄関ドア」という呼び方はしっくりこないけれども、でも役割としてはそんな感じのものです。
日本の神社や寺のように、道路から何層もの門扉や結界をくぐりぬけて深奥にたどり着くのではなく、ヨーロッパの教会は、道路に面したドアを開けると、いきなり礼拝堂があります。
ドア一枚で隔てているだけだから、否応なしに街の喧騒が堂内に入り込んできます。

それでも、キリスト教徒ではないぼくにも、安堵感であったり静寂が沁みてくるのです。
その気分はきっと、この古ぼけたドアの前に立ち、開けた時から始まっているようにも思います。
ギイっと軋みながら開く音。長年の間使われ続けてすっかり黒ずんだドアノブ。歪んだ木の板。無数の傷。
そんなものを通り抜けることによって、心のどこかで、自分以前から続く時間の厚みが胸の内に沁み、変わらぬものがあることへの安心感にじんわりと満たされていくのだろうと思います。
引き戸のように持ち上げて取り外されるものではなく、もう離れませんよと言わんばかりに ちょうつがいでしっかりと壁につなぎ留められ、ついでにちょうつがいもしっかりと年季を帯びているような。
そんなドアが好みです。

ぼくにとって、木の玄関ドアをデザインすることは、そんなことへの憧憬なのだろうと思います。
耐震や断熱などのように、性能として住宅を評価できるものではないけれども、古びたドアのように、心のなかに関与してくることを大事にとりあげながら、住宅をつくりたいと思っています。
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ニューヨークの街角にて

2018-10-02 22:07:33 | 旅行記


数年前に訪れたニューヨークのスナップ写真より。
ニューヨークの代名詞のようにして、ネオンの洪水のようなタイムズスクエアの映像がよく流れたりしますが、そのような場所はごく一部で、実際のニューヨークの街並みはとてもクラシックな雰囲気です。
建物の外観など、意外にこと細かにデザインの規制があって、そんなクラシックな趣きをつとめて守ろうとしているそうです。
建物ひとつひとつが個性を競うというよりも、界隈全体として美しい佇まいになっているかどうか。そんな美意識は素敵だと思います。

上の写真はそんな街角で目に留まったもの。
ニューヨーク独特の避難階段などやレンガの外壁など、素材感がそのまま表わされた外観が良い感じ。
タウンハウスとよばれるこうしたアパートがずっと続いているのが特徴で、道路に面して縦長のピクチュア・ウィンドウがあるのも共通ルール。
それらの窓は、ほどよく大きく、でも大き過ぎず。
窓辺が気持ちのよいコーナーになっているんだろうなあと、いつものように職業病のようなイメージが湧いてきます(笑)

たんに道路に面した窓であれば、生活がむき出しになった感じでなんとなく居心地が悪いかもしれないけれど、この界隈は、窓の前にツル性の緑が這わせてあって、適度な距離感が心地よいのです。

暮らす人にも、道行く人にも、心地よい。
そんな街角が少しでも増えていくといいですね。
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ジュリア通り

2018-08-28 16:19:46 | 旅行記


暑い夏の思い出の写真から。

ローマの旧市街 テヴェレ川の近くに、ジュリア通りという道があります。

エッセイなどを読んでいると、須賀敦子さんなど何人かの作家が、ローマで一番好きな道、というようなことが書いてあるのが印象的だったのですが、初めて訪れた時、そのこころがわかるような気がしました。
1キロ以上続く、一直線の道。その左右には趣のある館が並びます。見逃せないのは、立体交差する道のアーチ状のトンネルがあるところ。
一直線の道の単調さを、独特の風情に変えているのは、このアーチによるところが大きいのでしょうか。

工業製品の塗り壁材ではつくりだせない、実に味わい深い壁の表情は、見ているだけで飽きません。
この道の傍らにずっとあり続けた壁。建物の用途は数世紀の間に変わっていけども、風景の一部として変わらない姿があり続けるのは、とてもうらやましいことだと思います。


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コルビュジエの痕跡

2018-04-18 21:17:39 | 旅行記


以前に、修道院の建築ばかりをひたすら観てまわる旅をしたことがありました。一見では同じような形式でありながら、いろいろと見ていくと、それぞれに個性があることがよくわかってきます。
こじんまりとした修道院の中庭や個室はとても居心地がよく、大きな修道院はひとつの街並みのような風情があります。その空間をスケッチを描きながらしっかり体験する時間は、なんとも楽しい時間でした。

写真はフィレンツェ近郊ガルッツォにある修道院。大きな修道院で、地形を活かした独特のエントランス階段があって、なんだか超現実的なゾーンに入っていくような不思議な感覚にとらわれます。



あれ?この感覚!ラ・トゥーレット修道院では?
直感的にそんなことが頭をよぎります。

ラ・トゥーレット修道院。それは近代建築の巨匠ル・コルビュジエが晩年に設計した名作なのですが、この修道院を設計する際に、コルブは南フランスのル・トロネ修道院を大いに参照した、とされています。
もちろん、そうではあるのだけれども、それ以上にこのガルッツォの修道院には、ラ・トゥーレットの痕跡が感じられるのです。特にこの異次元に入っていく感じ。

よく調べてみると、まだ若い頃、コルビュジエは二度三度このガルッツォを訪れていた、とのこと。

もしかして、数十年の時を経て、若い頃の記憶にじんわりとつきあげられるようにして、あの独特な中庭の回廊を設計したのだろうか。

そんなことを勝手に想像できてしまうのも、旅の楽しみです。
そんな勝手な興奮をよそに、回廊の列柱越しに、トスカーナの美しいのんびりした光景が広がります。


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サン・ダミアーノへの坂道

2017-12-31 15:08:31 | 旅行記


ふだん住宅設計の仕事をしているからといって、昨今の有名な建築や住宅作品を観るのがことさらに好きだということはなく、むしろ逆に、古びた無名の建物に心を惹かれます。
その最たるものが、イタリア中部の街 アッシジにあるサン・ダミアーノ修道院です。
建築の教科書には一切出てこないのですが、聖フランチェスコと聖キアーラにゆかりのあるこの修道院は、聖地でもあります。

ぼくにとっては、もう10年以上前に須賀敦子さんの著作でこの場所のことを知ってから、ずっと心の深くに居続ける存在です。

アッシジの街から、サン・ダミアーノへの坂道をゆっくりと降りていく。
小ぶりなオリーブの木が並ぶ光景と、鳥の鳴き声。
静けさと平和を感じ取ることのできる時間。

姿かたちは真似しようにもないのだけれど、自分が手掛ける住宅が、そんな風に平和な心地につながるものになることを祈るようにして、図面を引いています。
その空間のなかで過ごす人にとって、身の回りのごく些細なことが、まさに「恩寵」のように感じられるといいなと思っています。



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