手描きのスケッチ

2012-07-17 18:45:41 | 住宅の仕事

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いま、いくつかの住宅の設計の仕事をすすめています。設計がはじまってから、片時も離さないのが、ロール状のトレーシングペーパーと鉛筆です。このロール状のトレーシングペーパーは、僕の師匠がずっと愛用していたもので、僕も自然と手元に置くようになりました。

設計がはじまると、まずこのトレーシングペーパーの上に鉛筆でぐりぐりと描きながら、ラフプランを練ります。ある程度まとまるとコンピューターで製図をし、家の姿カタチの概略を決めていきます。

設計がすすんでいき、いよいよ細かい部分の設計にとりかかるときにも、このトレーシングペーパーは大活躍します。部分までは作り込まれていないラフな模型を前にどんと置き、それを見ながら細かい部分をイメージしてトレーシングペーパーに詳細スケッチを描き込んでいきます。

玄関扉はどんな構えになっていてほしいか。開けるときの重さの感じはどうか。音はどうか。木窓を開けるのに必要な金具はどんなもので、どんな風に取りつくのか。その窓からはどんな風景が見えるのか。

いろいろなことを考えながら、ほとんどの場合、原寸大でスケッチしています。きっとこの住宅でもっとも身近に接する部分を、このスケッチを描きながら考えているのだと思います。だからこの作業の時間は、僕の設計にとって要のようなものだと思っています。手でスケッチしながら考えていると、モノの実際の大きさはもちろんのこと、手ざわりや、重さや、経年による変化までもがイメージできるような気がするのです。

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実現しなかった案へのレクイエム。

2012-05-23 18:30:11 | 住宅の仕事

最近、いくつかの住宅の設計を並行してすすめているのですが、そのうちのひとつが、「自由が丘の家」の増築です。僕の家族の住居と設計アトリエを併設する計画です。ぼんやりと頭で思い描き始めてから、はや数年。後回しにしながら時間がかかり、結果的にいくつものプランをつくってはボツになっていきました。写真は、かなり本腰を入れて模型までつくったにも関わらず、諸々の理由から実現に至らなかった案です。既に模型も解体され存在しませんので、写真の中だけの思い出です(笑)

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「自由が丘の家」は、もともと半世紀にわたり建っていた古い家屋を建て替えた家です。古い家にあったもの、庭木や家具などを多く残し、それらを引き立て、共存するような生活を思い描いて設計したものでした。「時間のリレー」とでも言うのでしょうか、ずっとこの土地に流れてきた時間を受け渡していくようなイメージです。そんなイメージから選んだ壁の仕上げ材料は「黒漆喰」でした。雨風に晒されて、年月とともに風化していくような独特の味わいがあります。昔からこの土地にあったものと同様、「時」を見方につけて魅力的な表情に変わっていくことを楽しみたいと思ったのでした。

写真の増築案では、アトリエと黒漆喰の壁の間にデッキを敷き、ちょっとした中庭のような雰囲気にする計画でした。アトリエからはすぐに中庭デッキに出られ、コーヒーで一休みするのも気分がよさそうだなあ、そうだ、シンボルツリーを一本植えよう・・・とか、仕事以外のことばかり考えてデザインしていたような・・・(笑)

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「時間をつなぐ」コンセプトを大切にしながら、いろいろな検討をして、最終的には模型とは別の案にまとまりました。その案の話は、また後日に。

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ウンブリア

2012-03-20 14:56:17 | 住宅の仕事

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僕が村田靖夫さんの事務所に勤めていた時に担当した、ある住宅に久しぶりにお伺いしました。この住宅のことは以前に2008年12月20日のブログでも書いたことがあります。

年配のご夫妻が暮らす、静かな家。リビングに大きく開けられた窓は中庭に面し、この10年近くの間に育った木々が、場所の雰囲気に質感を与えてくれていました。

いろいろ世間話をするなかで、話が床のタイルのことになり、「ウンブリアっていう名前のタイルでしたね、すごくこの床を気に入ってますよ」というお話を伺いました。

ウンブリア。そうそう、そんな名前のタイルだった。イタリア製のこのタイルは、国産の床タイルと違って、ひとつひとつの大きさが何か微妙に違ったり、ちょっと歪んでいたり角が欠けていたり。つまり、素朴な風合いをもつタイル。そんな素朴はタイルは、家ができたてピカピカの時よりも、今の方がずっと馴染んでいるように思いました。

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ウンブリア。その名前を聞いて、僕は作家・須賀敦子さんのエッセイのことを思い返しました。須賀さんは前半生をイタリアで長く過ごし、晩年になって、記憶を思い返すようにして多くのエッセイをのこしました。イタリア中部にウンブリアという州があって、若い頃に、そのなかにある小さな街アッシジに通った頃の話がエッセイにも書かれています。アッシジは聖フランチェスコが生きた聖地。清貧の人生を送った聖フランチェスコの遺風は、静かで慎ましやかな街の雰囲気に息づいています。

ウンブリアという名前のタイルを床に貼ったからというわけではないだろうけど、この住宅には、たしかにアッシジでも感じられるような静かな時間が流れているように思いました。主張の無い静かな作風だった村田さんの住宅作品は、こんな風にしてゆっくりと良さが滲みでてくるのだろうとも思います。

僕が村田さんの事務所で最初に担当した住宅。だから、僕にとっては思い入れもまた格別です。また時折、この場所を訪れるのが楽しみです。

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家の大きさ

2010-09-30 19:17:17 | 住宅の仕事

僕が講師をつとめさせていただいている早稲田大学芸術学校で、後期の授業が始まりました。ちょっと長めの夏休みの宿題は、洋の東西を問わず、ひとつ住宅作品を選び、1/100スケールで模型を造る、というもの。今年も、製図室の机の上にたくさんの模型が並びました。

近代の巨匠とよばれる建築家の住宅作品を選んでくる学生も多いのですが、あらためて驚くのは、これって1/100スケールだっけ?と思うような大きな模型が多いこと。その中に埋もれるようにして、日本の建築家の手による住宅作品の模型もあるのですが、その小さく感じられること!日本で住宅をつくるということは、「小さくあること」に立ち向かうことでもあるのだろうと思います。あるいは、「小さくあること」にこそ美徳がある、と考えるべきなのかもしれません。そう、茶室の空間が、世界にも類を見ないほどに得も言われぬ美しい場所であることを思い起こせば、それは大袈裟な話だとは思いません。

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住宅の設計をするとき、僕もよく1/100スケールの模型をつくります。特に初期段階でイメージ模型としてつくることが多いのですが、比較的大きな家、こぢんまりした家、背の低い家、高い家などいろいろなのですが、そのなかに込めようとしている場所のイメージは、どれもそれほど違わないように思います。おのずと、イメージするときに模型に塗る外壁の色も、最初はどれもいっしょ(笑)

メキシコの建築家ルイス・バラガンの住宅作品の写真や図面を、学生時代からよく眺めてきました。何か僕自身の根っこの部分に、深く関わるものを感じていたのだと思います。時を隔てて茶室の空間を見るようになって、いつの頃からか、両者はどこか深い部分でつながっているように感じるようになってきました。一方はとても大きな家で、一方はとても小さな小屋。でも、建物の大きさに関わらず、そのなかに宿されるものは同じである、という感覚。そんな感覚を、大事にしていきたいと思います。

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レスタウロのように

2010-09-07 00:39:15 | 住宅の仕事

日本でも、古い建物を改修して永く使うことが、一般的になってきました。それが住宅だと、改修という風に呼ぶとどうも堅苦しいのか、リフォームとか、リノベーションという言葉で表現されることが多いですね。でも、特にリフォームという言葉のもつニュアンスに、なにか馴染めないものも感じてしまいます。値段と扱いやすさから多用される新建材で置き換えられる家屋の表情が思い浮かんでくるのです。いろいろな意味で便利にはなるのだろうけれど、長い間に培われ堆積した、かけがえのない大切なものを、ある意味で一瞬で剥ぎ取ってしまうような・・・。リフォームという言葉に、そんな「間に合わせ」の改修のありようを感じてしまいます。

イタリアにはレスタウロという言葉があって、これも改修のことを指しています。保存、修復、歴史的な遺産への創造的な活用、など、文化的な側面を含んだ言葉として定着しているようです。何世紀も昔の建物とともに生活がある国の、独特の言葉なのでしょう。実際に、何世紀も前に造られた、誰によって造られたかもわからない無名の古い建物を前にして、それを改修して、新しい生活の場にしてみたい、という強い願望を抱くときがあります。現代的で斬新なデザインの建築を見るよりも、むしろ古いそれらの無名の建物に思いを馳せるほうが、僕にとって魅力的に思えるのも事実です。

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僕が建築を志そうと思ったキッカケになったもの。カタルニア・ロマネスクの写真集に載っていた、山間部の小さな古い礼拝堂。そしてそれとともに今も生きる人たち。素朴で、無名で、単純で、おおらかな、それらの建物。簡素古朴の美しさに思いを傾けながら、現代に必要なしつらえを、ひとつひとつそっと造りこんでいくこと。そうして、次の世代にまた手渡していくこと。そんなイメージが、僕にとってひとつの理想でもあります。誤解を恐れずにあえて言うならば、新築ではなく改修のようにして一軒の家をつくる。レスタウロのようにして家をつくる。そんなことを心のどこかで思いながら設計の仕事をしています。

そんなせいなのか、僕の設計する家は、一見すると窓が小さく、カタチも普通で、木々の影が壁に映りこむようにできていることが多いようです。(かといって暗いわけではないのですが。笑) 控えめで素朴な佇まいのなかに、時間を味方につけたような美しさが宿ることを目指しているのかもしれません。

建物の改修がより積極的に行われるためには、理屈ぬきにレスタウロしたくなる雰囲気の建物が、もっともっと増えていく必要があると思います。近現代の建築家がつくった建物は、作家性が大前提にありすぎるのか、レスタウロをしたくなる雰囲気の建物はあまりないように思います。そのような意味では、建物は、もっと普通で素朴なものであってよいのかもしれません。そんな風にイメージしたとき、僕にとって理想の佇まいの代表格といえばこれ。ジョルジョ・モランディの絵から。彼もまた、レスタウロの国イタリアの画家でした。

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コメント (2)
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